幕間 四、五人ばらと寄つて取卷いた時③




「「ひかりさん!」」


 わ、わ、光さんだ。良かった。

 ここにきて頼れる人の最有力候補が来てくれるなんて!

 当然だけど舞台スタッフ用の紺キャップを被ってないから、一瞬見慣れなかったのは内緒だ。服装や髪形はスタジオで見かける、普段通りなのにね。


 光さんはこちらの手に持っていた台本と、忘れ物の入った袋を見た。


「ああー、あいつの忘れ物? わざわざ届けに来てくれたんだ? もしかして私にも連絡してたんじゃない? だったら取れてなくてごめんね」

「いえ、えっと、あたし達が勝手に押しかける形になっちゃって……すみません」

「あのウチがそれ言い出して、二人をここまで。だからウチが悪くて……その」


 光さんは言葉を続けるつぐみを、手で制する。

 その笑顔は、見た人の不安な気持ちを吹き飛ばしてくれるものだった。


「いいよいいよ。アキラが悪いし。というかもっと反省して直すべきなんだよ。私が伝えて届けとく。ほんと、ありがとう。その台本は明日朝一で使うやつでしょ? 助かった」

「あ、もしかして、ひかりさんもこの辺に住んでるんですか!」

「いや、違うよ。たまたま……アキラに用事で呼ばれてさー」

「マツキ先輩に、よく呼ばれるんですか?」

「……あいつはほら、気まぐれだから。どうでもいいことを押し付けたりなんてしょっちゅうで、しかもそれを気にもしない。いい迷惑してるけど、まあ昔からの付き合いだから」


 んん? あれ。二人とも?

 タイミングよく光さんが来てくれたからって緊張解け過ぎてない?

 松木さんのこと、早く伝えなくちゃでしょ。今だって身動きが取れないんだよ?


「立ち話もなんだけど、台本とか預かるよ? 袋の中はタオル?」

「はい。……でも、ここまで来ましたし、あたし達で届けようかなって」

「へえー? でもいきなり押し掛けたら、アキラは怒ると思うけど……」

「そうですか? なら、ひかりさんがウチ達のこと、説明してくれると助かります」

「確かに……そうね。その方が自然よね……」


 あれ。……あれ?

 なんだこの違和感。光さんもだけど、二人もちょっとおかしい。

 みんな少しずつおかしい。


 なんで、松木さんのことを言わないの?

 なんで、みんな焦っているの?

 なんで――


 こ の 状 況 で 演 技 を し て い る の ?


「あの!」


 三人の視線がこちらを向く。

 額から汗が滲んでるのは、心臓が高鳴っているのは。

 ……ここまで歩いてきたからだ。

 けっして三人の顔が少し違って見えたからじゃない。


「あのですね! 私、確かめたいことがあるんです」

「何を? ひなちゃん」

「マツキ先輩の部屋にですね。えっと、何があるのかを」


 ざらざらと落ちる音。たくさんの何かがバラまかれた音。

 それは今も、目の前のドアを開ければあるはずだ。


 未羽はガラスの欠片か針じゃないかと言った。

 私も似たようなイメージだった。形が決まっていて、ガラスの欠片くらいの厚みで、針よりは大きい……例えば、ハサミとかならあんな音が出るのかもって。


「た、確かめてみたくて」

「……本当にそれは大切なこと?」


 この声。全然光さんらしくない。

 ひやりとしてて、平坦で、感情を隠しているような高い声。

 私達みたいな、女の子の声――


「紙谷さんがさー」


 光さんがぽつりと言った。

 体中が震えて、汗がさっきより出てる。


「こんなことを稽古で言ってなかった? 『後悔はやりきってからにしろ。やらなかったことを後悔するな』って。いい言葉よね。特に大人になる前……行動や努力、前向きな選択を判断しにくい時には背中を押してくれたりする」


 現実から逃げるように、記憶からいくつかの場面を思い起こしていた。

 紙谷さんの言っていたこと。確かにその中で同じセリフを口にしていたことを。


「私からも贈ってあげたい言葉がある……『後悔すると決まってるなら、その行動は選んではいけない』……これは今、あなた達に守ってほしいの」

「児童劇団の大センパイから、アドバイスだってさ。みう?」

「ありがたいです。……どうします? ひなちゃん?」

「それは、あの、とりあえず……その」


 愛情、楽しさ、感謝を表して演じているみんなの笑顔。

 うまく考えがまとまらない。こういうとき、私はいつもどうしてたっけ?


