第12話 むねあかどりは語る
「いらっしゃい。ずいぶん早かったね」
「おじゃまします」
つぐみのパパに迎えられリビングに通された。二階建てで、つぐみの部屋は二階にある。あまり一階に長居したことはないから、何だか別の家に来てるみたいな感覚になる。
松木さんは、私が行くという約束だからと車で待っている。無理言って二人で来て、つぐみのパパの機嫌を損ねることもないか。それに松木さんはかけた電話で相当感情的に怒られたらしく、訪問には気が引けているようだったし。
「お茶とジュース、どっちがいいかな」
「あ、お茶でお願いします」
仕事もあっただろうけど休んだか早退してるんだろうな。
あまり眠れていないのか、具合が少し悪そうに思える。
つぐみの家庭は母がいない。いないといっても亡くなったわけじゃなく、つぐみの断片的な言葉を思い出すなら、病気か別居か。その辺りだと思う。昨日からの状況とは関係なさそうだ。つぐみは前向きに考えているようだったし、演劇に没頭することでその問題から逃げていたってことでも無い。
しばらくすると、つぐみのパパがお茶を二つ持って来た。
「つぐみ、どこにいるのか心配です」
「うん。……もし事件や事故に遭っているなら、代わってやりたいよ」
『嘘はついてない』
つぐみのパパは私の前で演技をしていない。
ちゃんと『最後につぐみと会った時を思い出してから』言っている。
どれだけつぐみに対して愛情が深いかまでは見えない。でもそれで充分だ。
ひと安心して、お茶を一口のむ。……あまり苦くない。私のために薄めに作ってくれたみたいだ。濃くても大丈夫だけど。お茶はけっこう好きだから。
「昨日、劇団の練習を久しぶりに見に来てくれたんです。オーディションも受かって、その報告もしていたみたいで……楽しくスタジオを見て回っていた、と思います。そのあと舞台道具の搬出を手伝って、用事があるって帰ったのが、15時過ぎでした」
「用事、か。そこからは、こっちに連絡もない。夕食の時間でも帰って来ないから、ひなちゃんの家と田辺さんの家に電話したんだけど」
「電話ではなんと言っていました? 二つの家で」
「君のお母さんが出て、短く分かりません。とだけ。田辺さんのとこは何か分かりましたら連絡します、と言ってた。どちらも、少し――」
「冷たいというか、あまり協力的ではないように感じた?」
「そうそう。そうなんだよ」
『嘘はついてない』
つぐみのパパは私の前で演技をしていない。
ちゃんと『二件の電話内容を思い出してから』言っている。
……おかしいな。少なくとも、それが事実だと信じているようだ。
勘違いでそう思い込んでるってこと? 考えにくいけど。
「事務所に、スタジオの方には連絡をしました?」
「二つの電話の後で。ひなちゃんの言った通り、裏方を手伝ってから帰ったって」
と言うことは事務所がこの段階で情報規制をお願いしたわけじゃないのか。
対応が塩っぽいのは気になる。
「それから警察に電話した。夜7時前くらいかな。もう業務外時間だったから、捜索願いの届け出は今日の朝やったよ。知らなかったんだが、事件性が無いと捜査はしないと言われた」
つぐみパパは軽く捜索願いのことを教えてくれた。
要するに事件性があったり、人命に関わると判断されなければ積極的に警察は動かないってことらしい。届け出自体はコンピューター登録されるので、巡回で見つかったり補導されたりすれば、連絡が入る程度のもの。
「田辺さんの所からいまだに連絡は無いが、みうちゃんも帰ってないんだろう?」
「はい。それを電話で言ってこないのも妙な話ですが」
「……今日、時間をかけて劇団のことを調べていてね。中には良くない噂も聞いたよ」
「えっと、どんな内容でしょうか」
「JINプロダクションに関わって、行方をくらませた人が絶えないって噂だ。対立している事務所の重役や、テレビ業界の有力者。ここ十数年で有名人の行方不明者は何人もいるが、不思議と、JINプロの障害になる人物ばかり」
……さすがに根拠や現実味がないような。本人も真に受けてはいない。
ただなんとなく『関連性がありそうに感じて気持ち悪い』そんな風に思ってる。
「児童劇団でもそうだ。十年くらい前に、一人の子役がいなくなってるだろう?」
「たしかに、その団員は行方不明になっていますが、そんなこと……」
「分かってるよ。俺も信じてない。でも、今朝新聞や放送局の電話が来たんだ……取材のな。もちろん断ったよ。しかし事務所のことを調べたり、君の話を聞いて思った。娘のことを伝えれば、マスコミも動く。その方が娘もすぐに見つかるんじゃないかって」
