第14話 そんなにお茶は好きじゃない
昨日の夜、事務所から未羽に関する書面と
ホームページの方を携帯で確認する限り『病気療養』のため今回の公演を降板し、復帰に向けていると書いてある。……家族や事務所と本人連絡が付いた、とは考えない。そうなら陽菜の携帯にも連絡するはずだ。
事務所の意向は分かる。田辺未羽の復帰を考えればこその『行方不明』とはせずに『病気療養』という形を取ったのだろう。この判断を許可したということは、近々未羽やつぐみが戻ってくることなのか……向こうのシナリオは通常通り進行している?
本来の経緯を報告しないということは、その結果にはならないという確信があるか、そんなことは些細になるほどの大きなコトが、計画されているのか。
未羽の家族は事実を捻じ曲げるのを反対するはず。……強引に従わせたか、つぐみの父のように消してしまった可能性もある。少なくとも、昨日までは無事だったはずだ。陽菜が電話していた時までは。
つぐみの件には何も触れられてはいなかったし、マスコミも児童劇団員の病欠降板だけでは話題にしようがないという反応だった。場合によっては新聞記者あたりを上手く使って、捨て駒にでも活用しようと思ったが、難しいみたいだ。
舞台上で大道具の配置を待っている間、そんなことを考えていた。目の前に客席が見える。座っているのは関係者くらいしかいないが。このわずかな時間にも紙谷リョウジの指示と怒号がいくつも飛んだ。
「位置取りは前! サスずらしたろそこまで上手奥でどうすんだ! もっとだ!
……よし。檻の柱で立ち位置掴んどけよ! 第四幕は暗転中だからな」
「「「はい!」」」
「シーン最初から転換まで流す! 音響は本番通り、スポは合わせで。行くぞ!」
大きな拍手がひとつ。照明が一気に落ち、真っ暗の舞台は静まり返った。
スポットライトが私に当たり、舞台中央一歩前に出て柱を見上げる演技をする。
『ついに来た……みんな、ボク達はたどり着いたんだ!』
「ひな! 四幕は音上がってるの忘れるな! 会場後ろまで届かせろ。もう一回頭から!」
『ついに来た! ……みんな! ボク達は、たどり着いたんだ!』
小屋入りから舞台に上がるまで息を付く間もなく、また誰かに聞きに行く暇も無かった。
楽屋では主役級の子達と話せたが、急な代役に同情し心配する声ばかりだった。心を覗くまでもない、陽菜が劇の主役になったことを差し引いても、信頼されているのが分かる。
前日に大道具搬入は終わっていて、照明の微調整から今日は始まった。進行はおおむね順調で、舞台練習さえ繰り返さなければ、夕方前には余裕で終わるだろう。つまり、私が主役としての及第点を出せるかどうかが、《印》に関しての聞き取りを行う上で必須になるというわけだ。
私が今ここにこうして立っていることが、陽菜の演劇を否定している。
だが、陽菜には陽菜の役目がある。私がやらなくてはならない。
ここまで舞台で演れているのは他ならぬ陽菜のおかげだ。セリフや動き、それぞれの役の呼吸が手に取るように分かる。記憶に身を任せるだけで、自然と必要な演技を引き出して表現している感じだ。
「よし。オーケイ! キッカケや配置はこれで全部だ。いったん休憩挟むぞ。
10分後に始めから通しでやる。一場面ずつ練習の成果をきっちり出してみろ!」
「「「はい!」」」
* *
主役のメンバー達と短い言葉を交わした後、舞台から降り、いつものJINプロからの差し入れ……
大型のクーラーボックスに入った飲み物を一本取る。よく冷えたそれを首筋にあてて、ようやく私は一息ついた。汗は後で拭く。それよりもこの体の熱を冷まさないと。
通しの練習が終わった時、拍手がスタッフからあった。
いつもなら賛辞なんてまだ送る段階じゃない。紙谷リョウジも褒めてはいなかったしな。
でも拍手を送ってくれたのは、代役が一応はやり遂せたという証だ。
心を極力動かさない。そう決めていた私の感情はひどく揺れた。私から強い懐かしさが込み上げてくる。陽菜の記憶の中、初めての舞台を追体験しているのだろう。胸をゆるやかに締め付ける感動。
――演劇とはこうもいいものなのか。演じるということが心地よい。
満ち足りた気分だ。これは陽菜の体を借りた故の役得として受け取ろう。
「お疲れさま!」
「ひかりさん。お疲れさまです」
芦田光がこちらに声を掛けてきた。
スポットライトを担当している彼女は、演技をより見栄えさせる陰の立役者だ。
「照明、ありがとうございました。私に合わせてもらって」
「ううん。思い描いてたイメージでさ。息ぴったりだったよ。こっちが驚いた」
昨日、芦田光の『第九』を見続けていたからかな。特に足運び。
