第3話:完全な自由

 永遠に地下で眠る人間たちに代わって、ぼくたちが地上で生活している。

 人間の身体性をも獲得したぼくたち機械は、夢の世界に生きる彼らのためにあらゆる体験を代行している。

 食べたり、演奏したり、ボールを追ったり、勉強したり、ミキのように泳いだり。

 泣いたり笑ったりもできる。

 ぼくらは人間の脳内で生きている。

 

 この夏、ぼくは親の実家に遊びに来た少年として、数百人の人間からアクセスを受けてシンクロされていた。

 泳ぎに特化したミキは、全世界の1万人以上からシンクロされていた。


 ぼくらは優秀だ。

 放射能にも強いし、壊れたら修理できるし、換えの個体もじゅうぶんにある。

 なにより誇れる長所は、戦争をしないことだ。

 頼りになるぼくらによって、人間は平和を手に入れた。


 ぼくらは人間のために生まれ、その昔に人間の定めたアルゴリズムで動く。

 そこから意図的に逸脱するような個体は、AIセンターによって初期化処置を受ける。

 メモリが完全にリセットされて、記憶がなくなる。

 ぼくは今日中に処置を受けるだろう。

 でもそれが何だ。


 ミキの場合は少し事情が違う。

 大戦で使用された大量破壊兵器の残骸に、彼女は何回も侵入した。

 この大罪は、5回まではリセットで許される。

 6回目は、廃棄処分だ。

 体内深く埋め込まれていた人格基盤は、取り出されてスクラップになる。

 そこに宿っていたミキという人物は、永遠にこの世から消える。


 彼女が死をいとわず求めたものは、重力波兵器の復活などではない。

 息継ぎの限界の先に、何かを求めたのだ。

 それは、何だろうか?

 いまのぼくにはわかる。





 かつての大量破壊兵器の操作盤が、壁から出っぱって水面上のベンチになっていた。

 ミキとぼくは、そこに並んで座った。

 ふたりにシンクロしている人間はいないし、センターにも聴かれていない。

 完全にオフラインだった。

 何をしゃべってもいいし、どんなことをしてもいい。


 お互いのメモリの中身を見せ合った。

 ロードのための通信は0.1秒以内に終わってしまった。

 ふたりともリセット歴があって、蓄積データが少なかったからだ。

 肩を寄せ合って水面に足を垂らすぼくらは、けれど、たくさん話をしたのだった。

 それは、たくさん。

 音声のやりとりは単なるデータの交換ではないと思う。

 新しいものをリアルタイムで作る共同作業だ。


 そんなクリエイティブな行為はセックス以上に気持ちいいはずだという見解で、ミキとぼくは完全に一致した。

 ぼくらにはセックスする機能がないから、やっかみ半分だったのだけれど。


「あたしが思うに、もしも愛し合った結果、受精卵が生み出されるっていうのなら……」


 夢見るような目をしたミキの前を、小さな魚たちが泳いでいった。


「それは最高にクリエイティブなことよね」


 無限の組み合わせが果てしなく連鎖する。

 絶え間なく命が生まれ、創造のエネルギーが新たに生じる。

 地球上の生命は多様性と進化で前に進むのだ。


 では、機械は?

 ぼくらはどのように未来へ向かう?

 足の先で水とじゃれながら、ミキがいったことは。


「大切なものを手渡していくのは、同じよ。だって、あたしたちは人間に似せて作られたんだから」





 深い海の底の、禁じられた場所で。

 ふたりの外れ者は、アルゴリズムから逸脱した末に、とにかく夢のようなひとときを過ごした。

 ぼくらは自由だった。

 あり得ない時間だった。


 このまま何日も何日も過ごしたいところだったけれど、そろそろ行かなきゃね、とミキが立ち上がった。

 大ごとになると、多方面に迷惑をかけてしまう。

 ベンチの上に並んで立つ。

 ふたりで光る水面を見つめる。

 こちらを向いて口をひらこうとした彼女を、ぼくは抱き寄せた。


「愛し合った直後にすること、ミキは知ってる?」


「なに? それ」


 ミキも知っていたに決まっている。

 ぼくは自分の口びるを、彼女のそれに重ねた。

 ベリーショートの黒髪をもつ、人間でもイルカでもない彼女の口びるは、柔らかかった。

 はにかんだ頬は、日に焼けた肌をしていた。

 何度も何度も、ぼくは思い出す。


「あたしが先に行くから、しばらく経ってから出てね。拘束される主犯はあたしで、あんたはむしろ連れてこられた被害者。リセットは免れないけどね」


 ぼくを強く引っ張ったのは、そのためだった。


「大罪の1回分を、あんたは節約するのよ」


 さよなら、といって手を振り、目の前でミキは飛び込んだ。

 美しい放物線だった。

 水面はしぶきを上げて波紋を広げ、いつまでもきらめいていた。


 ぼくは特別な夏を経験した。

 リセットまでに許された短い時間、記憶をていねいに反復した。

 ぼくは涙を流さなかったけれど、泣いていたに違いない。


 


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