第15話 役を演じるのは楽しい




 楽屋の奥は喫煙スペースになっている。

 この劇場、今回はJINプロ児童劇団が使っているが、普段は様々な団体や劇団が利用している。流石に劇のメンバーでタバコを吸う子なんて年齢的にいないが、演出家や舞台監督なら別だ。

 また、この喫煙所だけは舞台スタッフはほとんど使わない。楽屋の奥だからな。私としても好都合というわけだ。……松木アキラ辺りがひょっこり顔を出すこともあり得たが、流石にスタジオから遠い劇場まで足を運びはしないか。

 利用していたのは一人だけ。私は楽屋には戻らず、そちらの方に向かった。一対一で話せる機会に話しておかなくては、と決めていたから。


「お疲れさまです。紙谷さん」

「代役。ご苦労さまだな」


 紙谷リョウジはタバコを燻らせ、ため息を吹き掛けるように煙を吐き出して私を睨みつける。不機嫌そうだが何のことは無い、いつもの表情。少し疲れが濃く出てはいるけど。


「あの、みうと……つぐみも昨日から家に帰ってないみたいで。なにか知っていますか?」


 陽菜の家に電話で連絡が入っていたから分かる範囲でしか話さない。だがこいつは、陽菜がつぐみ宅へ行ったことは把握しているのか?

 そして《印》を使ってつぐみの父を消した人、指示した人も教えてくれ。


「いや、特に情報や連絡とかは……入ってない」

「そうですか」


『嘘をついている』


 ――何らかの事情を知っているが、私に伝える気はないようだ。

 明らかに昨日と、昨日以前のことで思い当たることを考えている。


「未羽は――」

「はい」

「未羽は、主役に見合う華があった。ともすれば自己紹介のような演技を飽きさせない、誰からも好かれる魅力。それは前に出る役でこそ光るものだ」

「そう思います」

「つぐみは芝居の引き出しを増やせば増やすほど、自分で工夫して役に合わせられる天性の感覚を持っていた。役者としての伸びしろは過去に活躍したどの女優とも遜色のない逸材だった」


 どうしてそんなことを言う? その落胆と諦めの表情はなんだ。

 すでに戻らない、終わってしまったことみたいに……私の前で言うな。

 

「ひな……」

 

 紙谷リョウジの呟きは、私の為に用意されたものではない。

 正確に言うなら、ここにいない陽菜に向かって何かを言おうとしていた。

 消えている未羽とつぐみと同じように。

 

 ふと、改めて思い出したように私を見た。先ほどの、多少の親しみが感じられる表情ではない。まるで部外者が入ってきたかのような顔をする。


「……それで? こんなところにまだ何か用か?」

「着替えて一息つく前に、劇の評価をいただこうと思いまして。今日は良いも悪いも声に出してもらっていませんし……私の代役はどうでしたか」

「どうもこうもねえよ。俺から言うことは何もない」


『嘘をついている』


 心中で渦巻く憎悪――やり場のない感情を抑えて口から言葉を絞り出している。

 殺意と言っても差し支えない思いを隠して、何か判断を悩んでいるようだ。


「何もない、とは?」

「分からないのか」


 紙谷リョウジがその気なら、私はたやすく組み伏せられ、殺すつもりなら殺されてしまうだろう。役者時代は殺陣に熟知し、芸のためならと声真似から剣道まで修めている。私が仮に10人ほど束になっても駄目だ。まあ《印》で消した方が早いし、証拠も残らないだろうけど。


 逆にこいつの不意をついて刃物――ナイフなどで刺すことは容易いが、意味がないし用意もない。それは、取り戻す人たちが帰って来ないことを確信した時だけ。物語が結末通りに進んでしまったなら、私の敗北だ。その時は私なりの責任を取るしかない。


「ええ。ぜひ教えて欲しいです」

「……そうかよ」


 紙谷リョウジがタバコを捨て、こちらに歩いてくる。……松木アキラと同じ銘柄なんだな。この嗅ぎ慣れた感じ、通りで同じわけだ。憧れや目標として、あいつが真似たんだろうな、と何となく分かる。


 お互いに視線を反らさない。

 ごく近い距離から手が伸びてきて、私の肩に触れた。

 必要以上に力が入っているのが分かる。肩を掴めば、骨が折れてしまうくらいの力。肩から滑るように、私の首筋に手が掛かる――


「ああ、やっと見つけた」

 

 声の主は安堵していた。どうやら二人……いや、三人とも助かったようだ。

 ひとまず良かった。スマートとは言えない、乱暴な手段を取らなくて済む。


「ここにいたのね。探したわ」

「たか子さん! お疲れさまです!」


 相原たか子さんが、私に声をかけて来た。

 通し稽古のどこかで客席にいたのは分かっていた。練習の視察に来たならほぼ確実に楽屋へ陣中見舞いに訪れるのも知っている。遅かれ早かれここには来ていただろう。そんなに悪くないタイミングだったのかもしれない。

