第2話 寸劇三人




 稽古場に大きな拍手が一つ響いた。みんながそっちに顔を向ける。


「音止めろ。……次の場面はいい。集合!」


 舞台にいた子も、袖で待っていた自分たちも一斉に集まる。

 私を含めて、おそらく全員がある種の確信を持っていた。

 昨日まで――いや今日の朝一番までどうしても決まらなかった見せ所のシーンが、これ以上無いってくらいぴったりと噛み合っていたから。


「今日は三幕の小返し、何回でもやるつもりだったが終わる。これ切りだ。明日の入りを10時に変更。場当たり1回、通し稽古2回。煮詰めが無ければ上がっていい。大道具は遅れてるが、バラシも搬出も手伝うなよ!」

「「「はい!」」」


 邪魔なだけだからな。と返事を聞いてから、鋭い目つきでこちらを見回す。


「なら良し! お疲れさん」

「「「お疲れさまでした!」」」

「うん。頭抱えながら小屋入りしなくてよさそうだ」


 本人を知らなければとても信じられないかもしれないが、これってほぼ最高の評価だ。紙谷さんの柔らかい表情を見ると、だいぶ仕上がってきたんだなと思える。つい小さくガッツポーズをしてしまう。


 稽古中の不機嫌を張り付けたような顔は、私たちの気を引き締めさせる為の演技だって分かっているけどやっぱり怖い時は怖い。芝居が迷走しているときは特に。


「ひなちゃん! やりました! 完璧に決まりました! これなら劇場でもばっちりです!」

「お疲れ。みう」


 紙谷さんが稽古場を後にした途端、未羽が抱き着いてきた。

 みんな、やり切った達成感を思い思いに噛みしめているみたい。


「みうは、こういう時に強いよね。小屋入りまで明後日だったし」

「もうみんなにはフォローばかりしてもらって……あたしだけじゃとてもここまで届きませんでした。本当、出来て良かったです!」


 主役を勝ち取ったまぶしい笑顔。

 私は端役。あの場面に、劇一番の見せ場にはいない。

 それでも未羽は、まず私に感謝を伝え、嬉しさを共有しようとしてくれる。

 未羽の言いたいことは分かる。

 配役全員で完成度を高めるってのは一つの基本姿勢だ、とかじゃなく単純に私とそうしたいんだこの子は。でも、まず先に喜びを分かち合う人達とは違くて、私じゃないことは確かで。


 ――あくまで決まったのは主役勢揃いのシーンなんだ。

 その席を勝ち取れなかった自分の悔しい気持ちを、ぐっと抑える。


「言う相手、間違えてない?」

「……あっ、そうでした!」


 気付けば主役級の面々は、衣装を解きに稽古場を出ていた。あれだけいい感触を残せたから、この後自主錬で詰めて明日を迎えるよりずっといい。気分転換に遊ぶ子もいるだろうし。

 今日はぐっすり眠れる子が多い終わり方で良かった。


「つぐみ」

「つぐみちゃん!」


 未羽と声が重なる。

 つぐみは用意されたパイプイスに座らず、ずっと立ってこちらを見ていた。

 衣装を返しに部屋に向かうと思ってたから、代わりに私がつぐみに声をかけたんだけど。

 

 ――いや、考え方によっては真っ先に声をかけるべきかもしれない。

 相変わらず小さい背に自信たっぷりな瞳。そして、明らかに不満そうな顔。


「お疲れ。みう。……ひなも。ちょっと思ってたのと違ったかな」

「えっ!? ど、どこか変でしたか?」

「思ってたのって?」


 つぐみはわざとらしくため息をつくと、ぱっと笑った。


「ウチがいないと、びしっと決まんないなあって言ってやるつもりだったんだけど……なんだ。すごい良くなってるじゃん。逆に言うこと無くて困る」


 ああ。

 やっぱりつぐみはつぐみらしいままだ。

 上から目線の皮肉に、懐かしさすら感じる。


「チャットじゃあさんざん、ヤバい難しいですどうしよう!? なんてやり取りしてたくせに。ウチをハメたな? さんざん文句付けてやろうとしたのにさ。二人して意地の悪いことを」