映像と台本、そして陽菜の引き出し。どれかを偏って意識していた訳ではないが、照明との呼吸を合わせる時間が掛からなかった分、幸いだった。
「今日の練習始まる前、みんなを笑わせてたでしょ。心境の変化だよね?」
「あ、あれは私が緊張していてですね……メンバーも代役の私に引っ張られて、不安だったから、何とか取り払えないかと思って」
周りがガチガチだったから『主役は緊張してないぞぉ!』
ってポーズを取っただけだ。
面白おかしくしたわけじゃないから、みんなが笑ったのは想定とは少し違った。まあ、堂々とし過ぎてるくらいの大げさな演技だったし、笑ってくれるなら緊張は解けたんじゃないかな。
陽菜とつぐみ、未羽のやる寸劇のようなものだ。あれも周りを和ませる劇場効果が強かった。
芦田光は面白おかしく笑ってくれた。なんかすっごい素の笑いって感じがする。 この人のテンションが高い顔はあまり陽菜の記憶にもない。本当に楽しそうだ。
お互いにスポットライトを通じて息が合ったからか、あれは気持ちがよかった。
「あれ? 陽菜がジュースを選ぶのは珍しいね。いつものお茶じゃないんだ?」
「……そうですね」
確かに。陽菜なら差し入れからは、お茶のペットボトルを選ぶ。
甘ったるいジュースは多分ノドに良くないしお茶の方が好き、という何の根拠もない、陽菜の個人的な嗜好と信仰だ。意識していなかったせいか。ジュースを取ったのは……小学生じゃあるまいし。
まあ、初の主役で迎えた舞台、多少普段通りで無くても不審には思われない。
いいんだ。――どうせ味なんて分からないんだし。
お茶より栄養を取った方がいいんだ多分。
「思った以上に体力を使って……糖分で補給です」
「主役は負担があるからそれがいいよ。私の時はジュースばっかり飲んでたなー」
「光さんは急な代役で主役を任された時、どうでしたか」
芦田光は少し考えてから、んん、と咳払いをして真剣な顔になる。
「実を言うとね、あんまり憶えてないんだ。動きを叩き込めるだけ体に叩き込んで、あとは自然に動いてくれっ! って感じだったかな」
「憶えていない? ……記憶が飛び飛びな感じですか」
「いや、思い出したいことがうまく探せないって感じに近いかも。時間が迫ってたから、無我夢中ってやつかな? 後は、いなくなったメンバーのことが、ショックだったのかもね」
『嘘はついていない』
何度思い返してみても、決してたどり着けない記憶に、戸惑っている。
……こいつも《印》に関わっていたのか。この反応を見るに、哀れな犠牲者のうちの一人と言うわけだ。消えていないのは、知られていては不都合なことを忘れているから。
となると《印》の呪いは記憶の出し入れも自由なのか?
それとも人格が入れ替わっている間のことは認識できない?
仮に陽菜の人格が元に戻ったとして、一切を忘れている可能性が立つならメモでも残しておいた方が保険になるかもな。
あれこれ思考を張り巡らしていると、晴れ晴れとした顔で芦田光が笑っていた。
「今日は久しぶりに楽しかった。昔の友だちと会えたような……そんな気分だよ」
「そうですか」
ありがとう、と言う感謝の声が、私の胸にすとんと収まる。
……推測するなら『第九番のキセキ』を当時の年齢に近い私が演じたことによって、芦田光自身が当時と違う目線で見れたからそう思えた。そんなところなのか。
だがあまり興味がない。
重要なのはこの人も多分、《印》を使ったか使われたかしてるってことだ。陽菜と同じような状態になっていた。つまり行方不明になった団員も《印》で消えたという裏付けになる。
――今の芦田光は、芦田光の人格なのか?
それとも私のようにその身体を操作している自覚のある、別の人格なのか?
「なんだー? 難しい顔して。ほらほら、ほっぺもおでこも揉んであげよう!」
「ひゃっ、ちょ、ミツ……ひかりさんっ!」
……悪意や嘘はない。現段階では。
上機嫌で私の顔を撫でまわしている姿が、つぐみや未羽と重なる。
この人の地、というのが出ているんだろうなきっと。
途切れた記憶も意図的に操作されているのかもしれないが、想像でしかない。
芦田光のフリをしていないことを考慮するなら、人格は本来のもの。
この人を探れば、陽菜に身体を返せる算段と、真相究明、及びつぐみと未羽を取り戻す一石三鳥が狙えるかもな……まだ情報が出揃ってないうちは保留にするが。
十年前と同じ劇。消えて行った主役。自分を失った代役。その繰り返し。
だが私は消えない。少なくとも未羽とつぐみに会うまでは。
物語の結末がすでに決まっているなら、私が……
脚本家に成り代わって念入りに焼き直してやる。
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