I believe ~ゆるすこと・信じること~
賢者テラ
短編
ぼくは、しゅくだいをわすれた
せんせいは、こわい
おこられてる子を、なんにんも見た
ほんとうにこわいから、なく子もいた
わすれものをいえにとりにかえらされる子。のこらされる子——
きびしかった
ぼくは、いままでわすれたことなかったのに
うっかりしてた
はじめてわすれた
どうしよう
どうしよう
「しゅくだいを、わすれたのか」
せんせいは、かおをちかづけてきた
「はい」
「なんでだ」
このばを、いちばんうまくのりきれることばをさがした
でもだめだ
うかばないや
しょうじきにこたえるしかない
「ほんとうに、すっかりわすれていました。ごめんなさい」
せんせいは ぼくの目をじっとみた
「そうか」
しんじられないことを、せんせいはいった
「つぎから、わすれるんじゃないぞ」
えっ
ぼくは小さくこえをあげた
せんせいはなんとなくぼくのとまどいをさっしたようで、わらってこういった
「ほんとうにわすれてたんだろ?」
「はい」
「そしていま、こころからすまないとおもっている。ちがうか?」
「ごめんなさい——」
「だったら、もうしかるりゆうがない。せんせいにも、ひとをみる目くらいあるよ」
ぼくは、ぼうぜんと立ったまませんせいをみおくった
しょくいんしつにもどるせんせいのうしろすがたを見つめた
わかれぎわに、せんせいがいったことば
ぼくは、ぜったいわすれない
おとなになってもきっと——
「せんせいは きみをしんじるよ」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
20年がたった
僕は交通事故を起こした
婚約した女性とレストランで食事をした帰りの夜道
車で彼女を自宅のマンションまで送った後
仕事も順調、彼女のハートも射止めて
これからが人生の本当の幸せだと、自然に頬が緩んだ時
僕に隙ができた
どうしてあの時と思っても
起こってしまった後となってはどうにもならない
僕の注意力が運転からちょっとそれたそのタイミング
視覚がすぐ前に人の姿を捉えた
ブレーキを踏む
でも僕が直後に見たものは
体をくの字に折り曲げて弾丸のように吹き飛ばされる物体
塀に激突したそれは若い女性の体だった
「もうしわけございませんっ」
僕は何度も被害者の両親に頭を下げた
病院に駆け付けた母親は卒倒した
父親は僕の頬骨が砕けるほど殴った
よけることもできたが僕はそうしなかった
警官が僕と父親を引き離した
僕の心と思考に灰色のフィルターがかかった
その時から、僕には別の人生が用意されていた
半年以上の裁判期間を経て
執行猶予つきの有罪
多額の慰謝料を払ったが
そんなものでは僕と被害者とその家族との落ち込んだ地獄からは
逃れられるわけがなかった
僕が跳ね飛ばした女子大生は
死ななかったが下半身不随
一生車椅子なのだそうだ
4年間、僕は手紙を書き続けた
被害者宅に通い詰めたが門前払いをくったからだ
一度はゴミが飛んできた
僕はそれまでの恵まれた職場を追われた
今は宅配便の配達をしている
婚約も破談になった
相手の親もいい顔をしない
さらに悪いことに、婚約者のほうでは——
事故を起こした僕でも、僕は僕として好きでいてくれるのでは?
そう淡い期待をかけたが
彼女は僕に背を向けた
僕はこうなった今でも運命を呪っていない
悪かったのは僕だ
自業自得だ
自分はもういい 一生みじめだろうが何だろうが
でも
歩ける足を失った女性のことを思うと、のどが焼けるようだ
たまに風呂場で皮膚に爪を立てて掻きむしる
血がにじむまで
気の済むまで掻いてから風呂を出る
とても湯船に体を浸けられない
プールはもちろん銭湯にも行けない
僕の体は傷とかさぶただらけで目も当てられなかった
ある日の来客は僕をびっくりさせた
呼び鈴の音に気づき玄関ドアののぞき窓から確認したのだが
誰もいない
いたずらかと思ってドアを開けてみると——
相手が低くて見えなかっただけだった
いた
車椅子を操る女性
僕の知る限りそんな知り合いは一人だけ
あの子だ
「手紙、ありがとう」
僕らは玄関先で会話を始めた
中に入ってもらおうかと思ったが、ここでいいと言われた
椅子から降りるの大変だしね。そう言って笑った
「……もしかして読んでくださってたんですか」
罵倒されても仕方がない
覚悟はしていた
でも
女性の顔は神々しいほどの笑顔に満たされていた
「正直、最初の30通くらいは捨ててた」
女性は苦笑いを浮かべた
「でも、そこからは読むようになった。すごいわね、こないだので400通目」
「……ご迷惑でしたでしょうか」
僕は恐縮した
ゆるされなくてもいい
できる限界まで僕は謝罪を続けたいと思ったんだ
女性は答える代りに
ぜんぜん別の話を始めた
私ね インテリアデザイナーになったの
毎日泣いてたけど——
これじゃ私は本当に終わりだって思って
必死で勉強に打ち込んだ
足の悪いことなんて考えないようにしてね
資格取ってね
車椅子での就職活動は辛かったけど
会社30社以上応募してさ
やっと車椅子の私でも採用してくれるところが見つかった
今、私幸せ
もちろん足のことは完全に吹っ切れたわけじゃない
でもね 生きる喜びが本当に分かってきたらね
希望が見えてきたらね
ゆるせない人がいるってことが、とても辛くなってきたの
それが私の心を汚くしてるの
だから今日、思い切って来ちゃった
あなたと和解するために
僕は呆然とした
「本当に ゆるしていただけるんですか……?」
彼女は、遠い眼をした
視界には玄関の天井しか見えていないはずだが
どこかの遠い空を突き抜けて、宇宙までも見通しているかのよう
「あなた 本当にすまなかったって思っているんでしょう?」
「…………」
「私にもね 少しは人を見る目があるのよ」
20数年の時が逆戻りした
……せんせい
ぼくは おもいだした
しゅくだいをわすれたぼくを、しからなかった
めをみて、わかったといってくれた
もしかして
つぎにあなたがいうことばは——
まさか
まさか
「わたしは あなたを しんじます」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
この男は、被害者の訪問後三日間泣き続けた。
その後、取り憑かれたように勉強を始めた。
3年後。
難関である社会福祉士とケアマネージャーの資格を取得。
その残りの生涯を、障がい者福祉のために捧げた。
男は、被害者女性を陰で支え続けた。
彼女に、意欲に燃える施設職員の男性を紹介した。
障害を越えてめでたく結婚した二人の仲人役も務めたのだが……
精神力だけに支えられて、ムリをしすぎてきたことが祟った。
男は、40歳の若さでこの世を去った。
かつては車でひいて、足を奪った女性に見守られながら。
病院の一室で、彼女に手を握られながら、目を閉じた。
●この者は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。
少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない。
ルカによる福音書 7章47節
I believe ~ゆるすこと・信じること~ 賢者テラ @eyeofgod
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