 どうせこいつからも聞く予定だったのだから、手間が省けて都合がいい。


「あら……劇の関連で何か話してたの?」

「ええ。そんなとこです」


 紙谷リョウジはポンと軽く私の肩を叩き、タバコを吸いに壁へと寄りかかる。

 その一瞬、目が合った。強い敵意がみなぎっている。

 口裏を合わせろよ、ってアイコンタクトすらしない。心を覗かれていることは御見通しらしい。あるいは陽菜の人格の消失経由でバレたか。隠す気はみじんも無いらしい。こちらで見透かせるんだから当然ではある。


 だが、妙なことをするな、と釘は刺された形だ。

 陽菜の命を脅かすのは極力避けたいけど、どうするかな。もう少し、踏み込んだ方がいいか? 私は代役とはいえ主役だ。JINプロとしてはこれ以上穴を開けたくないだろうが……しかし未羽はいなくなった。私も結果的に同じ轍を踏む可能性はある。


「はい。今日の劇の評価とアドバイスをお願いしてたんです」

「そうそう。私もそれを言いたくてね。楽屋にいなかったから」


 結局、情報収集はいったん諦めた。どちらも敵だった時に困るし、どちらかが無関係だった場合もっと困ることになる。正直消えても面倒を見切れないしな。

 楽屋への陣中見舞いで一番神経を使うのはこの人が来る時だが、ちょっとした一言で気付かされたり、場合によっては緩んだ雰囲気に一本線を通してくれるものでもある。好意的な視点で見るのなら。


「昨日とは見違えて良くなってた。小屋入り初日、初の主役とは思えない。ひなちゃん本来の実力ってところかしら? これなら、抜擢の判断も間違いなかったみたいね」


 ちらりと紙谷リョウジを見て、続ける。


「本番まで時間はないけど、この調子で仕上げていけばきっといい公演になる。今日はそう思わせる輝きを持った芝居だった。――まるで、十年前の七瀬あやねを観ているような」

「たか子さん、それは……」


 七瀬あやね。なるほど。

 それが松木さんや光さんの言っていた、行方をくらませた団員の名前か。

 

 私が初めて聞く名前を咀嚼している時、紙谷リョウジが注意するような口調で軽く咎めたが、当の本人は気にするそぶりを見せず、懐かしさを噛みしめているようだった。


「頑張って、この『第九』が貴方の出世作になるといいわね」

「はい。精一杯頑張ります」

「ふふ。体調管理も役のうちよ。気を付けなさい?」


 そのまま相原たか子を見送る。

 陽菜と私、演技や技術が極端に変わったということは無い。

 演じ手が違うというだけだが、昨日より今日の方が良く映ったらしい。

 役のメンバーやスタッフ、紙谷リョウジをしても似たような評価になるだろう。


 私は舞台に対して緊張をしていない。が、陽菜は舞台に至るまでの緊張も公演の一部だと考えている。困難や緊張も自身の舞台人としての成長過程、そう基本姿勢として捉えている。

メンタルに関してはそこまで差は開かない。なら何が影響を及ぼしたのか。


 昨日の陽菜は、私と人格がところどころで混じっていた。

 それが全てだ。二人羽織でなめらかな演技など出来るわけがない。


 強いて言うなら、新鮮さか。

 演じるという感情、記憶に刻まれていても私には言い慣れない言葉。

 劇の登場人物がその場面で初めて口に出す台詞のそれと、重なったような……

 まあ、陽菜は今回の公演で舞台人としての幕は降ろすつもりらしいけど。

 もっとこの子のこと、もう少し上手く演じてあげられれば良かったのだが、

 私では役者不足だ。


「……そろそろ楽屋に戻りますね」


 背後で、紙谷リョウジはどんな顔をしているかな。

 正直に告白すれば、私のことがどの程度かでもバレてしまっているのは致命的だ。こちらの手の内はいいとして、胸の内……いなくなった人を取り戻す、というところまで探られれば《印》によって今にでも消しにかかる。


 だが、紙谷リョウジは警告をしてくれた。

 これ以上は首を突っ込むなと、分かりやすく敵意をむき出しにして。

 嘘が通じない私にはそれしか方法が無くても、一方的に判断材料を与えている。


 つまり、知ろうとせず。JINプロに貢献し。利用価値のある限りは。消しはしないでおいてやると雄弁に語っている。芦田光を今でもそうしているように。

 振り返り、目を見て挨拶をする。


「明日もよろしくお願いします。紙谷さん」

「家に帰ったら、早目に寝ろよ。……明日があるんだからな」


 『嘘はついていない』


 ――このまま家に帰り、大人しく寝る限りは明日がある。

 ふふっ。ここに至っても律儀な男だ。無言で会釈するだけで足りたくせに。

 この与えられた猶予を存分に活用してやらなくては、誰も助からない。



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