第10話 誰の目にも触れないもの
午後の練習が終わって、私はみんなよりだいぶ遅く階段に向かって歩いていた。
これから帰る準備をするか居残りするか、決められないまま。
レッスンルームには正直行きたくない。今はメンバーと顔を合わせたくないし、未羽のことをどうしても思い出してしまう。舞台を降りる時に何人かから声を掛けられたが、大した返事も出来なかった。未羽のことで集中できないですよねと言った励ましや、明日の小屋入りのこととか。
小屋入り、そうだ。
私の演技がお粗末だったにも関わらず、明日朝小屋入りの予定に変更は無い。
午前中ここで通し練習をしてからっていう話にも、ならなかった。
わたしだって児童劇団の団員だ。
準備が不足していたって最低限これくらいは、って演技はできる。それに《第九》は今日までずっと練習してた。台本を今日渡されたって訳じゃない。目指していた主役の一つ。なのに役に入り込めない。
未羽のことは心配してる。でも一度舞台に立てば、全てを置いて役を演じるべきだって思ってる。
私は、完璧には割り切れなかった。どこかで無理をしていた。
それが演技に出てしまった。そんな感じだ。
「……なんで」
ため息が自然に出る。
紙谷さんにはたっぷりと怒鳴られた。主に立ち位置、声、幕開けの配置など初歩的なことを徹底して。逆に台詞や表現は一切言われなかった。多分そこを追及できるレベルに私がいけていないせいだろう。端役ばかりだった三年間より、主役に抜擢された今日一日の方が多く怒られたのがまた泣ける。
階段に差し掛かると、下の階から声が聞こえてきた。
「当日配るパンフレットは間に合います。もう変更の指示は向こうに掛けました」
「肝心の主役の方は間に合うの? 初日までに仕上がるとは思えないけど?」
「いえ、それは……」
紙谷さんと、JINプロの代表、相原たか子さん!
なんでここに? いや、まず挨拶をしなきゃ!
「おはようございます!」
「ああ、ご苦労さま。日野……ひなちゃんね。さっき練習を見させてもらったわ」
すごい。オーラがすごい。元女優の雰囲気そのままに、私に話しかけてる。
輝きなら、紙谷さんや松木さんも相当なもののはずだけど。やっぱり違う。
松木さんはあえて奇抜な行動や、言動で感じさせないというのも少しあるかも。
「急な代役と……そうね。同じ劇団の子が役目を放棄してここに来ていない。かかる負担と重圧は相当あるでしょうけど、主役は主役らしく周りを引っ張ってやりなさい」
「はい! 精いっぱい頑張ります!」
「いい子ね。期待しているわ」
そのまま二人が階段を昇って行って、すれ違う。
紙谷さんが軽く会釈をしてくれた。なんとなく、明日の小屋入りのことで余裕が無いように感じる。主に私の演技が問題外なせいだ。
相原たか子さんは、未羽への対応や今後の方針を決める為に来たのかもしれない。公演が問題なくやれるのか、その判断も。
一つだけ、私がぐっとのみ込んだ言葉があった。
未羽は身の丈に合わない難解な主役でも、台詞のない端役だとしても、絶対に途中で投げ出したりしない。泣きそうな顔を劇では感じさせない、尊敬できる強さを持っている。
何か事情がある。ケガ、事故、事件、あるいは――
それを考えるほど悪い想像が浮かんでしまうが、今は置いておく。
未羽の代わりとして舞台に立つ。その強さを、少しでも共有したい。
* *
「無いなあ」
一階の倉庫で、天井を見上げた。
段ボールを歳の数ほど開いては閉じるの作業。しまうのも大変な量だ。
十年前の『第九番のキセキ』台本。さすがに当時の役者個別分は無くても、スタッフ稿くらいはあるかなと思っていたが、見つからない。倉庫には古い衣装や材料の他に、使い終わった台本が紛れていることがある。自主練習の時つぐみ達とあれこれ漁り、初読み稽古と言う名の茶番を繰り返していたので、おおまかに年代や探す当てはあったが、古すぎるものは適当に処分されているようだった。
王道の劇なので、つぐみや他のメンバーが演りたがったが、茶番の時も『第九』だけはやったことが無かった。そもそも倉庫にはもう無いのかもしれない。
「映像のデータもない……どうしよう」
携帯のチャットに、音声も繋いでないのにつぶやく。
相変わらず、既読は一つも付かない。つまり未羽もつぐみも、携帯に触っていないってことになる。チャットの新着コメントは表示が出るし、まずチェックするだろうし。
先に資料室に言ったが、CDやDVDの欄にも『第九』は無かった。