 しまったって思ったら、そこからまた考えればいい。そうだ。

 自分の直感と打算。心のままに、動いていけばいい。

 それが、私の『いつもと同じ』だ。


「――こ、後悔してから考えてみます」


 ドン、と肩を押された。

 光さんが私と未羽の間を割って入って、ドアに手を伸ばしたから。


「とまってください!」


 未羽が光さんの腕にしがみついた。

 ドアを開けようとしたのか、思いっきり叩こうとしたのか、

 ぶつかって行きそうな勢いを、その身体で止める。

 光さんはバランスを崩しかけたが耐えて、姿勢を持ち直して声をあげた。


「ちょ、ちょっと、みうちゃん!?」

「行け! ひなッ!」


 つぐみがドアを開き、そのまま光さんを遮るように立つ。

 その瞬間だけ。私の前に道が出来たようだった。

 急いだわけじゃないのに、無意識に足が動いた。

 練習や劇の本番でもたまに、こんなことがあったりする。

 誰かが自分を動かしているような感覚が。


 玄関を踏み越えて、キッチン、廊下を通り、一つしかない部屋へ。


「マツキさん! 大丈夫!? ……です、か――?」


 私の声に反応はなかった。彼は、ぴくりとも動かない。

 動かせない、といった方がより正確な表現だ。


 周りにはびっしりと、おびただしい数のソレが敷き詰められていて。

 彼の身体中にも、ソレで覆われている。


 理解が追い付かない。

 忘れ物。電話の内容。光さんの言葉。

 無理やりにでも繋げて解釈しようにもできない。


「なんで、こんな……」

「あ、う? なんだ」


 ゆっくりと目を開けて、松木さんが応えた。不思議そうに、こちらを見ている。

 その時、勢いよく後ろのドアが開いた。

 私と同じようにマツキさんを呼び、絶句する間。

 美羽とつぐみに続いて、光さんも入ってくる。


「おお? どうした。みんなして」

「な、」

「な?」


 部屋も松木さんも、メガネに埋もれている。

 それも裸で。いや下着は履いているけど。でもそれって裸だよね?

 なんというか、メガネに覆われていてメガネまみれだ。


「なにしてるんですかーーッ!?」







「あの、ほんと、ごめんなさい。なんて言ったらいいのか……」

「表題は『メガネが好き過ぎる男子と、好きな人にメガネをかけて欲しい女子』だ! これは児童劇団に入ったばかしの時、ろくに舞台練習させてもらえなかった時期に、同期の団員みんなで好き勝手に書いた創作劇で中二病満載な――痛いッ!? 頭叩くことぁねえだろよミツぅ!?」

「ほんと、ごめんなさい。バカな同期なんですこの人。展開も役どころも関係なくすぐ裸んなるしああーもうアドリブって服ぬぎ散らかすって意味じゃないのッ!」

「お前たちも演るかあ? 俺とミツだけじゃ役どころが被ってたしな、数人でちょうど良く――待っ、ちょ、痛い! 頭! あたまぁ!」




   *  *




 しばらく、無言で帰り道を歩いていた。

 ショックが抜けないって一面と、緊張した分の拍子抜けもあると思う。


「ええと。なんていうかいろいろと、衝撃的だったね」

「そ、そうですね」

「すごいモン見ちゃったな」


 すごい。確かに言葉で表すならその一言だ。


 松木さんは、明日の朝から読み合わせだったのに、昔の創作劇で遊んでいた。

 聞けば、読み合わせの台本は全部頭の中に入っていたらしい。もちろん、忘れてたってのは良くないけど。前日に気にならないくらい練習は出来ていたってことだから。


 私なら、自分の役をこなすだけで手いっぱいだったと思う。読み合わせまで台本と感情と動きを頭で考え続けて、周りのことなんて気にもできない。


「マツキさんの演技の引き出しの多さとか、どこから来てるのか分かった」

「練習の虫、なんて言われますけど、茶番も含めて、毎日の積み重ねなんですね」

「どっかでユーモアってやつ? 楽しむ心を忘れないってのは、稽古でも舞台でも大切なんだなあ。改めて思ったよ。……まだまだ遠くて、格が違うけどさ。その辺は、ウチたちとあんまし変わらなくて、ちょっと安心した」


 茶番、多すぎだけどな、とつぐみが笑う。

 児童劇団でも私達は即興とか、茶番とかが特に多い。

 松木さんも、JINプロの中ではふざけたがりの部類だろう。


 ひとしきり笑いあって、未羽がつぶやく。


「たぶん、あの創作劇は、私達の交換日記みたいなものなんですよ」

「ウチらくらいの年のときに書いたって言ってたな確かに」

「同じ仲間どうしで、一から作り上げたってこと?」

「はい。だから、似てるのかなって」

「似てるって、何が?」


 なんとなく、ですけど、

 と未羽は前置きをしてから言った。


「それってずっと大切なんですよ。大人になって。年を取って。おばあちゃんになっても。あたし達のしてきた……遊んだり、交換日記書いたり、ケンカしたり、茶番したり、舞台で見てくれる人の前に立ってやってきたことは」


