幕間 四、五人ばらと寄つて取卷いた時②





「まだ怒ってる?」

「別に怒ってません」


 電車から降りたあともテンションが落ちていた未羽に、声をかける。

 プロフィール帳に住所は載ってるから、あとは携帯のナビアプリに沿って、歩くだけだ。


「勝手にこんなこと……こういうのは親切とは言えません。それがちょっと嫌なだけです」

「でも一緒に来てくれてよかったよ。みう」

「みう……ウチのワガママに付き合ってくれて、ありがとう」

「……わ、分かってます。行ってみたい気持ち、面白そうって気持ち、あたしも無いってわけじゃないし……でも、親切や善い行いを利用してる気がして、少しもやもやしてるだけです」


 つぐみの、どこまでもまっすぐ自分の気持ちに素直なところと、

 未羽の善意の塊みたいなところ。

 どちらもそれにつられて引っ張られてる時は悪くないし、

 それを悪いことって言うつもりも全然ないけど。


 これから大人になっていくときに、辛くなる時が来るかもしれない。

 大人って、言葉を包み、濁し、あらゆるフィルターにかけて、

 本当の気持ちを分かってもらえないようにしてしまうものだから。

 それが人間関係を悪くしない方法で。どこでも通用するマナーなんだ。


 ああ馬鹿らしい。

 言いたいことを言って、我慢できないところを我慢しないで、ぶつかりたい時はぶつかって、泣いて、笑う。人が人と関係を作っていくのって、子どもの時から正しく教えてもらってるのに。そうやって分かり合っていくのは、膨大なエネルギーがいる。

 きっと大人は、それを省略したいのだ。


 出会う人が多くなっていけば、私だっていつか省いてしまうだろう。

 自分のことを理解し心を通わせてくれる人は、もういるんだから。


「今日書いて来てもらったプロフィール帳、さっそく役に立ったね」

「たしかに、そうですね。住所は分かりますし」

「二人のプロフィール帳、質問や内容が微妙に違ってて、面白かったよ」

「好きな漢字ベスト3とかね。マツキさんは来、友、喜だったっけ?」

「あ、フリースペースに好きなメガネは? って書いてありました。顔が引き締まるメガネと、優しさがにじみ出るメガネが好みだそうです!」

「そうそう! 大切にしているものは携帯電話、だよね?」

「みうの方にはそう書いてあったね、私の方は役者初期の台本と映像DVDだった」


 笑い合う。


 未羽だって言葉ほど怒ってるわけじゃない。

 少し許せない領域に、私とつぐみが入っちゃったんだ。

 そして、それを次からは気を付けて欲しいって、態度で示してくれる。

 もちろんそうするし、本当に触れて欲しくない部分ってのは、三人とも良く知ってるんだ。未羽はお婆ちゃんの事。つぐみはママの事。私は……挙げるならパパの事かな。

 大人の汚さとやりきれなさ、嘘とかはパパから見て感じたから。今はそうでもないけど。


「それでさ、好きな休日の過ごし方のコメントがまた面白くて――」


 携帯が鳴る。あ、松木さんだ。

 良かった。気付いてくれたみたい。

 スピーカーフォンにして、三人とも声が分かるようにする。


「もしもし。日野です」

『……』

「マツキ先輩? あれ、いま外ですか?」

『……いいから、早くその鞄を開けて見せてくれ』


 んん? 私の言葉に反応してない?

 他に音は……聞こえてこない。


『見ない方がお互いのためだけど?』

『そういう約束だったろ。守れよ。というか、そのために《俺の家まで運んで》くれたんだろ? それとも中身に問題が?』

『これに、中身なんてありはしない』


 女性の声。

 つぐみと未羽が、私の方を見た。

 松木さんは、一人の女性と話をしてる。なんだかおだやかじゃない雰囲気だ。


『開けろ。細心の注意を払ってだ』

『キミの言いたいことはわかるよ。まあ、望むなら仕方ない』


 ジッパーを大きく開く音。バッグ……鞄か。それもかなりサイズがある。

 次にざらざらと、何かが落ちる音。

 そこまで大きくも、重くもない何か。でも結構な数。


『あ………ああああああっッ! お前っ! 何てことを!』

『何てことはない。普通なら……キミには違うように映っているだけだ』

『こんな……お前。人のすることか!? なぜこんなことができる!』

『キミこそ。まともな人間とはほど遠い。だからこの状況になっているんじゃないか。はっきり言って異常だぜ』


 やめろ。止めてくれ……ああ。くそ なんで こんな……


 松木さんが声を詰まらせて、多分泣いてる。 

 何かが起こってる。

 じゃなきゃ松木さんが泣くはずがない。悲しさを持つものとか、何かにこだわるなんてないと思ってた。でもそれは松木さんの知らない部分が私にあるだけってことだ。


 声が漏れそうになったが、止まってくれた。

 向こうに声は届いてないみたいだけど、今は聞き耳をたてた方が松木さんの助けになる。私の横にいる未羽もつぐみも、多分そんな風に思ってくれたんだと思う。


『動くな……分かるだろ? 大切なものは、なかなかゴミには成ってくれないよ? もうキミは動けない。でも、そうだな。大声は出せるかどうか試していい。その瞬間、キミの精神は砕けるかもしれない。そっちの方が興味あるな』

『なんで、こんな……ひどいことを? 教えてくれ、どうして……』

『どうして? どうしてだって? 困ったな。説明してあげるほどの動機も意味もないのに』


 彼女が動いている。松木さんの周りを歩いているのか? それもとも後ろに立ったのか。足音じゃないけど、身振り手振りや声の感じで分かる。


 ……誰だこの人は。

 電話越しというのもあるけど、こんな人知らない。

 知らない性格、話し方。声の調子。


 最初に女性の声だって感じたけど、今は私達と同じ年くらいの女の子のように聞こえた。

 無理して難しい言葉を選ぶ時期……そんな女の子。

 こんなことが出来る子、松木さんの知り合いにもいないんじゃないか?


