天使と悪魔に花束を添えて

幸永 芽愛

第1話 天使と悪魔

~プロローグ~


意識することもなく流れていく時間。何も起きない平凡な日常が私は大好きだ。そもそも目立ちたいような性格じゃないし。

いつもの席から窓の外を眺める休み時間。桜が満開になり心地良いそよ風が桜の木々を揺らす。揺らされた木々の枝が擦れあって騒めきながら桜吹雪が舞い散る。私の一番好きな季節だ。桜の木の下にはいつも男の子と女の子が立っていたけど、風景の一部としてしか見ていなかったから気にならなかった。

そんな春の光景は言葉にし難い美しさがあった。そんな風景に目を奪われていると、教室の中の喧騒も嘘みたいに聞こえてこなかった。そんな大好きな時間もあいつが居ると楽しめない。

 今日もそいつは、一人で居る私の貴重な時間を潰しに来る。目を奪われるほど美しい金色の長い髪と透き通るような金色の瞳。誰もが目を奪われるような整った顔とスタイル。完璧と言うほかに言い表せないような美少女が私に笑みを浮かべてやってくる。

露骨に嫌な顔を見せても、笑みを絶やさずこっちに近づいてくる。


私はこいつが大嫌いだ。




第一話  天使と悪魔


「ボッチだ」


肘をつきながら窓から外の風景を眺めていた私を馬鹿にするように言ってきた。


「うるさい」


 いつものことだから適当に軽く流しておく。だけど、私がこうして一人で窓の外を眺めるに楽しみがなくなったのは、元はと言えばこいつが全ての元凶なんだ。私たちは言わばこの世の生き物じゃない、こっちの世界で言うところの天使と悪魔だ。

平穏な天界での生活を楽しんでた私に毎日毎日イタズラばかり仕掛けてきた。小さい頃から私の近くに居て、その頃からずっとイタズラをされ続けてきた。もちろん私は怒ってやり返したんだけど、私たちの喧嘩が長く続き過ぎてお母さんに怒られた。表現し難いほど怒られて、仲良くなるまで帰ってくるなと言うことで地上に落とされた。

 お母さんは外見だけで言えば私の妹に見えるらしい。髪色も瞳の色も全く一緒だし。小さい頃に好奇心で若返りの魔法に手を出したらしくて、年を取っても老けることが無い。言わば禁忌の魔法だ。

仕方なく高校という学校に通うことになった。私は悪くない。何もかもこいつのせいだ。こんな奴でも天使が務まるんだから、この世の中は何があるか分かったもんじゃない。


「全部コウちゃんのせいだ」


「え~?」


 私が真剣に怒っても聞き流してへらへらと笑い流しているこいつが天使のコウちゃん。本名は天日 幸(あまび こう)。私の幼馴染だけど、決して仲が良い訳ではない。悔しいけど外見だけは良くて、身長は百六十五センチで腰まで伸びる綺麗な金髪と透き通るような黄色い瞳が特徴的だ。性格は最悪だけど、私以外には優しくするから私が悪いみたいになってしまう。人が困ってるのを見るのが大好きな本性を話しても信じる人は居なかった。

ラブレターを貰っているのを見かけたことが何回もあるけど、その度に好きな人が居るとか言って断っていた。私が聞いても、小さい頃からずっと一緒だったとか、仲良くしてくれたとか、誰なのか気になったんだけど教えてくれなかった。

昔から一緒に居たけど、コウちゃんの両親にはあったことが無い。正確には会ったことがあるらしいけど、認識阻害の魔法を使っていてコウちゃんや私の両親じゃないと見えないらしい。ちなみに、認識阻害の魔法は禁忌だ。ルールを破る奴が天界には多すぎる。


「責任をボクに押し付けるとか、メアちゃん鬼だね」


「悪魔なんだけど」


メアちゃんって言うのは私のことで、本名は望無 芽亜(もちなし めあ)。赤い瞳と桜色のショートヘアーが特徴だと思う。身長は百六十センチで、ずっとコウちゃんに身長のことで馬鹿にされ続けている。

普通で平凡な日常を望んでいる私はコウちゃんのイタズラによって日常を壊された。何の前触れもなく、二人揃って地上に落とされた時はすごく焦ったんだけど、その姿を見て笑い転げるコウちゃんに怒ったのは最近の話だ。ていうか一週間前の話だ。


「コウちゃんの頭はネジが外れてるんじゃないかな」


「いやいや、メアちゃんほどじゃないよ」


 学校だけならこの悪態も何とか耐えられる。僅かな期待を抱いてお母さんにもらった地図を辿ったら少し綺麗なマンションに着いた。あれだけ怒ってても私のことを考えてくれてるんだなって思うと嬉しかった。。

