第9話 ひび割れゆく心


 


 私は夢を見てた。


 誰かを追いかけるわけでも、誰かに追われているわけでもなく。

 一人で息を切らせて走る夢。

 他にもなにかがあったような気がするけど思い出せない。

 すぐに意識は携帯の方に向いてしまって、心残りは感じなくなる。


 朝起きた時、携帯には着信が何件か入っていた。

 児童劇団の事務所から二回と、光さんから一回。


 事務所から入りの時間変更だったりスケジュール調整の連絡が入ることはある。

 大抵はメーリングで一括送信だから、これは個別……私に対しての要件だったんだろう。

 昨日の夜と今日の朝に一件ずつ。朝の方は留守電で、『練習前にミーティングが入りましたので十五分早めに事務所へ来てください。折り返し不要です』と入っていた。ミーティングなのに電話で連絡が入るのは変だが、人数を絞って話をする感じかな。


 光さんから電話が入るのはさらに珍しい。

 顔を合わせるとき話や相談はしても、電話を掛けてくるというのは滅多にない。

 安易に番号を教えたがらないし、広めないように、悪用しないように、と念を押される。私たちがまだまだ子どもなので、そういう声掛けは必要なのだという。


 ……昨日と今日、バタバタしていたからか。

 いつの間にかスタジオへ向かうバスに乗っていた。本当にいま気付いた。

 無意識で動くことは家でも舞台練習でもたまにあるけど、こんな長い間はなったことがない。

 

 支度は大丈夫。朝ご飯……は、済ませた。

 いつもより軽くになったが、あまり食べる気が起きないのでちょうど良かったんだ確か。

 

 バスに揺られながら、ふと周りの乗客に意識を向けた。 

 

 スーツの女性。

《誰かに怒られてて言い訳を思いつき》説明の練習を考えてる。 

 小学生の男の子。

《よく分からないゲーム画面》友だちと遊ぶのを楽しみにしてる?

 席に座って目を閉じている会社員。

《ふわふわと仕事の資料が飛び散ちり》眠っている感じ。

 優先席の前に立っているお婆ちゃん。

《明るい病院の部屋》誰か知ってる人のお見舞いのようだ。 


 そんな心の風景が、私の中で鮮やかに焼き付く。

 DVDの倍速再生を見てるような目まぐるしさ。

 たくさんの記憶や感情の入り乱れ。

 酔ったような感覚があって、思わずふらついてしまう。

 目を閉じ、ゆっくりと息をはく。

 

 誰かの顔を軽く覗き込むようにする、そんな動作で、

 《人の心が分かる》……なんだろう。今も驚いている気持ちがあるのに。

 私の心は、少しも沸き立ってこない。 

 どこか他人事で、客観的で、自分の気持ちじゃないような……

 知らない台本を開き、誰を演じるかも分からずに宙ぶらりんって感じの。

 そう。初期の芝居、役に繋がってない時に似てる。


 バスからはすでに降りていた。なんとなく嫌な気分を消せないまま。光さんには移動中に何度か掛けたが、繋がらないままスタジオまで来てしまった。


 一階の事務所は昨日よりも慌ただしく見えた。松木さんの言葉を借りるなら、尻に火が付いたように、みな電話や資料集めをしている。まさに切羽詰まってるって感じだ。


 紙谷さんは入り口付近で数人に指示を飛ばしている。

 周りが良く見えているのかすぐ私に気付いた。


「来たか。用事は部屋で話す」

「はい」


 通された奥の部屋には、児童劇団のメンバーはいなかった。

 個別ミーティングってことか。その為の電話か。

 でも私にとって、ここで会うのは意外な人がいた。


「ひかりさん? 今日は設営で先に小屋入りしたんじゃ?」

「ひな……」


 舞台スタッフのキャップを被っていない光さんは、なんだか新鮮だ。ざっくりとしたラフポニーテールがすごく合っている。これから劇場に向かうのだろうか。紙谷さんによほど強く怒鳴られたみたいに元気が無くて沈み込んでるのは気になる。光さんにその様子と、今日の電話のことを聞きたかったが、紙谷さんが口を開いた。


「ミーティングって言っても、時間は取らせない。聞くことに答えてくれりゃいい……昨日、家に帰ったあと誰かに会ったり、誰かから連絡が入ってなかったか? うちの事務所以外でな。メールとかでもだ」