『人は誰でも触れて欲しくない領域があるね? また、それは同時にどんなものが大切かは他人には分からないのと同じで、どんなものがその人にとっての禁忌かは伝わらない限りは分かりようがない。……キミは私の禁忌に触れた。もっともキミに悪意なんてなかったはずだよ? しかしね。私は私の悪意を持って、キミの大切なものを壊し、禁忌に触れてやりたいと思うんだ』

『あ、あ……』


 やっぱり分からない。


 でもいくつかの疑問が湧いた。

 それをまず解きたいが、私達の思っている以上に危険が迫っていたら困る。

 止まっていた足を踏み出す。


 ――松木さんはいま家にいる。

 この電話は偶然繋がったのかもしれない。でも、松木さんは彼女に向って『俺の家まで運んで来た』と言ってた。大きなバッグ一杯に詰めた《何か》の正体はともかく、近くまで移動しておかないと。


『不思議だ。そのなみだだってそう。大切なものは、少しずつ大切なものになっていったのに。それが無価値なものに変わっていく過程は、まったく違った。……キミも同じなのか? いつかのように、また』

『う、あ……!』

『それが、いつまで持つか、ここで見ていてもいいが。私がキミに出来ることは全てしてしまった。それに、人間の変貌や生まれ変わりなんて興味もないしね。……じゃ、さようなら』


 もう聞き取れる音は……押し殺すような松木さんの呼吸くらいだ。彼女がドアから出て行ったのを最後に、何も気配がない。松木さんはなにか事情があって、声を出したり身動きの取れない状態らしい。

 スピーカーフォンから通常の電話音量に切り替える。


 大声を出せば、向こうも気づくかもしれない。

 でも、もう行ってみた方が早いな。松木さん一人しかいないなら。


「みう。ここからマツキさんの家まで、走ったら何分くらい?」

「……え? えっと、走って迷わなかったらもうすぐ先です。徒歩ならさ、3分くらい?」

「つぐみ、台本を」

「さっきから目を通してる」

「あたしも、見てました。あの……」

「違う。ひなも考えたろ? なんかの練習であんなセリフを言ってるのかなって。でも、違うんだ。この台本を読み合わせてるワケじゃないんだよ。もっと言うと、ウチ達の知ってるどの演目にも引っかからない」


 念のため、二人が開いてくれた台本に目を走らせる。……松木さんらしい、小道具変更や場面転換、言い回し、必要最低限の書き込みだけだ。

 やっぱり私にも、あんな場面は演ったことも観たこともない。

 新旧のJINプロ公演台本を結構な量読み込んだウチら三人が揃って言ってることだ。

 なら、あの会話は……


「け、警察に電話した方がいいでしょうか?」

「なんかヤバそうなこと言ってたけど、今はマツキさん一人だろ? 時間をかけないで助けに行った方がいいよ。さっきの女の子が戻ってきたら、それこそ危ない」

「女の子……だよね。やっぱり。二人は誰か思い当たる?」

「ごめんなさい。分からないです」

「マツキさんのストーカーとかかな。数も増えれば、熱狂的なファンだっているだろうし」


 でも住所とかは……後を付ければ分かるのか。

 それにしては良くお互いを知っている風だったのが気になる。


 わ、私達と同じくらいの女の子なら、ばったり会っても平気かな?

 ナイフとか持ってたらどうしよう。いまのところ松木さんにケガは無さそうだったけど。


「……安全とは言えない。でも……ううん」

「考えてもキリないよ。ウチが行くから二人は外を見てて。その間に、警察を呼ぶとかしてさ」

「つぐみちゃん。危ないですよ……部屋は、マツキさんが動けないようになってるみたいです。ガラスの破片とか、針とか。……ば、爆弾とかだったら」

「それならすぐに助けないとだろ! あの向こうのアパートか!?」

「待って。置いていかないでください! それに、行っちゃダメです!」


 未羽が走りかけたつぐみの腕を掴んだ。

 つぐみは何か言いかけて、下を向く。


「もし、何かあったら……何か、他にいい方法は……」


 未羽の手が震えてる。つぐみだって同じだ。怖いんだ。

 もし、と言う仮の話に、松木さんやここにいる三人が危険な目に遭う、

 というものも含まれている。

 それが怖い。


 私は誰よりも恐怖に弱いのを知っている。

 大切なものが、大切すぎるから。

 一度そう考えてしまうと、目の前が貧血の時みたいに暗くなる。

 足から震えが広がりだす。臆病な自分が出てきてしまう。


 ああ、くそ。

 ――怖いと思う心を、どこかに切り取っておければいいのに。


 私に勇気があれば言える。私が先に行ってみるからって。

 さっきだってそういうべきだった。でも怖いから止まっちゃうんだ。


 どちらともなく二人が前を歩きだす。

 私は前を見てからほんの少し遅れて行く。

 いつもと同じだ。何かあった時に迷った時の。


 アパートの一階。一番手前。多分ここだ。

 合ってるかな。表札は――


「……アキラに何か用事?」


 すぐ後ろから声がかかって、三人とも一斉に振り返った。

 私の顔はちょっとひきつっていたかも。


「「ひかりさん!」」



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