第6話 ロストワンの舞台




「ひなちゃん?」


 声を掛けられて、両足で立っていることに気付いた。

 妙な浮遊感が少しずつ抜けていく。額から汗が滲んでいたらしい。

 ――こんな緊張、どんな舞台前だってしたことがない。


 振り返って、未羽を見る。未羽は不思議そうな顔をしていた。


「つぐみ……」

「あれっ。つぐみちゃん?」


 未羽はよく事情が分かっていない感じで、キョロキョロと首を振る。

 部屋のうち二面が鏡張りだ。すぐに様子は分かる。

 つぐみがいない。吸い込まれるように消えてしまった。

 心臓の音が、やけにうるさい。


「つぐみ!」

「わっ、驚かさないでください」


 一つの鏡に触れて力いっぱい横に開く。いない。

 鏡の裏には収納スペースが少しある。子どもが悪戯で入るくらいの。

 しかし、救急箱やハンガーがいくつかぶらさがっていただけ。

 よく見れば内側には取っ手が無い。隠れるにしても、絶対に音が鳴るだろう。

 練習中ならともかく、さっきなら絶対に気付くはずだ。


「どこに……」

「えっと、ドッキリですか?」


 未羽も、他の開く鏡を開いて確かめていた。この部屋の機材は全て片付けてある。せいぜいパイプイスが数個立てかけられているくらい。


 開いたままの交換日記。開いたままのペンケース。三人のバッグ。

 つぐみの携帯に掛けるか。いや、未羽もつぐみも、バッグに携帯を入れてる。

 未羽はスタジオ内じゃ電源切ってるし、つぐみは私達といるときは携帯を触らない。私の携帯で調べたり、三人でアプリを覗き込むのがいつもじゃないか。


 隠れる場所は他にない。そもそも、何でつぐみが隠れる必要がある?

 私は、信じたくない。さっき起こったことは、私の勘違いに決まっているんだ。

 ここにはいない。それなら――


「ひなちゃん、外を見て来てくれませんか?」


 未羽と考えが一致した。未羽は鏡の裏をまだ探している。

 練習用の布や衣装が大量に入っていた箇所に時間がかかっているようだ。


「分かった。すぐ戻る」


 ドアを開けて、廊下を見回す。いない。

 悪い予感、といっても自分の想像を超えていてうまく表現できない。

 つぐみは眼を閉じている私達を見て、急に悪戯心が出たんだろう。

 そろりと部屋を抜けて、どこかにいるんだ。


 ――笑っちゃう冗談だ。

 私の悩みに共感して、真剣に話を聞いてくれたって思ったじゃないか。

 ぜんっぜんつぐみらしくなくて、本当に笑える。


 近くの階段が見える。誰かを呼ぶかどうか。未羽のとこに戻る前に。

 精一杯走る。階段を過ぎ、自販機のある所へ。

 ここはちょっとした喫煙場所になっている。この時間なら大人がいるはずだ。

 顔を拭う。汗も涙もどんどん出てくる。


「マツキさん!」

「煙たいぞ、ここは」


 休憩していた松木さんが、煙を奥にぷかっと吐き出して答える。

 タイミングよく吸い切り、近くにあるスタンド灰皿へタバコを投げ捨てた。

 私の様子をみて、松木さんは真剣な顔になる。


「……ケガ、か? 何があった」

「つぐみが。急にいなくなって……」


 予想していた言葉と違ったのか、松木さんは少し困ったように眉をひそませた。

 何言ってるんだ?

