彼女の羽根の色も思い出せない

鳳つなし

第1話 俺の死んだ日

 俺は金がなかった。

 こんな体を凍りつかせるほどの風を浴びたまま夜を明かせば、そりゃあ死体にだってなるさ。

 真夜中のベンチだろうとここは眠らない街。人が通らないわけがない。けれど横になって虚ろな目をした俺に、声をかける人間なんて一人もいなかった。

 いつもならイルミネーションに浮かれてスマホを向けてるバカたちから財布をスルのなんて造作もないのだが、今日は人が多すぎて人目につく。人混みの中から掠めとる技術もあるが、やけに鞄がしっかりと閉められていて、手が出なかった。

 コンビニの前にはケーキを売ってる店員が、作り物の笑顔を振り撒いていたな。

 俺にはそれができなかった。それが俺と一般人の差なんだろう。

 俺だって、もう少し自分の感情を制御できれば、一般人になれたかもしれない。こんなところで死ななくて済んだかもしれない。

 そんな後悔かもわからない感情は先には立たず、俺の意識は夢の中へと誘われていった。


 俺はごく普通の家庭の次男として生まれた。上に兄と下には妹が一人。

 父親はどんな仕事なのかも知らない、いわゆる一般企業でサラリーマンをしていて、母親は数年前からパートを始めた。

 兄は有名な大学を出て、今は立派に働いているらしいが、実家にも帰って来ないで、自分勝手に暮らしている。妹もついこの間就職が決まったとかで、両親は喜んでいた。

 そして俺は、デザイン系の専門学校に行って、そのコネで就職したはいいものの、長続きせず、一年ちょっとで辞めてしまった。

 それからはフリーターでなんとか飯を食っていたが、バイトも転々とするような有り様だった。

 それで家にも居づらくなり、金がないまま飛び出した。

 逃げるように東京の雑踏に身を隠し、なんとかその日の宿代を稼ぐのがやっとで、スリに手を出すまでにそう時間はかからなかった。

 なにをするにも中途半端だった俺は特技なんて言えるものはなかったが、スリだけは上手にできていたような気がする。

 けれどそれだけじゃあどうにも最低限の生活しかできなかった。

 キャッシュレスの時代かなにか知らないが、最近はみんな財布には現金が入っていない。せいぜい一万か二万程度で、あとはクレジットだの電子マネーだのカード類がほとんどだ。

 カードから金をとるにはそれなりの技術とリスクがいる。俺にはそんな度胸はなかった。

 金がなくなると風俗街を目指した。ちゃんとした店はクレジットも使えるがそれでも現金を持ち歩く男が多くいる。風俗街のいいところは財布に一定の現金がしっかり入っていることだ。そりゃあ遊ぼうと思えばその料金にホテル代、欲張りな客はそれ以上を金で買おうとする。そうなれば自ずと現金を多めに持ち歩く。一晩あれば一週間分の飯代は稼げるだろう。

 あと交通機関系の電子マネーは、サラリーマンだと多めにチャージして、それだけを持ち歩くやつもいる。そんなときは電子マネーの使える自販機で何本か飲み物を買う。コンビニやスーパーで使うと購入履歴や監視カメラでリスクが大きい。監視カメラのない自販機を見つけて水分補給をした。

 俺はスリを生きる手段だと思って、もう悪いことだとも思っていなかった。

 悪人と言われてもなんとも思わなかった。


 そんな俺にも青春時代はあった。

 高校生の頃。やりたいことも特になかった俺は、部活をどうするか迷っていた。

 適当な部活を選んで幽霊部員になればいいかと思っていたが、体験入部をしている同級生の一人に目が留まった。

 よくルールも知らない袴姿で弓を引く部活で、袴を着せてもらっている女子がなんとも可愛らしく、俺の目には映った。

 それがキッカケで、俺は弓道部に入った。

 まさか道具を揃えるのに何万も必要になるなんて思いもしなかったが、そこは親に頼んで買ってもらった。

 彼女は箸蔵小夜子という名前だった。俺はもう箸蔵さんにゾッコンで、なにもなくても話しかけた。

 箸蔵さんは誰にでも優しく、軽薄な俺にも笑顔で接してくれた。それが嬉しかった。

 弓道部として一生懸命練習する箸蔵さんを見ていたいと、俺も弓道を練習するうちに、真剣に向き合っていた。

 それでも部活より、俺は箸蔵さんを優先していたのは間違いなかった。

 器用貧乏な俺は頑張って練習する箸蔵さんを追い抜いて、弓道がうまくなっていた。いつの間にか俺は彼女を応援し、サポートする形で部活に励んでいた。

 当の箸蔵さんはあまり器用ではないらしく、なかなか努力の成果が出てこなかった。弓道部は道場試験というものがあって、先輩たちに認められるようになるまでは、実際に道場で矢を射ることはできなかった。それは武器にもなる道具ではあるから仕方ないが、俺は頑張っている彼女を、なんとか道場に上がらせたかった。

 暗くなるまで箸蔵さんの練習を見ていた俺は、彼女からの逆告白という形で交際することになった。俺の優しいところが好きと言ってくれたが、好きだったからというのは言い出せずに、なんだかいたたまれない気持ちにもなった。

 けれどこんなチャンスはないと、黙って付き合うことにした。

 俺の高校三年間は弓道と箸蔵さんで一杯になった。ろくに勉強もせず、ただ彼女と一緒にいる時間が嬉しくて、部活に励んだ。

 弓道はそう簡単にはいかず、道場に上がるまではよかったが、それからは進歩もなく、矢を的に向かって射る動作を、ただただ繰り返すだけだった。

 その停滞は、箸蔵さんとの関係にも響いていた。

 部活ばっかりで金もなく、日曜も弓道場に通うくらいで、二人で遊ぶ機会はそう多くなかった。

 楽しくなかったと言えば嘘になる。けれど、最高の高校生活を送れたかと問われると、言葉に詰まるだろう。

 遊びはしなかったが、その分二人でいろんな話をした。

 内容は大したことない、思い出そうとしなければ忘れてしまうような雑談ばかりだったけれど、好きなものや夢の話など、彼女のことを多く知れたように思う。

 箸蔵さんはバイクが好きで、免許が取れる歳になったら遠くまで走って行きたいと胸を踊らせながら言っていた。

 その輝く笑顔によく癒されていた。

 俺は車とかバイクとか、男の子が好きそうなものには全く興味がなく、バイクの種類を言われても、あまりピンとはこなかった。それでも彼女は一生懸命、その魅力を伝えようと言葉巧みにバイクの説明をしていた。

 その真剣な表情を見て、俺も少しはバイクの知識を身につけようかとも考えて、ネットで調べてみたりしたが、一向に覚えられる気がしなくて、スマホを放り投げた。

 高校在学中に免許を取ることは叶わず、卒業してすぐ取りに行ったと聞いたが、彼女は今、バイクに乗っているのだろうか。

 

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