「いいえ」

「なら、今日は? 来る道で誰かに会って話したり、どこからか連絡は?」


 ――なんでそんなことを聞くんだろう? 『焦りや不安』を押し殺しているようだ。

 光さんの方を見る。しまった、と眼と口は言ってる。なにか事前に教えてくれようと電話したけど、かえってマズい立場にしちゃったかな? 知らないふりした方がいいか。

 光さんの電話、結構な回数掛け直してるけど。


「いえ……特には。事務所から以外には何もありませんでした」


 紙谷さんは私と、光さんの方をちらっとだけ見たが、それだけだった。

 あっさり見破られて怒られるとかじゃなかった。ほっと一息つく。

 

「なら良し。呼び出しといて悪いがこれでミーティングは終わりだ。今日は練習の前に発表することがある。着替えて準備しとけよ!」

「はい」

 

 私がドアを開けて出ようとしても、光さんは動かなかった。

 まだ何か用事があるのかな? というより、何であの部屋にいたんだろう?

 これじゃ私の受け答えを聞きに、光さんがいたみたいじゃないか。

 二三、質問するだけなら電話で良かった気もする。私は出れなかったけど。


 ともかく主役は主役の、端役には端役の務めをしなくては。

 

 今日は衣装無しの通し稽古。昨日か今日、衣装も先に小屋入りだ。

 未羽や主役級の子たちは、舞台を意識して大きく余裕をもって演じることが出来るはずだ。

 昨日のばっちり決まった完成度なら、きっと大丈夫。




 *  *




「集合! スタッフも来てくれ」


 拍手を一つ打ち、紙谷さんが号令をかけた。

 舞台に立つ子はもちろん音響や照明、制作班も何人か来てる。

 声掛けをしてから、それぞれの準備を進めるのかな。

 いつもなら小屋入りの時に言うはずなんだけど。


「田辺みうが昨日から家に帰っていないらしい。今日も連絡は来てない。それで……」


 急な発表に、メンバーもスタッフもざわめいている。思ったよりショックじゃない。来てないのはさっきから知ってた。早めに来て、私と話して集合まで不安を紛らわすのが未羽の練習前の姿だから。

 それよりも心が、全然辛くない。私はどうかしてしまっているのか。この悪い夢みたいな状況は、本当のことなのに。こんなこと、起こるはずがないのに。

 

 紙谷さんは全員を見回したが、声を荒げることなく落ち着くまで待った。


「それで、家族や警察で捜索中だ。何か分かり次第こっちには連絡が入るようになっているが、主役は降板。マスコミの取材もじきに来るだろう……聞かれたら断りを入れておいて欲しい。進展があっても無くても、今日中に書面とホームページでコメントは出す。劇は今日から代役を立てる! まず主役だが――」


 今から公演初日まであと三日。オーディションする時間はない。

 役の無い子達はいるが、まだ舞台経験が浅い。主役だけはめ込むのは無理だ。それか劇団JINから誰か引っ張ってきて助に貰う? 過去に例はあるけど、主役でそれをやっていいものか。全体の配役をずらすのが一番無難? 衣装さんは調整に半日かかるくらい。

 あ、つぐみにやってもらうとか。向こう三か月くらい過密スケジュールになっちゃうけど。本人は第九やりたがってたし。


「日野ひな。お前がやれ」

「はっ……い?」

「お前が主役だ。田辺の代役として舞台に立て。やれるな?」


 私。私か。

 出来ない、と言う劇団員はいない。少なくともうちの劇団では。

 紙谷さんはいくつかの代役案から私を選んだ。下手を打つ役者を主役に置こうとする人じゃない。

 構想があって、上手くいくと信じている。そのはずだ。


「はい!」

「なら良し。日野の役には――」


 私の役には、まだ新人の役の無い子から選ばれた。きっと出来る。大丈夫。

 その為の練習はしているし紙谷さんの言うことだから。


 スタッフもそれぞれの仕事につく。先に設営で小屋入りする人、ここで音響のチェックをする人。

 衣装さんも主役と端役の軽いサイズ合わせをどこかでやる。

 光さんとピンスポの確認、劇場でするのか。未羽じゃなく、私が。


 ――集中しなくちゃ。未羽のことは、置いておく。

 今はただ一つ。主役を私の全て出し切って演じ切る。それだけだ。

 主役の台詞は入ってる。位置取りは分かる。……あとは役に成りきるだけ。


「今日は場当たりから行く。第一幕の用意を。日野は板付きから動かなくていいからな。声だけは張れよ! 主役の声に切り替えろ!」

「はい!」

「初日まで三日、一回一回を全力で仕上げるぞ!」

「「「はい!」」」



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