 私にとってみんなは――

 背中を押してくれて、踏み出す勇気をもらってる。

 みんながいるから、私は舞台に立てる。頑張れる。


 未羽の言う通り。いつか大人になっていく。

 一緒に、舞台に立って、一緒に同じ夢を目指してることは

 私の大切な瞬間の連続で。私の中にいつまでも残り続ける。


「……そうだね」

「うん……劇も遊びも、茶番だって手を抜かない。楽しいしさ」


 それきり、天使が通ったみたいに会話が途切れた。

 別れ。悲しさ。それぞれの未来へ向いている強い運命のような流れ。

 そんなものが急に身近なものに感じられた。


 つぐみは、どこかで児童劇団を辞めて芸能の世界に行く。

 今回の劇の主役に抜擢されてから、その意識は強くなってると思う。

 引き止めないって決めてるけど、その場面にならないと何を言うか分からない。


 未羽だって、いつまでも児童劇団にはいられない。

 その先……あるいは別の未来を行くのか、未羽しだいだ。

 一緒にいれる時間は、あとどれくらい?

 私は納得して選べるのかな。 二人のいない道を。  


「……しばらく眼鏡は見たくないなあ。アレを思い出しそうでさ」

「そ、そうですね! アレは……」


 私の憂鬱な気持ちを察してくれたのか、つぐみも未羽も同じ気持ちだったのか。

 話を繋げなおすことで、場を動かそうとしてくれてる。

 それが、あのメガネだってのは少し抵抗があるけどね。


 安いお店でたくさん買ったのかな。部屋にあれほど埋もれるような数を揃えて、松木さんも眼鏡を身体中に装着してそういうえば下着以外は裸でありとあらゆる部分に眼鏡をまとってた冒涜的な姿だったな確かに当分の間は松木さんをまともにみれないし眼鏡を見たら思い出しちゃうよあの光景を眼鏡メガネめがね……


「ふふっ……あはははっ!」

「どうしたひな?」

「ひ、ひなちゃん!?」


 二人は私を、笑わせるつもりで会話の内容を選んだ。

 だとしたら完璧な運びだよ。軽く驚いている表情も、ちょっとした演技として添えてくれた。

 そんなに心配されるほど、暗い顔してたかな?

 でも、もう晴れたよ。気持ちも心も決められた。


「ちょっと間を開けて、記憶が薄れた時にでも見れば、思いっきり笑えそうな気がしてきた。年納のかくし芸あたりでやったりとかさ」

「うーん。あたしはまだ見れそうにないですけど」

「まあ前もって身構えてれば、大丈夫そうじゃない? 今日はいきなり過ぎたし」 

「……だよね。それに劇としてなら、ほら。アートだよアート。意味のあるカッコと小道具」

「たしかに、眼鏡でいろいろ隠れてましたから。そ、そんなに過激なものでもないんでしょうか?」


 お、もう少しで未羽は上手く丸め込めるな。

 言い方は悪いけど、こうでもしなきゃ後日松木さんに食って掛かるかもだし。

 裸同然の松木さんのことで……あと、その場面にずっと二人きりでいた光さんとかにも思わぬ方向で迷惑がかかるかもしれないし。未羽にそんなつもりが全然なくてもね。


「そうそう。ほら、さっき未羽も言ってたでしょ? 交換日記みたいな物なんだってさ」

「言いましたけど……あ、そうか。同じ大切なものとして見れば、ダメって言っちゃったら……あたし達の大切なものも、ダメってことになっちゃいますよね」

「うんうん。つぐみも何か言ってあげてよ」 

「せっかくなら眼鏡とかナシにして見たかったけどな」

「えっ」

「えっ」

「……あっ」


 しまった。って表情。

 わ、私もだ。つぐみがそういう方向の考え事してる可能性を見落としてた。

 つぐみの顔が真っ赤になっていって、未羽の顔も理解が追い付いて来てる。


「走れ!」


 とっさに二人の背中を押して、言葉通りに走る。

 私の名前を口にして、未羽もつぐみも弾かれたように走り出しあとに続く。

 二人はなんのことだか訳がわかってないだろう。でも大丈夫。


 私も分かってない。


 考えなしの行動をしてしまって、ごまかしになってないけど。あとから考えよう。そうしよう。とりあえず駅に向かって、それから、ええとどうすれば上手く二人をフォローできる?


『後悔すると決まってるなら、その行動は選んではいけない』

 ごめんなさい光さん。せっかくのアドバイス、全然活かせてません。


『後悔はやりきってからにしろ。やらなかったことを後悔するな』

 ごめんなさい紙谷さん。決まってしまった道を、走り切ってから反省します。



 つぐみ。未羽。

 またいつものって笑ってる? 本当なんというか、またいつものなんだよ。

 とっさの行動。思いつき。進歩も成長もないな。

 駅まで走って、切らせた息を整えて、絞り出すセリフに期待はしないでね?

 せめて、演出と表現は作っておくから。

 ……茶番のように笑えるかは私のアドリブしだいだけど。

 

 今は走る。三人でいる道を。



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