未羽とつぐみは、児童劇の主役とオーディション3枚抜きの子役だ。
仲のいい二人が突然に行方をくらませた……マスコミには格好の話題になる。
宣伝効果は大きい。人の関心を引くことで、思わぬところで発見の糸口が見つかるかもしれない。警察の捜査だって進む可能性が出てくる。
「そうなると……」
「うん。まず児童劇団と、JINプロは叩かれる。過去のくだらない噂と結び付けて悪者にされてね……俺は、自分でも我慢ならないその手段を取るか、迷うところまで来てる」
事務所は書面を出し、明日の朝には知れ渡る。書面をどのように扱うかは事務所の意図によるし、少なくとも問題が広がらないようには手を回すと思う。
つぐみの情報を流せば、事務所の予期せぬ反応が起こるかもしれない。悪い方に転がれば、劇団への反応や公演の自粛だって起こり得る。人間の気持ちは流動的だ。物事をそのまま理解する必要なく、好きにも嫌いにもなれる。
ほんの少しの悪意と、どこまでも聞こえる拡声器。
その怖さは私でも分かるくらいだ。
「――つぐみが、楽しみにしてたんだよ。君たちの劇を」
まっすぐに向けた視線と言葉。やっぱり親子だ、つぐみと似てる。
こんな風に父親として話せるならつぐみが家出するようなことは絶対にない。
正直羨ましい。
その一言が全てを語っていた。葛藤と決断できない理由も。ため息を一つ付いて椅子に背を預けるその姿は、諦めるというより自分の確固たる道理を改めて悟ったように見えた。
「ひなちゃん。うちの娘は、何か悩みだったり問題を抱えていたかな。父親として見落としていたことはあったのか、知りたいんだ」
「……オーディションに受かるまでは、悩んでいたと思います。でもチャットのやり取りと昨日の様子を見る限り、家出などを疑うのは無理がある」
つぐみはオーディションに受かって、松木さんを含む私たちに伝えた時、家族に対しても支えてくれた感謝の気持ちを持っていた。家出なわけはない。もし私が想像できないプレッシャーに参ってしまったとしても、まず私や未羽を頼るはずだ。
「本当になにもないかい? いつもと違う様子。普通じゃないこととかは」
おや。
今何か『嘘』じゃないが、心の中をかすめたものがある。そしてそれを隠した。
「普通じゃない、とは?」
「見たことがあるかは知らないけど……なんて言えばいいかな」
つぐみパパは言葉を選んでいる。つぐみに対して悪い印象をさせたくないというよりも、どう表現していいのか分からないという感じだ。
「自分が自分であることを忘れてしまっているみたいな、つぐみらしさが零れ落ちていってるみたいな、そんな感覚になったことあるかい?」
「……いつ頃の話ですか」
「ここ最近、急にそう感じることがあったんだ。話している時は普通でも、食器を洗っていたりTVを見ている時間に。オーディションで悩んでいたりって顔じゃないんだよ」
昨日、そんなつぐみを見ただろうか。
いつもの様子と変わらないようだったけど。
父親にしか読み取れない小さな仕草も、あるのかもしれない。
私がパパの小さな嘘を見破れる時があるように。
「最近は会って遊んだりはしてなくて、昨日はそんな風に見えませんでした」
「そうか、うん。変なこと言ってしまったね」
申し訳なさそうに顔をしかめた。もしかしたら微笑みを向けたのかも。
疲れたのか話すことが尽きたのか、それきり何も言わない。
その表情に『嘘はない』
手で、胸と額を押さえた。ちりちりと火花が散っているような感覚になる。
同時に意識の中の水槽に、砂利が混じっていくような違和感。
胸の音も呼吸も、普段通りだ。
特別苦しくもないのに、所々が悲鳴をあげているみたい。
私は席を立って、視線を泳がせる。
部屋の奥、窓は開いていて風が通っていて涼しい。
これ以上、つぐみのパパを見てはいけない気がした。
「……つぐみの部屋、行ってもいいですか?」
「ああ、どうぞ。少し服とかで散らかっているが」
* *
二階のつぐみの部屋は、言われた通り散らかっていた。
何着も引っ張り出されたままの服、タオルケットが少しめくれたベッド。
未羽と一緒に遊びに来ては、何時間でもしゃべっていたっけ。
昨日、つぐみがスタジオに向かったままの状態で置いてあると言われたが――
ざっと見て回る。服は全てつぐみの外出用だ。見覚えがあるものばかり。
これだけですでにおかしい。本来のつぐみらしさからは外れている。
『自分が自分であることを忘れている』
もしそれがぴたりと当たっているのなら、つぐみは、着ていく服がどこにあるのかを忘れたか、どの服が自分に似合うのかを忘れたか。そう考えればこの散らかしようも一応説明はつく。
