第11話 密会と耳鳴り




『ごめんなさい。今は誰にも話せなくて』


 ……これは確かに、取りつく島もない。

 未羽のママは私を、娘の友達として話したい気持ちはあるけれど言えない、という内容の断りを入れられた。この話し方。うちの事務所か、警察に何か釘を刺されてる感じ。

 劇団やJINプロじゃ不用意な発言はまず出ない。今日中に書面やコメントを出すようだから、マスコミの人達は家族の方に聞きに来る。そういうことなのかな。情報を漏らさない為の指導がされているみたい。


 となると、つぐみの方になるが……もっと無理そうだ。

 パパが怖いんだよね。つぐみを男にして、四倍くらい厳しくした感じ。でも松木さんの言葉を借りれば、請け合った手前ってやつだ。電話は掛けてみる。


『……はい。早川ですが』

「あっ、もしもし。あの私」

『雑誌か新聞の方? 今は何も――』


 つぐみパパだ。電話越しだとより凄みがある。


「日野です! つぐみの友だちの」

『日野?』


 JINプロ関係者って言わない方がいいような気がする。もし情報規制の指導が事務所だったことを考えて。あとは、私を憶えててくれることを祈る。

 迷惑かなって思うくらい頻繁に家には行ったんだけど、顔はあまり合わせなかったから。


『ああ、日野陽菜ちゃん! いつもつぐみと遊んでた』

「はい。そうです」

『ごめんね、電話たくさん掛かって来てて、つい気が滅入った声出しちゃったよ』

「いえ。こんな時に電話してすみません」

『いいのいいの大丈夫。居留守にしなくて良かったよ』


 んん? こんなフレンドリーだったっけつぐみパパ。

 定型文の断りを入れ続けた反動?

 それとも仕事の種類とかで電話で声と調子が変わるタイプ? 判断はつかない。


「少しお話を聞けたらな、と思いまして」

『うん。こっちも言いたいことはあるんだけどね……』

「話したいけど今は話せないってヤツですか」

『ええと、うん。どうしようかな』


 言いよどみと葛藤が何となくわかる。無理には聞くのは悪いかな。

 しばらく電話の間があいて、一段階トーンの下がった声がした。


『今から夕方くらいの時間までに、家に来れる? そこで話をしたい』

「家、ですか?」

『うん。話はそんなに長くはかけない。こっちも聞きたいことはあるけど』

「そうですねえ……」


 えっとどうしよう。家なら話は聞けるみたいだ。

 つぐみの家には何度も行ったから場所は分かるけど。

 家にパパしかいないんだったら、どこか近くで話せる所とかはダメなのかな。


「つぐみは何か言っていますか? 携帯でずっと連絡が取れないんですが」

『……ああ、そうか。そう言えば聞きたい要件は何?』


 何となく違和感があった。嫌な引っかかり。

 それと同時に胸でも頭でもない所から、誰かが叫んでるような感覚。


「昨日から、田辺みうが家に戻ってなくて……つぐみなら何か知ってるかなって」

『それは本当か!』

「はい。あの、どうかしましたか?」


 ――嘘ばっかり言いやがって。


 そんな小さな呻く声が聞こえた。身体がびくっと震える。

多分、私に対してじゃない、と思う。低く怒った声があまりにも突然すぎるから。

 

『ああ、すまない。昨日の夜、日野さんと田辺さんのところに電話を掛けて、両方とも知らないと、そう言われたんだが。実は……つぐみも昨日から帰って来てないんだ』

「えっ」

『今の事も含めて、家で話を聞きたい。どうかな』


 つぐみもいなくなった。

 私はどこかで、その可能性を常に無視していた。

 そうでもなきゃ昨日からの出来ことは全て夢、そう思い込む方が楽になってしまう。でも、現実なんだ。


「向かいます。今から」

『分かった。あまり遅くならないようにね』


 そう言って電話は切れた。

 携帯を持つ手が重い。重さに負けそうになる。


 昨日から未羽とつぐみがいない。

 少なくともつぐみのところは、仲良しの私達の家に電話をかけた。

 交友関係からあたってみるのも当然だろう。


 私の家も未羽の家も『知らない』だけですますか? 未羽のところは『私のとこも帰ってないんですよ』あたりの言葉が出て、家どうしで連携を取り合うはずだ。

 私の家ならまず私に聞いてみる流れになる。でも昨日は何も聞かれてない。

 事前に情報規制……この場合は警察じゃなく事務所、がそれぞれの家に連絡をした?

 もし仮にそうだとしたら――


「早すぎる」


 思わず声が出た。いつ知ったのか、それがどれくらい早くても判断する時間が短すぎるだろう。分からないことが多くて、推測ばかりだし考え過ぎか。

 それよりも、松木さんのところに戻らなくちゃ。




 *  *




「ほれ。約束の『第九』の台本とDVD。……家に再生機器とかあるか?」


 信号待ちの時、松木さんが運転席からビニール袋を手渡してきた。

 保存状態が心配されたが、プラスチックのケースに入っていて大丈夫そうだ。


「はい。ありがとうございます」

「返すのはいつでもいいぜ。好きなだけ参考にしてくれ」


 私は頷いて応えた。もう車は動き出していて、松木さんは運転で前を見ている。

 ――松木さんとドライブ。つぐみにどう話したらいいものか困るシチュエーションだが、そんな気楽にはなれない。車で向かっているのはつぐみの家で、そしてつぐみは家にはいないのだから。


 さっきの電話の話を松木さんにすると、今日は車で来てるから送る、と言うことになった。車でスタジオに入るのは滅多に見ないのだけど、本来ならつぐみの家や未羽の家、アポのついたところに回る予定だったらしい。

