第16話 話し相手は頭がおかしい




 《紙谷 リョウジ》 《代役》


 まっすぐ家に帰り、陽菜の携帯を使って調べ物を続けていた。

 紙谷リョウジの顔写真やプロフィールはもちろん、若い頃たしかに急な代役をやり切り、その後頭角を現しているのが経歴で分かる。

 大した情報じゃないと思ったので、本人に聞かなかったが調べて正解だ。

 この代役、その時に主役だった俳優は事故死している。

 劇中事故では無いが、舞台練習期間に起きていて、死に方がショッキングだったため、それなりに有名らしい。まとめや感想がいくつも確認できた。……陽菜は知らなかったようだが。


 松木アキラめ。詳細までは知らなかったのか?

 陽菜に教えていい内容じゃない。猟奇的な部分がある。

 仮に陽菜が代役の話を聞きに行けば動揺を起こしかねないぞこれは。


「しかし妙だ」


 この情報。事故死した俳優とその顔写真。

 陽菜は知らないはずなのに、私には見たことがあるような気がする。

 眼に入り、記憶するのは初めてのはずなのに。

 同じ作業を前にもしていたような――

 既視感という奴なのか? 


「七瀬あやね……十年前にいなくなった団員」


 これも陽菜は知らない。

 しかし、私はこの名前を懐かしむような感覚すら覚えている。

 七瀬彩音に関しても調べた方がいいだろうか。

 でも何故か指が止まる。陽菜じゃない、他ならぬ私がストップをかけている。

 ……どうすればいい。情報が揃うまで保留を掛けた方がいい?

 出来ることはやるだけやっておきたいという思いが強くなる。

 優先すべきは陽菜が望むことだ。

 陽菜の望みが全て叶った後でなら、それを――


 《着信 つぐみのウチ》


「……なんの冗談だ?」


 携帯が鳴っている。……つぐみの家からだ。のに。

 三人家族で、二人は消えたはず。私と陽菜の目の前で消えたじゃないか。

 あとは母親くらいだが、家に帰って来れる状態なんだろうか?

 それとも二人の事を聞きつけて、電話機の履歴からこっちに掛けてみた?

 どうする……出てみるしかないが。

 いくつかの応対を軽く想定してから、電話をとる。


「……もしもし」

『陽菜ちゃん!? 陽菜ちゃんか!』

 

 つぐみの父だ。

 驚いたな。あの《かいぶつ》から解放されたのか。戻って家から電話している。

 無事とは言えない、ひどく差し迫った声に思えた。


『すまない。こんな時間に電話して……つぐみは? つぐみはそっちに行ってるかい?』

「いえ。遊びに来てはいないです」

『家にいないんだ……夜も遅いのに』


 電話で細かい心の動きは探れないが、どこか手探りというか、自信の無さと不安さも感じ取れる。つぐみの父らしくないし、どこかズレている。この違和感はどこから来ているものなのか。


「どうしました? 何かあったんですか」

『何も……何も分からないんだ、思い出せない……』


 記憶の抜け落ち。人格の入れ替わりじゃない、私よりも芦田光に近い状態か。

 もしかしたら、光も十年前に同じ体験をしたのかもしれない。

 あの黒い影に掴まれ、吸い込まれていった人が何らかの理由で戻れたとき、その前後の記憶を辿れなくなる? この様子ではつぐみのこと、警察や事務所のことを調べたのも忘れているみたいだし。――これも向こうの台本通りなのか? もうつぐみの父は、JINプロに対して何も手を打てないな。だからこそ、帰って来れたとも考えられる。


「落ち着いて下さい。大丈夫ですよ。私はあなたの味方ですから」

『ああ、ありがとう……』

「では分かることから聞きます。あなたは、気が付いたらどこにいましたか?」

『つぐみの、娘の部屋にいた……なんだか散らかっていたが』


 感謝と嗚咽混じりの言葉を慎重に聞き取る。

 消えたのは一階のリビングで、戻ってきたのはつぐみの部屋。

 何か法則があるのか。位置の誤差が出ているだけ?

