第19話 あと23時間




 休憩中、舞台袖で差し入れから選んだお茶のペットボトルをもらう。

 午前までの稽古はギリギリ及第点のレベルで、特に未羽もつまづいていた第三幕の場面は煮詰めが全然足りない。自分の評価ってだけで、周りや紙谷さんから見ればさらに厳しく映るだろう。

 短く息をつく。疲れもあるがそうも言っていられない。


 昨日は眠りにつくまで時間が掛かった。怖かったからじゃない。胸の高まり――ドキドキして気持ちが入り過ぎたというか、なだめるのに苦しんだというか。松木さんのしてくれたことは私にとって思った以上に効き過ぎたみたい。


 毛布にくるまっても眠れず、『第九』のDVDを一気に見てしまった。

 ……部屋の片付けもしないで。

 絶妙な精神状態だったのか不思議なくらいスラスラと頭に入った。

 そこまで意識に焼き付いたのは、たぶん繰り返し練習した劇だからだ。


 私と同じくらいの歳の光さんと松木さん。周りのメンバー。

 劇も大分参考になったが、公演前の練習動画は見ていて面白かった。

 みんな仲が良さそうで、ちょっとした寸劇や茶番も冴え渡っている。

 中心になる光さんと松木さん以外に、一人の少女の印象が際立っていた。


 七瀬、あやね。たしかそう呼ばれていた。

 この子が十年前の行方不明者だと感覚で分かる。

 これだけの華やかさと輝きで当時の《第九番のキセキ》に出演していないともなれば、舞台人なら誰でもぴんと来そうなものだ。

 初めて見る顔と仕草……なのにずっと前から知っているような身近さを感じる。


 台本を読んだから? 光さんや松木さんを通して知った気でいるのか? 

 それとも彼女の発する雰囲気が、自然とそう思わせるのかも。

 十年前。七瀬あやねは降板し、光さんが代役を演じた。

 私も代役を演じ切れるだろうか?


 ペットボトルのお茶を飲む。味は感じないし、甘さも苦さも分からない。

 朝食もそうだった。私は私自身を認識出来なくなってきている。

 未羽、つぐみ。二人……いや私を含めた三人にはもう時間が無い。


「よし! 予定通りゲネ決行だ。五分後にベル鳴らすぞ! 多少想定外もあったが、ゲネまで漕ぎ着けたな。主役降板でキャス変があったから明日の公演前にも一度通すが、ここでやり切れ! ……ひな! 準備は出来てるか?」

「はいっ!」


 紙谷さんの号令で、再びスタッフ達が動き出した。手慣れた作業と緊張感でそれぞれの仕事を進めていく。ここまで来れば紙谷さんの仕事はほとんどない。

 最終リハも本番も、あとは役者と現場スタッフで全てが回る。止まることは無く、せいぜい私がトチッた部分を稽古の総括で指導するだけだ。段取りで残したものは無い。

 ――ちょっとは紙谷さんから肩の荷を降ろせたかな? 今回は最後まで私がお荷物だったけど。


「……いいか、お前が主役だぞ。これ以上は言わせるなよ!」


 はっとして、周りを見る。

 舞台袖、私の近くにJINプロ児童劇団のメンバーが揃っていた。

 これから始まるリハーサルじゃなくて、他ならない私を待ってくれている。


 睨むようにして紙谷さんは舞台を降りる。客席のど真ん中に座る人じゃない。

 どこか私達の意識しないような場所で観るつもりだいつも通りに。


 メンバーは全員私を見てる。

 スタッフの方も、照明の光さんも、準備が出来次第こちらに注目している。

 そうだ。いつもの期待に主役は応えなくちゃいけない。

 未羽。つぐみ。二人がそうして来たように、私もそうする。


 まっすぐ前に片手を出して、メンバーにも促す。

 手と手は重ねられ、自然とみんなが円陣を組む形になる。

 見回せば、真剣な表情の中にどこか遊び心が見え隠れしてる、本当に茶番も本番も好きで好きでたまらないって顔の仲間。にぎやか過ぎる友達が、いつだって私を待ってくれていた。

 ――今なら二人が主役だった時、円陣を組む前に何を考えてたのか分かるよ。


「ええと。その、何と言うか、気付いたらここまで来てて……気が付いたら、もう最終リハだけど。出そう。出し切ろう今までを。私たちの全てを! 待っている人に届けよう! 私たちの劇場は、茶番だけじゃないってとこ、舞台で思いっきり表現しよう! それが、みんなと一緒なら出来る! ……行くよっ! 劇、場、でー? ファイトッ!」

「「「おー!」」」


 一斉に手が天井へと向けられる。照明がまぶしい。

 見慣れているメンバーの顔のはずが、もう別人のように思える。

 ずっと涙でも流しているみたいにぼやけて距離感が掴めない。

 記憶に空白があるなんて話じゃない。感覚のほとんどが穴だらけだ。

 舞台の上、何度も練習して身体に刻み込まれた動きをするので精一杯。

 ……それが、いったいいつまで続けられるっていうの?