 一度、用意する物があるから、と言って松木さんのアパートに寄って、今はつぐみの家に向かっている。おそらくこの台本と映像DVDを取りに戻ったのかな。


「あれ、この台本。表紙が破れてますね」

「車の中であんまし見るなよ、酔うぞ。……十年前の物だ。痛みはするだろう」


 痛みってよりも、意図的に破いたような。しかしざっと見ただけでも、台本が月日と指で摩耗した感じがしてすごく読み込まれているのが分かる。


「これを見て、明日からの小屋入りでも頑張りますね!」

「おう。頑張れ。ひな達の初日が終わる頃、劇団JINもエンジン掛かるぞ」

「来週から舞台を含めた総浚い練習でしたっけ?」

「ああ。……そういや、お互い主役か。すまんな、本来なら今この時間も惜しいのに」

「つぐみ達のことも、心配ですから」

「そうか。難しい顔してるわけだ」

「あ、えっと……」


 台本を眺めてた顔を上げる。運転中だけど、ルームミラーで見られたかな。

 松木さんからはタバコとシャンプーの匂いがする。シャワールーム備え付けの、香料が濃い市販の安いシャンプー。私達は、汗を流すだけで使ってたけど、そこまできつい匂いじゃないんだ。……こんなのも、つぐみがあなたを好きになった理由の一つなのかな。

 フレンドリーに接してるように見えて、人との距離は置きがちな松木さんだから、助手席の距離だと何だか近すぎる気がしてきた。


「未羽の代役のことか? つぐみのことか」

「ええと、どちらもです」

「急な代役なんだ。駄目で元々、上手くいけば上等! ……なんて考えは通用しないよな」

「はい。演じるからには満点の完成度、ですよね」

 

 たとえ代役であっても、公演に見合う質を常に求める。どの劇団でも舞台でもそうだろう。少なくとも私は、そうやって教えられてきた。だから紙谷さんが私を指名した時、私なら出来ると信じてくれてると、思った。

 ふがいない演技しか出来ない自分に、また腹が立つ。


「そうだ。台本や映像を見るのもよし、良いイメージを膨らませるのもよし。上手く演じられると思うものは何でも使え。で、分からないことがあれば、ガミさんやミツに聞きな」

「紙谷さんと……光さんにですか?」

「二人とも、代役を経験してる。それも、逃げ出したくなるような急場を」


 初耳だ。光さんの名前が出たのはあれっと思ったけど、そういう体験をしているのなら、有効なアドバイスを貰えるかもしれない。


「ガミさんは昔、主役がケガか何かで降板。んで公演数日前に頼まれて、立派に代役を果たしたことがある。それも、本人が携わってない劇で、台詞や動きを一から入れてったんだと。借りてきた猫じゃないが、気後れせずやるのは難しいのにな」


あんな頑固そうに見えて、紙谷さんは結構芸達者だ。物真似、声真似から表現、動きの引き出しも多くて、私たちに惜しげもなく教えてくれてる。今日練習前にそんな一言があったら、もう少し私のぎこちなさは減っていたかも。


「ミツは今回のひなと状況が似てるな。……行方知れずになったメンバーの代わりに、『第九』の舞台に立った。……開演まで23時間前のことだ」

「にじゅ……一日より少ない時間で、ですか」

「23時間ってのは衝撃的だよな。俺の知ってる代役界隈でも最短だ。ミツは『第九』自体の端役予定で、全体の動きと台詞がもともと入ってたのもあるが」


 23時間。公演前日の最終リハーサルが終わって間もなくの時間から。

 光さんはその日、立ち位置を確認するくらいしかできないから、当日にリハーサルを追加したとしてもほぼぶっつけ本番。凄いとしか言いようがない。

 その夜、普通の精神状態で眠れたんだろうか? 私なら眠れないかも。


 光さんはその後、演じる側を引退して照明の道へ進んで今に至る。

 急過ぎる代役が切っ掛けで嫌気がさして、役者を辞めたのかな。いや……それでも舞台に携わってるんだ。演劇自体を嫌いになったわけじゃないか。


「ちなみにそのミツの映像な、渡したDVDに入ってるから。参考になるぜ?」

「……私がどれだけ甘えていたのか、よく分かりました」

「いやいやいや、初日まで三日しかないひなの状況は充っ分にハードだよ」


 松木さんのフォローが入り、代役や演劇の話をしているうち、もうすぐ着く、と松木さんが言った。確かにつぐみの家から近い場所だ。


「昨日見てた交換日記とか、持って来てるか?」

「日記ですか。ありますけど?」

「そうか、メモ取れればなんでもいいんだが。ひなの知らないことを言っていたら、文字にしておけば俺も読めるからな。逆に少しでも違和感があれば、向こうに聞いてみるといい」

「軽く話すだけで、取材じゃないんですから」


 やんわりと否定の意思を伝える。大切な交換日記に、何かを書く気はない。つぐみの家族と話して少しでもお互いの気が晴れるなら、会う意味はある。


 松木さんがさっきアパートに行ってる間に、ママに電話した。昨日、誰かから連絡が来てないかを確認してみたのだが。フリーダイヤルの勧誘やらはあったけど、特には他に無かったらしい。

 

 となると、つぐみのパパは嘘を付いてるってことになる。

 昨日の夜、私の家に電話していない……こんな、すぐに分かる嘘をついて、何になる? 私をどうしても呼び出したかった? 

 ただの向こうの勘違いの可能性もある。だいぶ慌てていただろうし、それもあってこのことは松木さんに言っていない。


「どうした?」

「あ、えっと……あ、この辺で止まってください」


 松木さんに駐車を促す。正直、分からないことは多い。

 でもそれも、聞けば分かる。

 そこからまた考えて行けばいいんだ。




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