第2話 二人を別つのは冬
高校三年になると、みんな卒業後の進路について語り合う。多くは大学進学を目指して部活の最終試合を終えると、勉強に専念するようになる。
俺たちの試合は初冬の、枯れ葉がコンクリートに転がる音が街に響く頃だった。
俺は専門学校に入る予定で、その面接と最終試合の日程が被ってしまい、一人だけ早めに部活を引退した。
AO入学だったため試験もなく、軽く面接官と話をするだけで終わった。よく言われてはいたが、本当に専門学校なんて金を払えば誰でも入れるのだと実感した。
進路がほぼ決まった俺の周囲は、将来役に立つかもわからない英語の単語や数学の公式、歴史上の出来事を必死に覚え、その合間の息抜きに、クラスメイトと雑談をしているような感じだった。
自分にはできないなと、受験生を横目に、俺は箸蔵さんとのことを考えていた。部活仲間たちとも、なんとなく距離ができてしまった俺は、このまま受験を頑張っている彼女との間も離れていくのだろうかと、不安に似た妙な気持ちを胸に抱えていた。
邪魔をしてはいけないと思いつつ、このまま一緒の時間を過ごさなければ、彼女を引き留めておけないような気がして、そう思うと心音はドラムロールのように速くなり、俺の体を乗っ取った。
「さよちゃん、週末時間ある?」
俺は帰り道でも英語の参考書を開く箸蔵さんに、何気なく話を切り出す。
「うーん、ごめん、友達と勉強会する予定なんだ。なにかあった?」
「いや……大変そうだね、受験」
恋人同士がなにかないと会っちゃいけないのか、とは思いつつ、申し訳なさそうな彼女の顔を見ると、さすがに口には出せなかった。
「私、あんまり頭よくないからさ、他人より多く勉強しなきゃなんだよね」
「俺よりかは頭いいよ。なんせ俺はその勉強から逃げ出した男だからね」
自慢じゃないのに自慢気に、冗談めかして言うが、箸蔵さんはそれを冗談ともとらず、真面目に言葉を返す。
「いやいや、結人くんは頭いいよ。勉強とかとは別の頭の良さというか」
「なんじゃそりゃ」
笑って見せてはみたものの、なにか彼女がまた一歩、離れた場所を歩いているような気がして、膝が錆び付いたように動きを鈍くした。
「結人くん、じゃあ、またね」
「あ、うん。じゃあ」
気づくともう駅の前までやって来ていて、俺は彼女を見送り、手を振った。
俺は箸蔵さんの背中が見えなくなるまで、ぼんやりと立ち尽くした。
しばらくして、俺は自転車に跨がり家路を疾走した。俺が家につく方が早そうだ。
俺が部活も勉強も終えた頃は、兄は大学で就職活動を視野に入れていた。妹は高校入試の勉強で、夜遅くまで塾に通っていた。
俺だけサボっているような感覚は親にも伝わっているようで、明らかに兄と妹には優遇していた。
だからといって虐待をされるなんてことはなく、ただ特別扱いはされなかった。
この家で食う飯は味がしない。そう思い始めたのはこの頃だったのかもしれない。箸蔵さんと帰り道のコンビニで買い食いしたのが一番美味しかったと思えた。
必然、家族との団欒より、部屋に籠る時間が長くなった。
なにもすることがない夜は、永遠のように感じた。
スマホの画面を何度も確認するが、いつ見ても連絡はなく、ただゲームの通知ばかりがスマホを揺り動かした。
俺はなにがしたいんだろう。この問いは他の誰かが答えをくれる訳じゃない。だから周りを見渡して、自分の趣味や特技を探してみるも、部屋の中は空っぽだった。
やっと見つけた小さなかわいらしいメモ紙は、箸蔵さんからもらったプレゼントについていたものや、記念日にもらった手紙だった。
彼女からこうして物をもらわないと、俺の部屋にはなにもない。使わない勉強道具とスマホの充電器、あとは小中学校での嫌な思い出くらいだ。
考えれば考えるほど、自分にできることなんて一つもないように思えて、いつ死ねばいいのかを、ぼんやりと考え始めた。
もちろん箸蔵さんと一緒にいる時は楽しいと思う。けれどじゃあねと言って姿が見えなくなると、その気持ちが一気に負に転換される。こんな虚しさを感じるくらいなら、いっそ出会わなければよかったと思うほどに。
いつか死んでなにもかも失うのなら、今なにかを手にしても意味がない。そう思うと俺は何事にも本気になれなかった。
それは好きな人にも同様に、当てはめられてしまう俺が嫌だった。
なんで付き合ってしまったんだろうと、後悔するくらいに歪んだ闇は、水をやらなくてもどんどんと心に根を伸ばしていった。
卒業式を終えて、会える日が少なくなったら、それを言い訳にして別れよう。
卑怯な俺は、心の器に箸蔵さんへの感情がいっぱいになる前に、それをひっくり返してしまった。
溢さないように気を張ってるより、中身がなくなっていた方が、だいぶ楽になったけれど、空の器はからっからに乾いていった。
別れを決めてからは、彼女との距離感も気にならなくなった。
きっと自分と別れた方が幸せを掴めるだろうと、彼女のためだと考えた。
それに今、彼女は大学進学という未来への道に足を踏み入れている。そしてその険しい道には俺は入り込めない。
ならば同じ道を歩く人と、同じ方向を向いて歩んだ方がいいに決まっている。
俺は彼女の背中を押してあげるんだ。そう考えると、別れを切り出そうという自分に自信を持てるような気がした。
いつもより自転車をこぐ足が軽い。けれどなぜだろう、これだけ速くこいでいるのに、学校への道が長く感じるのは。
彼女の羽根の色も思い出せない 鳳つなし @chestnut1010
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