 みんなと共にあった、流れや一体感みたいな……

 が、今はよく分からない。

 近いうちに私は息を吸って吐くだけの存在になる。そんな予感が頭を離れない。


 私が私を保てなくなる前に、《模様》を通してあの空間をこじ開ける。

 出てくるものが、つぐみ達と判断したらすぐに引っ張り上げる。

 黒い影の化け物が出て来たら終わりだ。抵抗してものみ込まれるだけだろう。

 でもやる。もう決めたから。

 今日中に決着をつける覚悟を。そして――




 *  *




『かいぶつ。望み通りの形を作る、その輝き一つ一つを数えてみろ。

 今まで檻を動かす部品だったボクたちと、同じことだよ。

 役目を終えたら、また新しい誰かがその場所を埋めるんだ』

 

 胸の辺りで左手をにぎる。

 私だけの心。私だけでは埋まらない場所。思えば焦りや不安ばかりだった。

 私には『ここにしかない』『今しかない』って気持ちが強すぎるんだ。


 心を許して受け入れるのは、私が思うきれいなものだけだ。

 他のものなんて知るか。一緒になんて出来るわけがない。

 

『今まで利用してきた部品の数、押さえつけていた願いの数……そして、私の大切な人。ぜんぶ我がもの顔で使っていいものじゃない!』


 大切なものは全て、私が決めた。それを失った結末なんて絶対に嫌だ。

 宝石よりも輝くものを、私は探し当てることが出来た。

 見えている大切なものを無くしてしまえば、いずれ見えない大切なものも無くし、ボロボロと何もかもこぼして、失うだろう。

 

 私は『第九』のキャラのように心にひびが入り欠けていく心境がダブっている。

 自己犠牲の精神が強く現れるこのシーン。全員合わせて一つの個と見なし、自分を含めた誰かが脱落しても、目標に到達出来れば報われる。……なんて達観はとてもできない。


 でも、主役のキュウ達だってこう思ってたんじゃないか?

 誰かを失うと分かっていたなら旅は途中で辞めてもいいって。

 大切なのは心と、檻の果てに見たものと、なにより仲間たちだったんだからさ。


 きっと自分を含めた誰かが脱落するのが怖くて、恐ろしくて。

 そんな気持ちに負けないよう、みんなと自分を奮い立たせるために言ったんだ。

 未羽とも七瀬さんとも少し解釈が違うけど、私はそう理解して演じている。

 

「ひな。……もう休んだら?」


 ぱちっ、と遠くで音がする。このポニーテールと話し方、光さんだ。

 リハーサル中……でもないし私に声を掛けても問題ないのか。

 危ない危ない。思わず声を出すところだった。ここは劇場じゃない。

 JINプロのスタジオ、居残り練習で使うレッスンルームじゃないか。


「ひかりさん。お疲れ様です」


 ちょうど間も出来たし、たしかに休憩を挟んだ方がいいかも。

 タオルどこに置いたかな。すぐわかるとこに出したはずだけど。


「……タオルでしょ? 探してるのは」

「ああ、すみません。ありがとうございます」


 光さんに取ってもらったタオルで汗を拭う。

 結構な時間練習してたから、たぶん汗ばんでると思う。

 特に不自然な行動には見えないはずだ。


「もしかして、スタジオに戻って来てからずっと練習してたの?」

「はい。ちょっと詰めるところが多々ありまして……」


 最終リハーサルの後、紙谷さんにいくつか指導されたことを思い出す。

 私自身もダメだと自覚していた部分なので、反復練習で修正をしてた。

 課題はその日のうちに。児童劇団のメンバーは例外なくそうしてる。


 クセを潰してセリフと動きを合わせていくうち、芝居が目に見えて良くなった。

 ようやく役に入り込み、上達が感じられるようになった段階。

 時間が無かったとはいえ、遅すぎるけど。公演初日まで……あと23時間くらい?


 さて、煮詰めに戻ろう。

 ――ん、腕が動かないな。腕と首のケガは大きい動きの時、引き攣れを感じる程度で支障はそれほど無かったんだけど。メンバーにもスタッフにもケガは感付かれてない。

 『そういう演技をされていたとしたら』もうこっちでは判断できないが。


「待って。……無理しない方がいい。明日は本番でしょ?」

「無理はしてませんよ。それに課題は消化しておかないと。……劇の主役ですから」


 光さんが、私の手を強く引いていた。

 心配そうな声。それと、少し怯えている?

