第3話 二人がいたから
つぐみは数か月前、JINプロ児童劇団を辞めた。
芸能界を目指す! 演技力を磨き、舞台慣れしたらすぐにでも出ていく!
と入団時の紹介でそう言って、本当に遠慮は一切しなかった。
始めのうちは誰も相手にせず孤立していた。じきに舞台慣れするまでもなく自ら辞めていくタイプの一人だろうと決めつけていた。稽古中、微妙な演技の引っかかりに口を出し、その指摘が正確なものであっても一人として取り合いもしない。
つぐみの自信過剰な物言いは、自分を含めた周りを少しでも良くしたい一心だったと思う。やがて口に見合った実力と役が付くようになると、誰も文句は言わなくなった。
正確には、より言い合いは激しさを増したんだっけ。
同じ団員なら男女問わず、厳しく意見を言い放ち反対が出ても自分を曲げない。未羽もやんわりと注意を促すが、やがて敬語を忘れて熱くなるほどだ。
私は……思えば二人をいつもなだめて着地点を探ってたような気がする。
口論は身振り手振りが増え、やがて細かい立ち稽古になり、休憩時間が終わるまで続く。そんな時全員の演技は見違えて良くなり、練習再開後の舞台監督や演出、講師をうならせた。
次の公演で退団する。
と大っぴらに言ったとき、誰も思いとどまらせない軽口の別れの言葉を聞いてつぐみはかつてないほど悩んだらしい。未練を残さないように配慮してくれる仲間の芝居が、かえって決心を鈍らせたと言っていた。
それでもつぐみは、芸能の世界に飛び立った。
「お待たせ」
「お待たせしました!」
「ああ、うん」
舞台衣装を返した後、ロッカールームで支度を済ませてつぐみと合流した。
なんだか珍しく間が抜けているというか、締まらない声だ。
「どうしたの?」
「いや、ちょっと不思議な感じでさ。いつも一緒に着替えてたから」
寂しさ? というよりもJINプロのスタジオが生活の一部だった頃との差に慣れない感じかな。一階に向かう階段付近と廊下を見ているつぐみからは少しの戸惑いがあるみたいだ。
「また来れるようになってよかった」
ぽつりと言った言葉の重さは、私にも未羽にも計り知れない。
つぐみは芸能部の事務所入りを果たし、大型のオーディションを三つ連続で勝ち取った。CMの子役を二つ、連続ドラマの脇役を一つ。これは芸能界に詳しくない私でも凄まじさが分かる。
そこに至るまでの道は、思い出すだけでも辛い。
――数百受けたオーディションが、一つも受からないことだってある。
私と未羽は実際にそれを突き付けられた。
三人で練習や遊びのことを気兼ねなく言える携帯のチャットで、オーディションの報告をする時はいつも不合格だった。始めは内容や反省点など相談を交わしていたが、そのうちにつぐみが短く打ち切るようにしか言わなくなり、こちらもかける言葉が見つからなくなっていた。
報告だけは必ずしてくれた。
絶対に途切れさせてはいけないという執念を、つぐみは持っていた。
活動も辞めない。劇団で培った技能も、口が過ぎる部分も曲げなかった。
そしてぷっつりと連絡が来なくなり、未羽が不安で泣きそうになってた時、
《受かった。三つ。ひな、みう、やったよ私》
と報告が届いた。
リアルタイムの私と未羽の反応は、まあ、熱くうるさく恥ずかしいものだったかもしれない。つぐみが今日、練習見学に来ることになったのはその辺の会話からだ。私たちもそれなりに大変だったからさ。つぐみには言ってないけど。
今日の練習がばっちり決まったのも、そんなつぐみの姿に思うところがあったからだよね多分。未羽に目を合わせると、分かってるのかは知らないが、深く頷いてくれた。
「この後はなにしましょうか? 練習は予定より早く終わりましたし」
「カラオケでもいく?」
「明日は場当たりから通し二回あるだろ。ノドは――」
未羽は親指を上げてドヤ顔を決める。
私は、両手で小さくピースサイン。
「まあ、そんなやわじゃないか。ウチたちは」
「今から行きますか?」
時間は……14時を回ったところ。カラオケしたら夕食もいいね。
誰かの家に泊まりは、流石に自重かな。
「報告に行かなくていいの? 結果」
「あー、見学したいって電話した時に、紙谷さんには伝えた」
「それもあるけど……」
「えっと、みんなにはいつ話すんですか?」
チャットはほぼ3人専用みたいなもので、全体連絡にはメーリングリストを使っている。団員でつぐみのオーディションの結果を知ってるのは私達だけだ。未羽と一緒につぐみの言葉を待つ。
「黙っとく。ドラマの台本出来たら持ってきて、その時あっと言わせるッ。
ウチはお別れの時に冷たくされたしな。その仕返しをしてやるぞ」
つぐみは歯を見せて笑った。
どこまでも快活で、陰気でない意地悪さが備わった笑顔。
でも、その仕返しは成功率低そうだ。
プライドの高いつぐみが、少しの結果も出せないままでこっちに顔を出すって思うかな? みなお互いによく知った仲だ。本人より分かっている部分だってある。
「んっ」
「つぐみちゃん?」
不意につぐみが首に手を回して抱き着いてきた。反対の手は未羽へ。
3人の顔がぐっと近付く。
「二人がいたから、舞台の道を進んで来れた。信じる目標へ向かっていける」
「つぐみ……」
「……」
二人がいたから、と同じ言葉を繰り返す。
「ありがとう。……今日はそれを言いたかったんだ。
オーディションのことだけじゃなくて、いつもそう思ってるから」
ああ。もう。
本気で抱き着いて、こんなにきれいな言葉をまっすぐ言えるなんて。
未羽とかもう泣いてるし。私も落ち着かないし。
何となく、つぐみがこうやって寄りかかる人がどれくらいいるかを考えて、
自分がその中の一人でいられることが、本当に、純粋に嬉しい。
私も、二人がいたから今まで練習もついていけた。
辛くたって、ずっと続けたいって思ってこれた。
そう遠くないうちに、二人にはまっすぐ伝えたい。
自分の出した答えを。
* *
「スタジオ出る前に、レッスンルームに寄ってもいいかな」
未羽を落ち着かせた後で、つぐみは言った。
「いいけど、何するの?」
「ええと……まあ即興とかやっても楽しいし、どう?」
この時間は誰も使ってないから、開きっぱなしのはずだ。
今日の練習の仕上がりは上々。詰めの居残りをする子もいないだろうし。
私が頷き、未羽も無言でオーケーサインを出す。
声を出すとまた泣いてしまうらしい。
「よし、じゃあ行こうッ」
ふうっと息を吐いて、つぐみが歩き出した。
自分の気持ちや立ち位置を、再確認したいのかな?
確かに稽古場よりも、レッスンルームの方が私たちの原点って気はする。
自主錬、茶番、口論、寸劇、雑談、誕生ケーキ騒動、鏡激突事件。
息継ぎなしで、3時間はエピソードを喋れる自信がある。
レッスンルームには明かりが付いていた。
つぐみはノックをしないで、ゆっくりとドアを開く。
――そうだ。思い出した。
信念を曲げない。言ったことは必ずやりきる。
他人に寄り掛かられるのが大嫌いで、寄り掛かるのはさらに嫌う。
そしてそれ以上につぐみは、恋する女の子だった。
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