第2話 天界と地上

 久しぶりの休日。たまには外に出かけるのも良いかなってことで、寝てるコウちゃんを起こさないように家を出た。外は快晴で文句の付け所がないほど良い天気だった。桜の花びらが舞い散り、風に乗って流れてくる心地良い季節。河川敷沿いに咲いている桜並木は息を飲むほど綺麗だった。


「あれ?」


 家を出てから一時間ほどが経った頃。携帯の着信が鳴り、急いでポケットから取り出して画面を見るとお母さんからだった。普段はお母さんから掛けてくることが無いから、何か大事があったに違いない。


「もしもし? どうしたの?」


「コウちゃんが泣きながら電話を掛けて来たんだけど、何かあったの?」


「いや? なんて掛かってきたの?」


「よく分からないけどメアちゃんが家出したって」


「いや、ちょっと外出してるだけだよ」


「そうなの? 心配してるから早く帰ってあげなさいよ」


 そう言って電話が切れた。ちょっと外に出てるぐらいで泣きながら電話するなんて、コウちゃんに何かあったに違いない。地上では羽を見られるのはマズいけど、緊急かも知れないし仕方がない。急いで家に帰ることにした。

 家に着き、そっと家に入ると何かを呟くような声が聞こえてきた。耳を澄まして聞いてみるとコウちゃんの声だった。


「ごめんなさい。帰ってきて……」


 消え入るような声で呟いている。誰かに脅されてるように聞こえた私は勢いよく扉を開けて部屋に飛び込んだ。


「コウちゃん! 大丈夫!?」


「メアちゃん……?」


 そこにはコウちゃん以外の人影がなく、部屋の隅で泣いてるコウちゃんの姿しか無かった。犯人らしき人物も居ないし、逃げられたのかも。


「どうしたの?」


「メアちゃんが家出したと思って……」


「なんで?」


「やり過ぎたかなって……」


 なるほど、家出をしたと思ってコウちゃんは反省してくれたのか。それもそうだよね。昔からずっと一緒だったし。それでも泣きながら待ってるとか可愛いかよ。


「じゃあ、控えて欲しいな」


「うん……」


 安心したのか再び泣き出すコウちゃんを慰める。いつだったかな、お母さんに怒られて二人で泣いていた時もこんな感じだったな。サラサラの長い金髪を撫でてるとなんだか昔に戻ったような感じがした。イタズラさえ無ければ仲良く出来るんだけど、難しい話だと思う。

 その日の夜。やることがあった私はコウちゃんがご飯を作るところを見る余裕がなかった。


「頂きます……」


 食卓に並べられた夜ご飯を恐る恐る口に運ぶ。


「あれ? おいしい」


 いつもなら唐辛子とか何かしらの刺激物が入っているのに、今日のご飯には何も入ってなかったし、美味しかった。


「ありがと」


 その日からコウちゃんのイタズラが無くなった。私はすごく助かるけど、何かあったのでは無いかと少し心配になる。いや、早く天界の帰れるんだから気にすることは無いだろう。


 その日から一か月が経ったある日のこと。コウちゃんからのイタズラはあの日以来全くない。心置きなく過ごせるのは良いんだけど、最近コウちゃんからの視線を感じることが多くなった。原因に心当たりが無いから私の思い過ごしなのかも知れない。


「おはよ」


 眠い目を擦りつつ部屋から出てきたコウちゃん。イタズラが無くなって心置きなく生活出来ているはずなのに、どこかスッキリしない。コウちゃんとの距離が開いた気がして落ち着かない。


「今日は早いんだね」


「うん」


 日曜日の朝六時半。私はいつもこの時間に起きる。家の外も中も物音一つしないくらい静かだから、好きな小説を読むには最高の時間帯だ。コウちゃんはいつも八時ぐらいに起きてくるのに今日は早起きだ。

台所へと向かい、コーヒーを入れてリビングへと戻って来た。特に話すことも無く静かな時間が流れる。好きな小説を集中して読めるから助かるんだけど、一つだけどうしても気になる点がある。


「どうしたの?」


「え? 何もない」


 コウちゃんの視線が気になって本に集中できない時が多々ある。それでもイタズラされなくなったことを思えば全然気にならない。

 することが無いコウちゃんは暇そうに伸びをしたりスマホを弄ったりしてたけど、本当にすることが無いのか、部屋の奥からギターを取り出してきて弾き始めた。


「ギター弾けたんだ」


「うん。カッコいいでしょ」


 綺麗なアコースティックギターの音色が部屋に響き、小説を読むときには丁度良い音楽だ。小説もちょうど半分まで読み終わって、時計を見ると針が八時半を示していた。お腹も空いてきたし朝ご飯でも作るか。


