第7話 歯車は二つ鳴る




 事務所の中から、廊下を見る。

 一階は大道具の制作と搬出があり、スタッフの出入りで騒がしい。

 明後日の小屋入りのために、大掛かりな舞台装置を直していると朝聞いた。


 公演『第九番のキセキ』主役は田邉未羽。その準備をみんながしている。

 ……どこに行っちゃったんだ。未羽もつぐみも。


 電話やスケジュール調整、パソコンに向かってる人。資料を持って移動する人。

 事務の人達も、外と同じように忙しそう。

 松木さんと二人で待ちながら、そんなことを考えていた。


「待たせたな。入ってくれ」


 ドアの向こうから、紙谷さんの声がする。

 大声を張り上げたって訳でもないのに、騒がしい事務所内によく響く。

 紙谷さんは電話中ということでしばらく待っていたけど、もう終わったらしい。


「失礼します」

「おお? アキラも一緒か。……相談か?」


 他の事務員と変わらない机。同じ椅子に紙谷さんは座っていた。

 その上には劇の資料や上演のパンフレットが並べられている。

 あまりここに来ることは無いが、事務所の中では片付いている方だと思う。


 紙谷さんは、私が来たのを『児童劇団を辞めること』に関しての追加の相談だと思っているようだ。今日の練習の出来。松木さんと一緒に来たからそう推測したみたい。

 松木さんが一歩前に出た。歯切れ悪く、どう言えばという迷いがある。


「座長……」

「なんだ改まって。お前に座長って呼ばれるのも久々で慣れん」


 座長って呼び方も、今は無くなっているけど。

 正確に言えばトップじゃなくて、舞台を取り仕切る責任者? だったっけ。

 でも舞台監督って言うと初めの頃に怒られたから違う。

 退団するまで正式名称を知らないってどうなんだろう。


 松木さんが児童劇団に所属しているときから、紙谷さんはここをまとめていたらしい。ということは私が生まれる前からってことだ……改めて歴史の凄さを感じる。


「ガミさん。話があるんだ。今日見学に来てた早川つぐみと、みうが……」

「二人ともいなくなりました。第二レッスンルームで荷物もそのままです」

「ああ?」


 驚く松木さんと、珍しく調子外れな声を上げる紙谷さん。

 

「いなくなった? ……どういうことだ。どこかに行ってるだけじゃないのか」

「そうかもしれません。でも何も言わず、帰って来ないんです」

「……携帯は?」

「さっき鳴らしたとき、二つともそれぞれのバッグに入っているようでした」


 いくら仲が良くても、無断で開けるわけにはいかないので、こっちに来る前にとれる方法で確かめた。と言うことを松木さんが補足してくれた。


「アキラ! お前は見てたのか」

「つい十分くらい前に、ひなを含めて三人を部屋で見たばかりで……自主錬の入れ替わりで喫煙スペースにいた。しばらくしてひなが助けを呼びに来て、部屋は――」


 ちらっと私の方を見る。さっきから、こっちを見ることが増えたように感じる。

 私は頷いて言葉を待つ。


「特に変わった様子はないし、荷物がそのまま置いてあるだけのように、見えた。ただ三人の関係を考えると、何も言わず、戻ってくるのも遅いのが気にはなる」

「聞くほど何もなさそうに思うがな。……ふん」


 面白くなさそうに、紙谷さんが鼻を鳴らす。

 少し椅子に寄りかかって、何か考えているようだ。


「二人とも、それぞれオーディションに受かったり、主役をよくやっていたりと、プレッシャーはあるだろう。共感して思うところがあり、ふいに気分転換に外でも行ってる……無くはない話だ。中学高校ぐらいの歳じゃまだまだ精神的に無理も出てくる」

「そうかも知れません」


 あれ。……あれ?

 いつの間にか、私は自分の胸を押さえていた。左手できつく。

 『第九』じゃあるまいし。癖になってるのかな。

 別に胸が痛いわけでも、気持ちを抑えたいわけでも何でもないのに。

 

「ガミさん……」

「そんな顔するな、らしくない。お前にしちゃ心配し過ぎてるよ」

「でも胸騒ぎがする。悪い想像も……10年前だって――」

「アキラ! いい加減なこと言うもんじゃねえぞ!」


 身体中を打つような怒声。

 私の耳と後ろのドアを突き抜けて、事務所内が静かになったのが、分かる。

 紙谷さんが一呼吸おいて私達を睨んだ。


「二人が戻ったら、お前らに連絡よこすように言っとく。舞台装置の手直しが遅れて、人の出入りが多いからな。誰かが見かけたら分かるようにしときゃまず落とさねえ。夕方にまで戻らなきゃ、家に電話ァ入れさせる……それでいいな?」

「……はい」

「分かりました」

「他に無いなら話は終わりだ。ったく、明日は小屋入り前の総浚いだってのに」


 それきり、用はもう無い、と言うかのように紙谷さんは舞台の資料に目を通し始める。松木さんはまだ何か思いが残っているみたいだったが、踵を返してドアを開けたので、私も付いていった。