「いや、意地の悪さじゃつぐみには勝てないな」

「ちょっとー!? そんなことぜんぜん思ってません! ひなちゃんも違うって言ってください!」

「ひな、違うのか?」

「困らせたがりなとこはあるからね。つぐみは」

「いい度胸だなッ……」

「JINプロで度胸付かない人いないでしょ?」


 つぐみと睨み合い、未羽はそれを見てあたふたと手を振る。

 少しだけの静寂。この場にいる誰もが声を出さない。


 やがて、耐えられなくなって3人とも同時に笑う。


「本番、上手くいきそうで良かった。心配してたのは本当だし」

「本番はもっと良くなってますよ! すごい! 最高の劇だった! って絶対言わせてみせます!」

「みうが調子に乗り出したから、もう大丈夫。期待してていいよ」


 未羽がまた変な声を出し、私が冷やかし、つぐみがまぜっ返す。


 会ったのは久しぶりなのに、こんな茶番だって息ぴったりだ。

 いつだって即興で合わせられる。




 *  *




「どうでしたか? あたし達のお芝居は。今日は返しだけでしたけど」

「見るのも稽古のうち、って言葉。今ならよく分かるよ。勉強になった」

「つぐみはまず口が出て、手と足で動くタイプだしね」


 JINプロ児童劇団では、大先輩のOBが稽古を見学に来ることがある。他にも演出家・芸能・テレビ俳優など、JINプロ内での部署は違っても、様々な繋がりで訪れる人は多い。


 もちろん、OBや大御所が顔を出すだけで気合が入ることもある。

 誰々が見てるから、なんて委縮した演技を見せる団員なんていない。

 最低限の度胸が無ければ、どこかで辞めているだろうし、

 劇場に至るまでの練習、劇場で拍手に包まれる感覚をみんな憶えているからだ。


 それでも、数か月前に退団したつぐみが来てくれたことは、

 どんな助言や指導よりも私たちを……なんて言ったらいいのか、大いに挑発し大いに煽った。


 主役の未羽は目が覚めたような演技でみんなを引っ張り、

 脇役端役も勢い付いて続いた。誰も手を抜いていたわけじゃない。

 数か月前の、稽古の合間つぐみが大口を叩き、未羽が控えめな態度で注意し、周りが細部を見直し……そんないつも繰り返していた感覚を、誰もがはっきりと思い出していたのだ。


「三幕、あの場面だけは、観ていて大変そうだった。ってかよく最後の最後で決まったな?」

「大変さが伝わっちゃうくらい余裕なかったですよね。役ごとのセリフと動きが見せ所なんですけど、表現付けがバラバラだとダメで、足並みを揃えちゃうともっとダメで……」

「練習ラストと本番に強いからね。帳尻合わせはJINプロの伝統らしいし」

「ま、難しかったとこがいきなしピッタリはまるってことはあるしな。ウチのおかげだろ?」

「つぐみのおかげで、気持ちよく劇場入りできるのは本当だよ」

「そうですよ! お返しに、いい劇を団員みんなでみせちゃいます。楽しみにしててください!」

「なら、ウチも家族以外にも学校の子とか誘ってみるかな。実は二人が渡してくれたチケット、JINプロからも届いててさー」


 なんてことのない話が、いつまでも続く。


 ひとつの道が終わっても、別々の道を歩いても。

 また顔を合わせたら、いつだって始められる。

 私たちの関係が変わっていくことはあるかもしれない。

 でも、永遠に離れ続けることは無い。


 つぐみと久しぶりのやり取りを交わして再確認する。


 ――やっぱり間違ってなかった。

 今回の公演で最後だ。私の舞台人としての道は。




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