「朝ご飯作るね」


「うん」


 猫舌のコウちゃんがコーヒーを飲み終わるまで時間もあるし、コーヒーを飲み終えてすぐに朝ごはんも嫌だろうからゆっくり作ろう。冷蔵庫から卵二個を取り出してフライパンに割った。目玉焼きを作ってる間に、食パンを二枚取り出して少し斜めで半分に切ってトースターで焼く。あとは……


「ん?」


「ボクが出るよ!」


 インターホンの音が聞こえて、両手が塞がって出られない私の代わりにコウちゃんが出てくれた。

 お客さんが来てるはずなのに話声が聞こえてこない。よく分からない胸騒ぎもするし。


「芽亜ちゃん……」


 コウちゃんが沈んだ表情でキッチンへと入って来た。いつもなら私の代わりに対応してくれるのに、コウちゃんは様子がおかしかった。


「どうしたの?」


「ちょっと来て」


 言葉にし難いのか説明も無しに袖を引っ張ってくる。ガスコンロの火を止めて焦るコウちゃんと一緒に玄関に向かった。


「あっ!」 


 コウちゃんの視線の先にはお母さんが居た。今まで一度も家に来たことが無いし、急に来るから少し身構えてしまう。だって、何の連絡も無しに来られてもビックリするし困る。


「急に来るなんて珍しいね。どうしたの?」


「大事な話があるから」


 真剣な顔でそう言って、部屋が変な緊張感と重苦しい空気に包まれた。そもそも、大事な話があるなら事前に連絡ぐらいするのが普通だろう。今のお母さんには何を言っても聞き入れてくれないだろうから何も言わないけど。


「あがって」


 リビングへと案内した後、キッチンに戻ってフライパンの火を止めてお茶を出す準備をした。お母さんはそう言うマナーには厳しい人だから少しでも抜けてたりしたら延々と怒られる。


「大事な話って?」


「天界に戻って良いよ」


「ほぇ?」


 何を言ってるのか理解出来なくて頭の中でその言葉がループし続けた。次第にその言葉が何を意味してるのか理解できるようになって、心の底から嬉しさが湧いてきた。この日をずっと待ち続けて地上で暮らしてたから、やっと帰れるんだと思うと飛び跳ねる程嬉しかった。


「良いの!?」



「帰れるのは一人だけね」



「え?」


「どっちが帰るか決まったら電話してね」


 そう言い残しお母さんは立ち上がって部屋から出て行こうとした。


「ちょっ! 待ってよ!」


 そんなこと急に言われてもどっちか一人なんて決められる訳がない。せっかく仲良くなれたのに、こんなの天界に帰ってもコウちゃんとの仲が悪いままなんて心にモヤモヤができて平和に暮らせるとは思えない。


「ひどいっ! そんなの決めれる訳ないじゃん!」


「ルールだから。決まったら連絡してね」


 足早に帰ろうとするお母さんの腕を掴んで止めようとした瞬間、お母さんの体が消えた。残された私たちを包むように重い空気が部屋を漂う中、何も話せなかった。


「メアちゃんが帰りなよ」


「え……? 何言ってんの?」


 平気でそんなこと言えるコウちゃんに怒りが湧いてきた。いや、本当はコウちゃんだって言いたくないはずだ。一回冷静になって考えれば分かる事だ。


「私、地上の方が楽しいし。それに、メアちゃんも私と離れることが出来るじゃん」


 笑いながらそんなことを言えるコウちゃんを見ると心に鋭い痛みが走って苦しかった。本心を伝えたいのに口が動かなかった。


「そっか……コウちゃんは私と離れたいの?」


 違う。本当はこんなことを言いたかったんじゃない。二人で一緒に帰れる方法を探すのが先決のはずなのに、それすらも言えなかった。


「そんなっ……うん。その方がメアちゃんも幸せでしょ?」


 そんな寂しくて悲しそうな顔で言われても説得力なんて無い。それでも自分を嫌われるように仕向けて私から罪悪感を減らそうとしてるんだ。別れても辛くないように保険掛けてるんだ。