 お母さんからもらった手紙を思い出して手紙を開いた。言葉では厳しく言ってても手紙では優しい言葉で励ましてくれるはずだ。お母さんは私のことを想ってくれているはずだ。ワクワクしながら手紙を開くとそこには丁寧な字で書いてあった。


「二人が仲良く出来るまで二人で過ごしなさい」


少しでも期待した自分が甘かった。自分の母親が悪魔であることを再確認できる良い機会だったと思う。

それでも救いだと思えたのは、私たちは料理を始めとする家事が得意だ。不自由なく過ごせると安心していたのに、コウちゃんのイタズラが私を苦しめた。あの辛いドクロマークの調味料は人が食べちゃダメな奴だ。悪魔の私でもあんなの作ったことがない。その調味料的な何かにこの一週間苦しめられ続けた。生き地獄だ、こんなに苦しい生活はもう嫌だ。是が非でも仲良く過ごしてるように見せないと、あの辛い調味料で殺されてしまう。

そんなことを考えてるうちに授業が終わり、お昼休みの時間だ。教室の騒がしさがあまり好きじゃなかったから屋上でお弁当を食べることにしている。今日のお弁当当番はコウちゃんで、何回も注意してるけど何かしてくるに違いない。


「はい、お弁当」


「今日は何も入れてないよね」


「うん!」


 恐る恐る弁当箱を開けると何も入っていなかった。空箱だ。


「何も入ってないけど?」


「うん。何も入れてない」


「何で!?」


「だって、何も入れるなって言われたし」


「そんなボケいらないよ!」


「はいはい。ボクの分けてあげるから」


 小さい子に話しかけるような口調で言ってきた。怒りのメーターが限界値を振り切りそうになりつつギリギリのところで我慢する。本当に我慢が出来なくなったら地球がいくつあろうが寝ながら壊せるほどの力は備わっている。だからこそ怒るのを我慢してるんだ。


「はい。あ~ん」


「ん。んっ!? 辛っ!」


 口にした卵焼きは尋常じゃない辛さで、警戒を怠ったことを後悔した。口を押えて悶える私を見て、言葉通り腹を抱えて転げ回っている。その光景を見たとき、私の中の何かが音を立てて切れた。


「アハハハハハハハ! 面白いね!」


「せいっ!」


 寝転がっているコウちゃんの顔を目掛けて握りしめた拳を打つ。音速を超える拳は空気を切り裂きつつ地面に突き刺さり、爆音とともに砂煙が舞い上がる。これまで出したことのないような一撃は間一髪のところで避けられた。地面に刺さる拳を見て青ざめていくコウちゃんの顔に目掛けて拳を構える。


「待って。ボクが悪かった」


「分かれば良い」


 私よりもこいつの方が悪魔の適性があるような気がしてならない。種族を考えれば仕方のないことだとは思うけど、それにしてもコウちゃんの私に対する残虐非道は悪魔である私でも少し後ずさりするレベルだ。


「ボクも何が辛いか分からないから運勝負だね」


「待って待って、天使って神の加護付いてるから運とか関係ないじゃん」


「まあまあ、ボクはこれね」


 勝手に話を進められて、拒否する間もなくコウちゃんは卵焼きを箸で掴んだ。今まで運勝負で勝ったことが無いし、勝てるはずがない。天使には神様の加護が付いていて、運が絡む勝負となると負けることが絶対にない。だからこそ、私はこの勝負の勝ち方を知っている。それは、相手の選んだものを選ぶという方法だ。卑怯かも知れないけど、今まで散々ズルをされ続けている私からすれば仕方のないことだ。コウちゃんが箸で掴んだ卵焼きを横から奪い取って口に運んだ。


「あ! 何するのさ!?」


「だって、ズルしてるのそっちじゃん。てか辛っ!?」


「ね? ズルしてないでしょ?」


 意地悪気な笑みを浮かべてそう言った。私はまんまと罠にハマった訳だ。人を馬鹿にするような笑みを浮かべ続けるコウちゃんはその後、一回も辛い料理を食べずに昼食を終えた。胃に穴が開いたような痛みにお腹を押さえながら悶えている様子を楽しそうに見ている。


「なんでそんな楽しそうなの?」


「天使って悪魔を倒すのが普通でしょ?」


 それはそうだけど、何事にも限度がある。特に天使は慈悲深くあるべきだと思う。


「悪魔め……」


「天使だよ」


 こいつのトラップは毎日のように続くし、毎日のように引っかかる私は体も精神もボロボロになりつつある。一緒に住んでいる以上、気の休まる場所なんて私には無いのだ。二十四時間ずっと気を張り詰めていないと、回避することは不可能だ。気を張り詰めていても回避出来なかった。