少しでも参考になるかと思い立ってみたものの、いきなり躓いたかな。
未羽の主役の演技は、私の目に触れて焼き付いている。その動きをなぞることは出来る。でも感情は別だ。場面ごと、台詞ごとにどう思って演じていたかが分からない以上『未羽と同じ演技』は出来ない。
それなら私なりの演技をすればいいのだが、どうにも今日は上手く表現しにくかった。時間もない。せめてメンバー以外の新しい表現、昔の台本でも映像でも見て、読み解いてお手本になるようなものが欲しかったのだが。せいぜい、過去の公演目録くらいか。それも簡単な概要が載っているものしかなかった。
各演目の出自、内容が数行といった程度の。
『第九番のキセキ』はおよそ90年前、原作者不明の作品を演劇用にリメイクしたものだ。そこから多くの人に親しまれ知られてはいったけど、作者や作品がいつの年代かは分かっていないらしい。心の部品、とか時代背景的にはそこまで古いものじゃない気がするけど。
原本には『これらは すべて 事実のもとに』という一文があるらしい。
少し笑ってしまう。
だって、中盤からラストにかけて出てくる《無数の心の部品をつなげ合わせたかいぶつ》と登場人物が戦うなんて場面……それが、実際に起きたってこと? うーん。どういうことなんだろう。
でもそれを深く掘り下げてみたって、演技方向の開拓にはならなそうだしな。
片付けて倉庫を出る。空調が効いてなかったので、少し汗をかいてる。
タオルはあるし、シャワーを浴びて帰ろうか? と思った時だった。
「はい……、いえ、そう言うつもりでは……あの」
休憩室の前、松木さんが電話してるのが見える。
倉庫と休憩室はわりと近いが、休憩室に人が居たら迷惑なレベルの大声で話していた。電話が来たから部屋から出たのかな。倉庫の中にいても聞こえそうだけど。
「落ち着いてください。少しでも話を……! あっ……」
「マツキさん。どうかしたんですか?」
電話を切られたらしく、声を掛けて聞いてみた。
『途方に暮れている』という気持ちを、同じく私も持っていたから。
「どうもこうも……一方的ってのはままならんねえ」
「そうですか」
「ひなはいま練習終わったのか? ずいぶんかかったな」
あまり深刻な問題でもない? 私に掛ける声は調子が軽かった。
……松木さんが問題を深刻に考えるのをあまり想像できないけどね。
「練習自体は一時間くらい前に終わったんですが、倉庫で資料を探していまして」
「資料? ……ああ、未羽の代役、大変みたいだな。『第九』の台本でもあればってか?」
「はい。でも倉庫の方には無くて」
松木さんは何か考えているようだった。渋い顔をしている。
言っていいものか、悩んでいるのが手に取るように分かった。
「私が力になれることはありますか?」
「……台本な。俺が持ってる奴があるんだ。それを貸してやるよ」
「本当ですか!」
「代わりと言っちゃあなんだが、頼まれてくれないか」
「出来ることなら何でも」
「電話をして欲しいんだ。未羽のことが気にかかってな。携帯じゃもちろん出ないし、未羽の自宅にもつぐみの自宅にも掛けたんだが、取りつく島もなくて……ろくに話も出来なかった」
松木さんは話が特別上手いと言うよりも、いつの間にするすると相手の本心を引き出してしまう、そんな話術がある。でも本性を隠して、良識ある好青年を演じて駄目だったのなら、恐らく誰でも無理なんじゃないかな。
私だけの強みは、未羽とつぐみと友だちってこと。それ以外には無い。
無いが、松木さんのお願いだ。叶えられる限り手を貸してあげたい。
「電話でどんな状況か、聞ける範囲で聞いてみればいいわけですか」
「そうだな」
「分かりました。やってみます」
「おお! すまんな。恩に着る」
松木さんは不思議とつい助けたくなる人の良さがある。
弱い部分を不快にさせない程度に出してくる。人間臭さとでも言うのかな。
一歩間違えば、変態の駄目男でもおかしくないのに。
出来る限りを尽くして力になりたい。助けたい。
私の周りはそんな風に思わせる人ばかりいる。
「ここじゃ周りに迷惑ですから、外で電話掛けてきますね」
「ああ 頼む。……あ、俺そんなに声でかかったか?」
「そうかもしれません。では台本のこと。よろしくお願いしますね」
台本のことはともかく、未羽やつぐみのことを聞くきっかけになるかもしれない。劇と同じ。まずは動き出して、その時その瞬間に考えていけばいいんだ。
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