「私の幸せは私が決める。そんなこと言わないで」


 今何を言っても感情が高ぶってコウちゃんに怒りをぶつけてしまうだけだ。一回冷静に考えなきゃ。そんなこと今の私に出来る余裕なんか無いけど。


「頭、冷やしてくるよ」


「待って!」


「止めないでっ!」


「メアちゃん……」


 手を伸ばすコウちゃんの腕を振り払って家を飛び出した。今はこれで良かったんだ。こんな感情で冷静に考え事なんて出来ないし。

 やっと仲良くなれたのに、こんなことになってしまうなんて想定外だ。そもそも、お母さんは仲良くなれば天界に帰してくれるって言っていた。それなのに約束が違うじゃないか。

 別のことに意識を逸らしたくて河川敷の桜の木の下で桜を見上げていた。いつもなら色んな事を忘れさせてくれるほど綺麗なのに、頭の中でコウちゃんの寂しそうな声が木霊し続けて綺麗な桜すら寂しく見えた。


「何やってんだろ。私」


 こんなことしてる場合じゃないのは分かってるけど、それでもコウちゃんとは少し距離を置いて考えたかった。落ち着いて考えれば分かることでも今は分からない。

 寝転がってみると木の枝から金色の木漏れ日が差し込んでいた。その美しさを共有できる相手は隣には居なくて、心の内に感想を貯めて置くことにした。きっといつか、この美しさを誰かに話す為に。

 どれくらいこの場所に居ただろうか。夕日が空を真っ赤に染める夕方、川の水面がキラキラと輝いて流れている。気付かないうちにコウちゃんからメールが来ていた。


「今日は一人でご飯食べて」


メールにはそれしか書かれていなかった。いつものコウちゃんが書くようなメールの文じゃない。様子がおかしい。


「帰らなきゃ」


 走って家へと向かった。街は仕事帰りの人やカップルが手を繋いで歩いていた。そんな当たり前の風景でも今の私には羨ましく思えた。街行く人たちはみんな帰る場所がある。私の帰る場所ってどこなんだろう。地上に来てほんの数か月。そんな短い期間で帰る場所すら分からなくなるなんて。


「ただいま」


 日が暮れた後の家は電気を付けないと足場も見えなくなるほど暗かった。電気を付けるスイッチを手探りで探していると窓から光が差し込んでいた。その明かりを頼りに窓へと向かうと、月を眺めているコウちゃんが居た。


「コウちゃん?」


「っ……」


 私に微笑んだ後、どこかへと飛んで行ってしまった。窓から差し込む光は何もなかったかのように消えてしまった。

 電気を付けると机の上に手紙が置いてあることに気付いた。


「ごめんね。メアちゃんが天界に帰れるようにお母さんには連絡しとくよ」


「っ!」


 あの馬鹿天使を早く止めないと。自己犠牲が私のためになるって思いこんでるあの馬鹿を止めないと、このままじゃ永遠にお別れすることになる。


「馬鹿っ……」


 月明かりの照らしてくれる街を全力で飛んだ。コウちゃんが行きそうな場所なんて見当も付かないから一つ一つ見て回らないといけない。


「違う……」


 学校も近くの公園も、その他のコウちゃんが行きそうな場所を手当たり次第さがしたけど居なかった。

 最後に一つだけ確認していなかった場所があった。月明かりを反射して波打つ夜の海。夜の海は気味が悪いから誰も近づかない。人気が無い分、静かな空間と光景には言葉にし難いような美しさと恐怖があった。


「………………」


 月明かりに照らされて光る天使の羽が見えた。私は幼馴染として馬鹿天使の目を覚まさせてあげないといけない。


「馬鹿っ!」


「メアちゃん!? なんでここにっ――」


 気持ちを込めた拳でコウちゃんの頬を全力で殴った。尻もちをついたコウちゃんは何が起きたのか分からず私の顔を驚いた表情で見ていた。それでもすぐに目を逸らすコウちゃんの腕を掴んで無理やり立たせた。


「痛っ! 痛いよ!」


 顔を隠してもコウちゃんの頬を伝う涙は月明かりではっきりと見えた。


「勝手なことしないで!」


「ボクはただ……」


「私の幸せは私が決める。余計なことしないで!」


「っ……ごめん」


 顔を伏せて泣き続けるコウちゃんを全力で抱きしめた。無言の空間で波のさざめきだけが聞こえてくる。言葉は要らない。ただ、私の気持ちが伝われば良かった。


「帰ろう」


「うん……」


 空を飛んで家に着くまでコウちゃんは一言も話さなかった。家に着いてご飯を食べる時も、ずっとうつむいて黙っていた。そんな状況で食べるご飯はあまり美味しくなかった。

 その空間に耐えきれなくなった私はリビングを出て寝室へ向かった。ベッドの上に座ると初めてここに来た時のことを思い出した。ベッドが一つしか無くてどっちが使うかで喧嘩になったりもしたけど結局二人で使うことになった。コウちゃんのイタズラが無くなったあの日から数か月が経って煉くんや強くんと一緒に遊びに行ったりもした。色々思い出すと天界に帰るのは少し寂しい。