「あるいは……」
ベッドの片隅に小型のポケットアルバムが出しっぱなしにしてある。開いてめくると、児童劇団で撮った写真が入れてあった。このアルバム自体、私も見た覚えがある。最後のページは、つぐみが劇団最後の公演をやりきった後みんなで撮った集合写真。
昨日のつぐみの服は、たしかこの時と上着以外全く同じだった。
……この服装を探し続けた結果なのかもしれない。
そして片付ける時間もなく、スタジオへ。
パニックと言っていい散らかり具合だ。
机も普段とは違い、色々なものが出ている。
メモ書きが数枚とボールペンに蛍光ペン。
その下に色紙があった。つぐみが退団する時に渡した、みんなで書いた寄せ書き。松木さんや光さんにも書いてもらって、私と未羽がシールとペンを使ってデコレーションしたっけ。見てくれてるのは嬉しいけど、何もこんなところに埋もれさせなくても……と手に取ってみる。
その下にも色紙があった。その文字がふいに目に入ってくる。
《日野ひなへ 初期のレッスンルーム劇場一同より!》
《立ち練習ずっと付き合ってくれてサンキュー》
《また劇場茶番やりましょう!》
《役練の時、ひなの短いアドバイスがどれだけ的確で助かったか》
《自主錬で頑張っている先輩の背中をみて、やってきました。素敵でした!》
《泣きそうな練習も、劇場のおかげで楽しくできました!》
《練習と茶番のギャップが魅力》
《またつぐみさんと遊びに来てください。もっと面白い劇場をお見せしますよ》
《劇場では普段と違った意外な一面を見ることができ、嬉しかったです!》
これは、私に向けた寄せ書きだ。……松木さんのメッセージもある。
もちろん児童劇団のメンバーには、退団の事は言ってない。
紙谷さんが教えたか、未羽かつぐみのどちらかが気付いたのか。
たぶん紙谷さんかな? 端役常連の私が抜けるにしても、その後の劇が回るようリーダーの未羽あたりに言ったのかもしれない。二人なら、感付いたら先に引き留めるだろうし。
どちらにしても、公演の練習中、特に第三幕の場面がどうしてもうまくいかなかった時、みんなはこれを書いていてくれていたのだ。茶番の事ばっかり書いてるけど。
本当に、奇跡的にいい子達が集まった中で私は演劇をやれたんだな。
二つ、スペースが空いている。……未羽とつぐみの書くところだ。
ということは三か月以内のどこかで、二人は私に秘密で会ってた訳ね。
もしかしたら昨日、つぐみがこれを書き終わって未羽に渡す、ということも予定としてあったのかもしれない。二人でデコレーションするのも。
数枚のメモ書きは、つぐみが私あてに走り書きしたメッセージだった。
何を書きたいか、伝えたいのか、うまくまとめられないように感じる。それに、ありふれた別れや励ましの言葉が、書いては消されているのが分かる。
これも気持ちをまっすぐに伝えようとする、つぐみのイメージと合わない。
「んん……?」
メモ書きの一枚を手に取る。
それは、どうも寄せ書きと関係ないような、断片的な言葉だった。
人をのむおまじない 使いすぎないこと
印は 必ず持っておく しゃべらなきゃOK?
自分をさいてセーブ バレないようにえんぎ
心を守り 体を奪われないためのしるし
檻の外のかいぶつに声をかけない
サイフか スマホカバーにはさむの?
元に戻す おまじないの大きさには気を付ける
バラバラに千切れた文章を整理すると、こんな感じか。誰かと電話してる時にメモを取ってたのかな? それも、何となく親しい人と電話をしながら。
どうも寄せ書きとかと何か違う。こんな書き方、つぐみの文字かこれは。
どこかで前見たような――
「……! ……!」
一階。つぐみのパパ。誰かを怒ってる? 電話? いや着信音は聞いてない。
「……? ……」
気のせいか。普通の声だ。誰か帰って来たのかな。
来客だったら私もそろそろ帰らないと。
――コップか湯呑の割れた音。
つぐみの部屋をあとにして、階段を急いで駆け下りる。
どうしたんですか? と声をかけようとする。
床に割れた湯呑。その上でもがく足。
こっちに気付いていないような、焦点の定まらない眼。
――つぐみのパパは、空中を吊られたように縫い止められていた。
そこにはワイヤーもピアノ線も見えないのに!
じわりと身体の縁がにじみ、黒い影が空間に溶けて、
こちらにも漂ってくるように広がっていった。
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