 返す場所は自由に決められるなら、つぐみの部屋である意味がないが……


「ええと、服や手足に、異常はありませんか」

『……あっ! け、怪我じゃないが、指が痛い。爪で何か掻き毟ったような跡がある! 服も汚れて……汗まみれだ。俺はいったい何を……!』

「どんなことでもいいです。何をしていたかは分かりませんか?」


 よし。これで少しは紐付けして思い出せるかな。

 向こうで何か正気ではいられない衝撃的な出来事があって、思い出せない線もありえる。少なくとも体を自ら傷つけてはいないようだ……

 抵抗した跡か、自力で向こうから逃げた際にそうなったのか。判断つかない。


『誰かが……、そうだ! 誰かが助けてくれた! 俺を暗いところから……恐ろしい! あの恐ろしい影が動いて、その人を引きちぎり……バラバラにしたんだ! あんな残酷なこと……俺はその人を助けられなかった。気が付いたら、もう……』

「そうですか。他に分かることは?」

『本当だ! 本当にそれくらいしか分からないんだ……信じてくれ。底なしの闇が、踏み出しても、どこまでも広がっているような……本当は閉ざされているのに……』


 私はいつの間にか胸に手を当てて、力を込めていた。

 陽菜が感情を落ち着かせるように。『第九』の主役が取るポーズのように。

 もしも、記憶の欠落が《印》に関係するもので無かったとしたら。身近な人がバラバラにされたのを見て、ショックを受けたとしたら。……電話越しじゃ心を覗くことは出来ない。他に判断できる言葉はないのか。


 つぐみの父親は、その後同じようなことをぶつぶつと呟くだけで、何かを汲み取ることは出来なかった。――幻覚と断定されて当然なことを言っている。

 このことを周囲に吹聴しても、気が触れているとしか思われないだろう。


 だが私は理解できる。

 《印》《檻の外のかいぶつ》それ関連のことだ多分。

 少なくとも、向こうで想定外の事が起こり、誰かの抵抗によって彼は生還した。

 だが代償にその人は――

 もう考えても思考が先に進まない段階まで来てる。後は手持ちの情報と推察で判断し、確かめるしかない。一つ息を吐いて呼吸を整える。意識すればすぐに落ち着くことが出来た。


「ありがとうございます。教えて下さって」

『信じて、くれるのか? こんな……悪い夢のようなことを』

「あの、もう絶対に掛けてこないで。迷惑ですから。ちょっと異常です。はっきりと何か思い出すまでは、どこにも電話したり家を出ないでください。頭おかしいですよ」

『ひなちゃん! ま、待っ……』


 電話を切る。これでもう掛けてこないだろう。こちらから電話をしない限りは。

 つぐみの父親がどこかに連絡を取るのを少しでも躊躇ってくれるならベストだ。未羽の家もJINプロも、向こうから《戻ってきた》ということが判明すれば、また危険にさらされる可能性がある。

 こっちの話こそ信じてはくれないに決まってるし、多少気の毒だが、またひどい目に遭わせるわけにもいかないしな。これ以上つぐみの父親を探っても、行き止まりだ。面と向かって話せばもう少し深く分かるかもしれないが、必要ないし時間が惜しい。


 いよいよ覚悟を決めるしかない。

 こちらから向こう側へアプローチを掛ける。実行するなら今夜だけだ。

 明日も変わらずに私がいるとは限らないし、私の中で予想している前提が崩れないとも言い切れない。

 バッグから交換日記を取り出し、陽菜の机に置く。

 筆記用具も適当に散らばらせた。


「試す価値はある……この《印》……ここに書き残した意味はあるんだろう?」


 交換日記のページをめくり、描かれた《印》を見る。

 あのレッスンルームで未羽とつぐみがやっていたおまじないが全てだとしたら、《印》を描いたあとでもう一つ必要な動作がある。

 ――それは《印》をなめる行為。もしくは水分……わずかな水分がいるのか、舌でのむ、粘膜で取り入れる必要があるのかのどちらかだ。


 しかしこの方法を試すということは、陽菜たちの友情を疑うということになる。未羽かつぐみは初めから、あの場にいるだれかを消すつもりで動いていたと考えるしかなくなる。

 やはりそれは陽菜ではなく、私がやるべきだ。



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