 この一週間、私は頑張った方だと思う。この馬鹿天使さえ居なければ、私は地上へ来ることも苦しむこともなかった。地上での生活が始まったばかりで、今の状況でボロボロになっている私が無事に天界に帰れる自信がない。いつかは、イタズラっていう名目で私を殺そうとするに違いない。天界に帰ることなんて無理なんじゃないかって考えが頭の中を埋め尽くして絶望に押しつぶされそうになる。


「うぅっ……」


どうにか腹痛に堪えながら教室へ戻る。口から血が飛び出そうなほど辛かった。教室に戻ると五時間目が体育であることに気が付いた。最悪だ。この腹痛に耐えながら体を動かすのは無理がある。最悪なことに体育の先生はすごく心配性で、見学を申し出ると必ずと言っていいほど保健室送りになるから腹痛を隠してやり切る他にない。保健室だけは絶対に避けないといけない。お母さんへと連絡が行くし、こうなってしまったことの顛末を知ったら二度と天界へと帰れない。私が我慢するしか解決策が無いのはかなり腹が立つけど。


「今日の体育はドッジボールだ! 男女混合のチーム戦で行う」


 お腹を押さえてフラフラになりながらコートに入る。全身に上手く力が入らず、今にも座り込んでしまいそうだった。なにより危険なのが、向こうのコートに馬鹿天使が居ることだ。あいつにボールが回ったら最後、私が死んでしまう。


「大丈夫?」


「うん。大丈夫」


 話したことのない男子が話しかけてくるほど弱ってるように見えているのか。何とか平然を装ったけど、辛いものはやっぱり辛い。でも、幸いなことにクラスでは居ても居なくても変わりがないほど影の薄い私が狙われることは無いからひとまず安心だ。


「私に投げさせて!」


「いいよ!」


 思い通りになる筈がなく、相手チームの馬鹿天使がボールを持って不敵な笑みを浮かべている。これはヤバイ状況だ。本格的に死ぬかもしれない。周りの人に気を使って本気を出さないことを祈る。いや、流石の馬鹿天使でもそれぐらいは気を遣うだろう。


「死ね。悪魔」


 少しばかりの期待を裏切り、馬鹿天使が本気で放ったボールは弾丸のような勢いでこっちに向かってくる。ボールは丸い形をとどめることが出来ずにラグビーボールのような形になってこっちに飛んでくる。避けようと足に力を入れようとするけど上手く力が入らず膝をついてしまった。避けることが出来ない私は飛んでくるボールを見つめることしか出来ず、何か対策が無いか必死に考えた。だけど、そんなことは考えるまでもなく対策なんて無いし避けることも出来ないから大人しく当たるしかなかった。


「っ……え?」


 当たる寸前にさっきの男子が私の前に立ち塞がった。これを想定していなかった馬鹿天使はかなり焦っている。だって関係のない地上の人がこれを受けたら間違いなく消し飛ぶからだ。


「危ないよっ!」


「お互い様でしょっ!」


 躊躇いなく飛んでくる球を片手で受け止めた。一瞬で勢いを失ったボールの反動で後ろに衝撃波が飛ん

で、外野に立ってた人たちが壁に叩き付けられて動かなくなった。その光景に私も馬鹿天使も目を丸くして驚いた。


「ほら、やり返すんでしょ?」


「あ、うん」


 手渡されたボールを握る。感謝を伝えようと何か話そうとするけど驚きすぎて言葉が出てこない。


「頑張って!」


 そんな私にその男子は私に微笑んでそう言った。なら、せっかくのチャンスを無駄にする訳にはいかない。全身全霊の力を込めて馬鹿天使を目掛けて投げた。


「え!? ちょっ!」


 形を変えて弾丸のように飛ぶボールは一直線に馬鹿天使の元へと飛んで行った。ボールを押さえながら後ろに下がっていく忌々しい天使の姿を確認した後、さっきの男子にお礼を言う。その男子は眼鏡をかけているクラスで人気のイケメンくんだ。頭がよくて運動神経抜群。綺麗な青い瞳と青い髪のモデルでもしてるんじゃないかってぐらいのイケメンだ。身長も百八十センチぐらいあるからクラスでも結構目立つ。名前は覚えてない。


