後. 帰郷

 駅のわきからすぐ田園が広がり、家が五軒ほど固まって点在している。しばらく車はいくつかの集落を抜けて、山裾の集落に向かっていた。

 

 私は畑に埋もれる農夫の姿をひとりひとり、注意深く観察した。弟が家を手放していなければ、もうすぐ我が家の土地だ。駅に弟の姿がなかったから、農作業で忙しいだけなのかもしれない。

 

 やがて目の前に、昔懐かしい、私が生まれ育った家が目に入ってきた。古くなってこそいたが、その姿は全く変わっていなかった。


「ここでとめてくれ」


 私は家の前に来た車を止めてもらうように運転手に行った。私は車をそこに待たせたまま、扉をたたいた。

 何の反応もない。戸を引いてみると鍵がかかっていなかった。少しできた隙間から家の中をのぞいた。

 人のいる気配はない。もしかしたらと思い、家の裏にある牛舎に足を運んでみた。

 私が家にいた頃には牛のを一頭飼っていたから、もしかしたら子牛が生まれて、新しい牛が生まれているかもしれない。

 牛小屋には私の見覚えのない牛の姿があった。しかし、やはり人の姿はなかった。更に牛に近づいてみると、生まれて少しした子牛が、小屋の隅の方で腰を落として座っていた。


「兄さん?」


 急に後ろからかけられた聞き覚えのある口調に、私ははっとなって振り向いた。見ると、のいい、それなりに繕ってあるシャツを着た長靴姿の農夫が、わらを一杯に抱えてたっていた。体つきがよくなり、少し老けてはいるが、間違いなく私の弟だった。

「ごめん、兄さん。向かいにいけなくて。そこの子牛の調子が麻から悪くて」

 弟は相変わらず清らかな目で私を見つめた。病弱な母ををおいて家を出た私。その世話の一切を弟に背負わした私。葬式代も出さず、家の何もかもを弟に任せてしまった私。弟は、こんな無責任な私を、恨んではいないのだろうか。

「来たくなかったんじゃなかったのか。私を迎えにくるのを」

「ごめん、兄さん。わるかった」

 わらをおいて顔の前で手を合わせる弟の姿に、私の心臓が大きく脈打った。

「私の手紙に返信をしなかったのは、私を恨んでいるからじゃないのか」

「何いってんの。恨むわけないじゃん。返信しなかったのは、僕なんかの汚い字で兄さんに手紙を送るのがおこがましいと思ったから」

 黙り込んでしまった私に、弟は更に続けた。

「母さんの編んだマフラー、今も使ってくれているんだね。」

 その言葉に、私は涙をこらえずにいられなかった。

「兄さんは、この町のために、帝都の一流大学に入って、たくさんのことを勉強してきたんだろ。

 母さんが、病床でいつも言っていたんだ。兄さんは、町のみんなを助けるために家を出て行ったんだ、って。お前になら、家のことが任せられるって思ったから、何の迷いもなく家を出て行ったんだ、って。だから、恨んじゃいけないって。ね、兄さん。だから、兄さんが悔やんで泣く必要なんてないんだよ。だから、なかないでよ、兄さん」

 こんな兄を、弟は恨んでいなかった。それどころか、私の方が間違っていた。とても罪なことだと思った。私は、弟の目の前で膝をつき、懺悔を願った。

 ただ、謝罪しか出なかった。母のこと。家のこと。弟は首を横に振った。そして私の手を握った。

 一度こらえようとした涙が、もう一度流れ出すのを感じた。

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帰郷 河原四郎 @kappa04

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