 いつもなら『おいひな! 明日は総浚いだ、早めに寝とけよ!』くらい言ってくれるのに。

 まあ未羽とつぐみが揃ったらまた来ればいいか。




 *  *




「もう三時か。昼飯に外に出るつもりだったが」


 一階の事務所から少し離れた、休憩室で松木さんがつぶやいた。


「すみません」

「おっと、ひなに言ったわけじゃない。それにここならタダメシだしな」


 大量にふりかけの掛かったご飯のお椀を片手に、松木さんは笑う。

 うちの劇団では、休憩室に大きな炊飯器がある。

 その横にはお椀と各種ふりかけが常備。


 食べられるときに、食べておく。

 腹を鳴らして稽古はご法度、という方針らしい。

 どこの劇団でもそうなのだろうか。


 とは言っても、ここを食事目的で使うのは大人や劇団JINの人がメインで、

 つぐみや未羽、児童劇団員はあまり利用しない。


「ひなも食べるか?」

「遠慮しておきます」

「《早飯も芸のうち》ってな。まあ、二人を待つ時間くらい、味わって食べるか」


 私もお椀にご飯だけで食べるのは抵抗があるし。


 つぐみに聞いた事もあるから知っているが、実際に見ると松木さんの食べ方は両極端だ。あっという間に平らげるか、休憩時間いっぱいを使うか。

 忙しさによるんだろうけど、ノロノロと食べてる時の方が多いかな。

 お行儀よく食べる未羽とはまた違った遅さだ。


「さっきから、何見てるんだ?」

「日記です。三人で交換し合って書いていたんですが」


 ページごとにじっくりと目を通していく。

 こんな時、松木さんの遅い食べ方は助かる。


 携帯はこまめに確認している。チャットはずっと開いたままにしているが、コメントや通話どころか、二人の既読すらついていない。多分荷物の中に入りっぱなしなのだろう。

 少しでも気を紛らわすためでもあるけど、日記を調べているのは少し気になる点があるからだ。


「レッスンルームで、私のペンが何本か散らばってたんです。私はペンケースを開けた覚えはないし、二人が開いて何か書いていたのも見てません」

「二人が、どこかへ行くとかのメモを残したってことか?」

「そうだといいんですが」


 今のところ、収穫は無い。

 開いてあった書き終わりのページから逆に、最初まで表紙を含めて見てみたが、

 特に変わったところや追加で書いたところは無い。

 何度も繰り返し読んだ日記だ。新たに書いたところがあればすぐに分かる。


 つぐみが慌ててペンケースを蹴とばしたのかもしれない。

 それなら後で言う嫌味の一つでも考えておこうかな。


「あれ」


 最後にページをパラパラと指ではじいた時、何かが見えた。

 そういえば、まだ書いていない後ろの方は確認をして――


 かちり。かちり。


 記号のようなものが目に入った。その瞬間、

 自分が記号と一緒になってパズルみたいに組み替えられていくイメージが鮮明によぎった。


 人と井の字。止め跳ね払いの欠落した文字は、大小の直線を組み合わせたとしか言いようがなく、幾何学的な図形を思わせる。角度は複雑に合わさり、精密な線は人が描くには難しい。機械が描くのならまだ分かる。人が六つ。井が二つ。定規を使わずに書き切る迷いのなさ。日常で永遠に使うことの無いこの文字を記した人は、自らの名前のように描き慣れている。


 その井戸の中に、組み替えられて余った私の一部が吸い込まれていく。

 口も喉も無いバラバラの欠片なのに、裂けるくらい叫んでいきながら。

 その光景を、私は見下ろしている。胸をきつく押さえていた手が、だらりと脱力する。

 どんな表情をしているのか。落ちて行った私にしか分からない。だからもう知りようがない。


「……! ……!」


 ――この文字は、つぐみか未羽が書いたもので間違いなさそうだ。

 私が目を閉じていた時か、レッスンルームを離れた時。ペンが散らばっていた時とも合う。

 未羽のおまじないは、こんな風に書くものだったのか。

 確かに、最初に書いた時も似た図形が頭に浮かんだけど、これでより鮮明になったかな。

 なんだよこれ。前に、自分たちのサインを考えて練習してたけど、

 ここまでスラスラと書けるのに、どれくらいかかるんだ。いつから書いてる?

  

 さっきからうるさい。誰かの声がする。私を、遠くから呼んでいる声が。


「……! ……ひな! しっかりしろ!」

「どうしました?」


 松木さんの顔がすごく近い。肩を揺らされて、覗き込まれている。

 つぐみが見たら、ちょっと誤解されちゃうかもしれないな。

 それにしても、松木さんの演技なしのまじめな顔は普段見ることがない分、新鮮で面白い。


「日記はだいたい見終わりました。食事はもういいんですか?」

「ひな……お前」


 肩に触れている松木さんの手。何かをとても心配しているのが分かる。

 じっと見つめ返してみた。口がわずかに動いて閉じる。

 言いたいことを飲み込んだのも、分かる。


「なんだ。気の回し過ぎか。大丈夫みたいだな」


 ――それは嘘だと思う。本当はなんて言いたかったの?


 松木さんの腕を掴み、ぐっと引き寄せる。

 顔が触れるくらいに近い距離。汗と、タバコの臭い。


 もっと分かりたい。何かが分かりかけてるような気がする。松木さんのこと、よく考えれば知らないことだらけだ。つぐみがあなたを好きになったのだって、私の知らない部分で好ましいところがたくさんあったからだと思う。紙谷さんと話していた時の、10年前にあったことだって、私は知りたい。

 そうだ。私はずっと、あなたのことを知りたいと思ってた。けど今までしなかったんだ。

 

「本当は……」


 そんな気持ちが言葉になると同時に、

 後ろのドアの方から、ノックする音がした。



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