 って顔に書いてあるみたいだ。私もそう思う。でも他に言い方が思いつかない。

 ……この様子だと、つぐみはこっちの方には来てないな。

 松木さんが気付いてないってことも考えられるけど。


「お前。俺を担いで、騙してる――わけは無いな」


 松木さんの軽口が、言い終わる前に訂正された。

 どうやら私は無意識のうちに凄い目つきになっていたらしい。


「すみません」

「いいさ。よく分からんが、行こう」


 松木さんが先に喫煙所を出て、まっすぐにレッスンルームへ向かう。

 以心伝心? いや、私がドアを思いっきり開けて、走ってきたんだから普通に音で分かるか。




 *  *




「みうも、誰か呼びに行ったのか?」


 松木さんの質問に、私は声を上げることもできずにいた。

 レッスンルームには、誰もいなかったのだ。


 さっきまで、未羽はここにいたはず。

 いないなんて、おかしい。

 未羽に、外を見て来てって言われたんだ。待っていなくちゃ、おかしい。

 つぐみがよほど隠れるのが上手くて、頃合いでひょっこり出てきたとしたら、二人で私を呼びに来るに決まってる。携帯にかけたっていいんだし。

 というか、ここを出て松木さんと戻るまで、一分も経ってないよ多分。

 他に何もできるわけがない。


「つぐみがいなくなったから、私が外を見てきたんです。みうはその時……」


 ふと、未羽がいた場所を見る。未羽は鏡の裏、収納のスペースを調べていた。

 開いた鏡の隙間から、布か衣装がはみ出している。

 瞬間、ぞわっと肌の上をなにか這ったような嫌な感じがした。

 私はふらふらと、歩いて近付く。


 色んな想像が頭を巡った。怖い想像。あってはいけない想像。

 そうでないように、祈る時間が欲しかった。


「その時、何があったんだ? ひな」


 松木さんの声が背中にかかる。

 私は答える代わりに手を伸ばした。指先を鏡に当て、ゆっくりと開く。

 心臓の音。息をのむ音が、やけに大きい。


 開き切ると、先ほどと変わらず練習用の布と衣装が散らかっていた。

 未羽の探した跡が、よく分かる。

 きっと手探りで、未羽はつぐみの名前を呼びながら触っていたのだろう。

 真剣なのに、どこかほっとするような仕草が目に浮かぶ。


 それは、私が想像する中で一番おぞましい光景だった。


「うっ……あ」


 かちり。かちり。かちり。


 叫ぼうとしたのに、声も出ない。

 体験したことのない強い恐怖を感じると、こんなふうに心が止まってしまうのか。そんな話をどこかで聞いた覚えがあるが思い出せない。


 未羽が、布と衣装を片付けず、鏡をきっちりと閉めない理由は?

 私に外を見るよう頼んで、未羽自身が外に出る理由は?

 

 説明はつく。あの、妙なおまじないをする時、私は目を閉じてた。どこかで打ち合わせをしてたか、その場のジェスチャーでぴったりと息を合わせ、私を驚かそうと一芝居を打ったんだ。ひとつの即興劇と言ってもいい。


 手のひらに人だか井戸の字を書いているときに――ああ、途中でつぐみは私の声に返事してたから、そのあと、この部屋を静かに出た。その後、階段で上か下へ。未羽のいつもより長いおまじないは、その時間調整のためのアドリブ。

 眼を開けて、つぐみがいないことにビビる私。それを心の中で笑いながら未羽が合わせる。いきあたりばったりでも鏡に隠れないのは正解だったかも。あんな静かな場面じゃ閉める音で絶対に気付くし。

 鏡をいくつか開けてさらに焦る私に、未羽が『外を見て来て』と言う。ここは、誰かを呼んできて、の方が良かったね。本当に外を見ただけで私が戻ってきちゃったら、未羽は隠れる時間ないよ?

 結果的に喫煙所に向かったのを、未羽はドア付近から伺って、そこから階段で上か下へ。つぐみと未羽は合流してハイタッチ。これが真相。

 二つの理由を無理なく説明できるし。すごく現実的だ。


 だから考えちゃいけない。

 二人がネタばらしにこの部屋に来ない理由を。

 きっと打ち合わせが不十分で、二人ともまだ合流してないんだきっと。


 想像しちゃいけない。

 つぐみの体に絡みついて、引きずり込んでいったものを。

 そして、未羽も――

 

 あの黒い影が、二人を隠してしまったことを。


「おい、大丈夫か?」

「落ち着いてますよ。マツキさん」


 松木さんと目が合った。

 変な物でも見るように、松木さんの顔が強張った。

 変な松木さん。あ、それはいつもか。


「冗談だろ? ……こんなこと」


 私に向けて言ったのなら随分ひどいが、

 松木さんは独り言でつぶやいたようだった。


「二人の冗談、という可能性は高いですが……紙谷さんに報告に行きませんか」

「ガミさんにか? 確かに……」


 思い返したように頷く。

 現に二人が荷物を残していないんだ。児童劇団であったことは児童劇団のトップに言っておいた方がいい。案外二人がそこにいたり、紙谷さんも一枚噛んでるってことも無いわけじゃない。

 

 交換日記をバッグにしまい、散らばったペンをケースにしまう。

 私のバッグだけ持っていこう。


「はい。私としては、行く道で二人が戻ってくることを期待しています」

「あ、ああ。そうだな」


 松木さんの声が震えている。私はともかく、松木さんからは

 二人が悪戯か、何らかの事情でどこかに行ったとしか見えてない。

 そこまで動揺するのは違和感があるけど……


 携帯を鳴らしてみたが、二つともそれぞれのバッグの中で鳴っていた。

 チャットにメッセージだけ送っておこう。

 《みう。つぐみ。携帯見たら連絡欲しい》

 短いけど今はこれで。


 とりあえず二人の荷物は置きっぱなしにして、一階の事務所へ向かう。

 その間に松木さんの背中を見ながら違和感について考えても……

 特には思いつかなかった。



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