 だからさっきから口調に違和感があったのか。妙に親密というか、年上の話し方じゃない。始めの立ち位置に移動したいが光さんが離してくれない。まいったな。押し問答してる時間が正直、惜しい。

 

 私はやれるだけやった、って思いたいだけなのかもしれない。

 何よりこのあと胸を張って二人に会いにいく。だからやり切っておきたいんだ。


「ひかりさん。邪魔しないでください。練習、とても充実してるところなんです。積み上げとか成長とか、この三年間あまり感じなかったけど、回数を重ねるごとに上手くなってる……それに、私にとって最後の主役です。自分で納得できるまで、打ち込ませてください」

「いま必要なのは、練習より休むことよ。気持ちは分かるけど……」

「私の気持ちが分かるわけない!」


 血が出るくらい爪を突き立てて痕を残しながら、

 手を強い力で握り返す。


「死んだら何もないんだぞ! 次を待つ楽しみも甘えも妥協もない! あるのは孤独と、散り散りになったって自分を呪い続ける、後悔だけだ……。なら何か一つくらい、やり遂げたことがあったっていいじゃないか! 『私はやるだけやった! この輝きは私だ、私なんだ!』って胸を張って消えてやる!」

「……」


 急にそう言いたくなって叫んだ。

 私の本心じゃない。『第九』のセリフでもない。

 、口が勝手に動いた。

 役に成りきる、なんてモンじゃない。

 良く知っている誰かが、乗り移ったみたいな。


 こわばった力が抜けていく。腕が解放された感じがした。

 ちょっと思ったのとは違ったが、説得は成功したみたい。


 ふうっと息をつく。呼吸が荒い。ならちょっと暑いかな?

 ウェア、一枚外しておくか? 汗とかけっこう吸ってて重い気もする。


「ちょ、ちょっとひな! それ脱いだら……」

「え? ……ひっ」


 たぶん私の顔は真っ赤だろう。

 恥ずかしい。指摘されなかったら、上も下も脱ぐとこだった……ひ、光さんしかここにいなかったから良いようなものの、いや良くないけど。あられもない姿で芝居してどうする! 肌で空気を感じろって? 変態役者じゃないんだから。これじゃあ松木さんと同じ――


「……」

「えっと、ひな? 頑張ってるのはわかるけど、やっぱり休もう。疲れが出てるんだよきっと。この部屋、さっきまで電気も付けずに黙々と練習してたみたいだし」


 松木さんも、同じ?

 服はポンポンと脱ぎ散らかし、タオルや携帯、タバコは何処か探す。

 明かりを消して真っ暗で稽古する……ご飯を食べるのが遅い。

 松木さんと、同じ。


「ひかりさんの言う通り、思った以上に無理をしていたかもです」

「練習にありったけを込め過ぎると舞台に悪いよ……体にもね」

「もうこれ切りにします。……劇団JINの稽古の方はどんな感じでした?」

「向こうも小屋入りが近いから、まだ練習続いているよ。あと一時間ちょっとくらいで終わるんじゃないの? 今日は昼からの稽古だったし」


 そうですか、と適当な相槌を打つ。

 松木さんも《呪われて》いる? 私のように自分自身を失っていってる?

 でもずっと松木さんらしさは変わってない。

 わたしと何か違いでもあるのか? 精神のこぼれを防ぐおまじないでも。


 私は《呪い》について何も知らないのと同じだ。誰からも教えられてはいない。

 聞いてみようか。昨日のお礼も改めて言いたいし。


「劇場のリハ、私には良く見えたよ。最初はあたしの照明と息が合わなかったけどさ。今日は修正力が凄かったというか、どんどん『第九』の主役になっていってるって感じで……」

「そうですか」

「リハ前の円陣も、決まってないようでばっちり決めてた。いい言葉でみんなを送れたね」

「そうですか」

「……さっきのひな。中身がからっぽって言うか、透明というか、薄く見えたんだよね。そう感じたら急に、服をスポーン、って脱いじゃうし」

「い、いやもう脱ぎませんよ?」

「それで、そのまま消えて無くちゃうような気がしたんだ」


 光さんの寂しさ、本音がこぼれ落ちた。たぶん七瀬さんのことを思い出してる。

 ちょうど十年前、夕闇のせまるこんな時間に降板した七瀬さんの代役を告げられた。代役への不安よりいなくなった友だちに対しての気持ちが、強く残っている。

 もう嘘かどうかろくに読めないけど。そう思っているみたいだ。


「明日は公演初日。遅れないように。……いなくなったりしないでよ?」

「行きませんよ。どこにも」


 私は消えない。消えてたまるか。

 光さんもそう願ってる。繰り返しのこんな結末は嫌だと考えている。

 青春をともにした親友と児童劇団の後輩では、与える悲しさはきっと違うけど。


 もうすぐ終わる。元の日常の形そっくりそのままには、戻せないかもしれない。

 でも、同時に信じている。

 悲劇からの一転、まるで冗談のように笑い合えるような奇跡を。






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