「メアちゃん……」


「どうしたの?」


「少し話したいな」


「いいよ」


 私の隣に座ったコウちゃんは何かを躊躇うようにうつむいていた。少しでもコウちゃんの力になりたかった私はコウちゃんの手をぎゅっと握った。何かを決心したかのようにコウちゃんは口を開いた。


「ボクはメアちゃんが本当に嫌いな訳じゃないんだよ」


「……知ってる」


「ずっと一緒に居たもんね」


 照れ臭そうに笑いながら言った。それから数分の間が空いて、コウちゃんは少し気恥しそうに話し始めた。


「初めて会った時にね、ボクがお姉ちゃんとしてメアちゃんと一緒に居てあげないとダメだなって思ったんだ」


「……うん」


「初めて会った時のメアちゃんは、私が近付くと逃げちゃうから上手く話せなかったんだよね」


 幼い頃の記憶が鮮明に蘇ってくる。小さい頃、コウちゃんが私に一緒に遊ぼって声を掛けてくれて、コウちゃんの手を握って一緒に走ったあの日の光景が目の前に広がった。コウちゃんの本心を聞いて驚きはしたけど、すごく嬉しかった。


「だから、ずっと一緒に居たいけど……お姉ちゃんが我慢すれば良いし」


「コウちゃんって不器用だよね」


「え?」


 コウちゃんの本心を聞いた私は本当に望んでいた答えを見つけることが出来た。


「いつか二人で帰れる時が来たら一緒に帰ろうよ」


「メアちゃん……」


 元からこうすれば良かったんだ。いつの日かきっと、一緒に天界に帰れる日が来るまでは地上でコウち

ゃんと楽しく暮らすことが出来るなら、私はそれで良いんだ。答えが決まったなら後はお母さんに電話をして私たちの気持ちを伝えるだけだ。


「ってことだから。私たちは天界には帰らない」


「そう……分かった」


 コウちゃんと話したこと全てをお母さんに伝えた。電話の向こうのお母さんの表情は分からないけど、自分たちで導き出した答えだから結果がどうなっても別に構わない。


「合格」


「え? なにが?」


「どっちかが先に帰るって言ってたら天界には帰って来させないつもりだったから」


「へ? え?」


 なるほど。私たちがお互いに思いやりの心を持っているかのテストだったんだ。


「いつでも帰ってきて良いよ。天界と地上のゲートは繋いであるから」


 そう言って電話が切れた。急な展開に理解が追い付かなくてうまく言葉に出来るか分からないけど、今あったことを全てコウちゃんに話した。


「え? それって……」


 つまり天界と地上を自由に移動出来るという、天界に帰ることが出来る以上の権利を得たということだ。あまり実感が湧かないけど今はこれで良かったんだ。やっと心置きなく暮らせる。


「なんか、良かったね」


「う、うん」


 これで私たちの悩みの種が無くなった。ただ、一つだけお母さんに言い渡された条件があった。それは、


「学校は通うこと」


 というお母さんから言われた約束を守るためにしばらく地上に残らないといけない。

 それでも、高校で友だちと呼べる人が出来たし、しばらくと言うか地上に残って居たいと思う気持ちがあるから、これからも地上での生活を思う存分楽しもうと思う。


「早く! 行くよ!」


「ちょっ! 待って!」


 勢いよく扉を開けて高校へと向かう。心に詰まった悩みも無くなったし、これからの生活への楽しみを胸に今日も学校へと走る。いつもよりも心が軽い今日は絶対に良いことがあるはずだ。


「え? ゲートを閉じる?」


「そうだ。お宅に絶大な力を持った悪魔と天使が居るだろ? あの二人が地上に降りた時にゲートが少し壊れてな」


「うちの馬鹿たちが申し訳ないです……」


そんな私の期待を裏切って絶望的な問題が降り掛かることを私たちはまだ知らない。お母さんから電話が掛かってくるまでは。

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天使と悪魔に花束を添えて 幸永 芽愛 @satinagamea

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