「さっきはありがと」


「いいよ。無事で良かった」


「名前聞いても良い?」


「榊原 煉(さかきばら れん)だよ。煉って呼んで」


「じゃあ、煉くん。すごい力持ちなんだね」


「ん? そうでもないよ」


 この人も私たちと同じ、天界の人のような気がする。地上の人があのボールを受け止めるのは絶対に不可能だからだ。


「来るよ!」


 煉くんの声に反応して馬鹿天使の方を見ると、別の男子がボールを掴んでいた。この状況を理解出来ずに固まっていると、私の本気と同じぐらいの勢いでボールが飛んできた。私と煉くんは間一髪で避けることが出来たけど、今の一球でチームが壊滅した。コート内で人が血を流しながら倒れている光景は戦場のようだった。いや、普通の授業ならこんな状況になることは絶対に無いはずなんだけど。


「本気出し過ぎだよ」


「勝負だからな! お前も全力で来い!」


 それからは私と馬鹿天使の勝負どころではなくなった。目の前を飛び交うボールを目で追うだけの時間が続いた。転がってくるボールを誰も投げる気は無いらしく、クラスの大半が球拾いと化した。逃げ遅れた生徒は悲鳴を上げて倒れて行くし、女子は固まって動けなくなってるし。それを見ていた先生は止められないことを悟ったのか目を閉じて生徒の惨状から目を背けていた。


「危ないよ!」


「っ!?」


 避けるだけでも精一杯なのに反撃なんて考えてる暇もない。そもそもあのボールを受け止めること自体無理な気がする。


「ぐわああああああああああっ!?」


 ボールが男子のお腹に直撃していた。抉るような回転は止まることをせず男子の体を破壊していく。


「っ……ふんっ!」


 男子が最後の力を振り絞るようにボールを弾き返した。そのボールはゆっくりとこっちへと飛んで来た。


「後は任せたぞ……」


「えぇぇ……」


 ボールを受け取った私に向けられる熱い眼差し。そんな期待を抱かれても私があの男子の仇を取れる力が無いのは明白だ。それなら少しズルいけど、悪魔の全力と積年の恨みを力に変えて本気って物を見せつけてやろう。



「せえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええいっ!!!!!!!」



 こんなに全力を出したことが無い私はそのボールが誰にも当たらずに外へ飛んで行った場合のことを考えていなかった。

 ボールは音速を超えてソニックウェーブのような衝撃波を出しながら飛んで行った。相手チームの大半がその衝撃波で吹き飛ばされてリタイアとなった。


「良いねっ!」


 向かって行ったボールは一瞬で勢いを失った。


「え!?」


 ボールは確かに男子に当たった。当たったと思っていたのはその男子の拳で、ボールを全力で殴り返していた。もうなんでもありじゃん。


「ふんっ!」


 そのボールを煉くんは全力で蹴り返した。ここまでくるとドッジボールの定義がよく分からなくなってくる。なにこれ。


「そこまで!」


 今まで何も言わなかった先生が急に声を上げたせいで、煉くんがよそ見して蹴ったボールが負傷者コーナーに飛んで行って大惨事になった。

授業の終わりを告げるチャイムが鳴った時、コートの中には五人しかいなかった。決着はどうなったかって言うと、煉くんと相手チームの男子は反則で退場扱いになった。

 ヘトヘトになりながらやっとの思いで教室に戻った。さっきまで苦しかった腹痛も気が付けば綺麗すっきり治ってた。体はボロボロになったけど。


「危ないじゃん! さっきの男の子居なかったら死んでたよ!?」


 そんな私の元に馬鹿天使が怒鳴り込んできた。元はと言えばこいつが最初にやってきたのが原因なのに、なんで私が怒鳴られてるんだ? なんか無性に腹が立ったけど、私も怒鳴り返したら同じレベルになってしまう。争いは同レベルでしか起こらないんだ、私が我慢してればこいつを見下すことが出来る。


「あ~あ、惜しかった」


「悪魔!」


「そうですよ~」


 体育の後の疲れもあって、怒る天使をまともに相手にするほどの体力は悪魔の私でも備わっていない。と言うよりも単純に面倒くさかった。それでも、怒り続ける天使を横目に煉くんと相手チームの男の子のことを思い出していた。コウちゃんが投げた球は人間なら近付くことすら出来ないほどの速さと強さがあった。なのに、それを容易く受け止めてしまうのだから絶対に人間ではないのだろう。それに、あの男の子も私が投げた球を止めてたし、案外私たちみたいな存在は地上で暮らしていることも多いのかもしれない。


「ねぇ!」


「何?」


 目の前には顔を真っ赤にして怒鳴ってる天使の姿があった。天使はもっと寛大であるべきなのに、こんなに怒ってるのは天使としての適性があまり無いからだろう。天使ならなんでも許すべきだと思う。


「怒ってるんだよ!?」


「はいはい。近い近い、怒ってると可愛いお顔が台無しだよ」


「ふぇ? あっ!」


 急に私から距離を取ってあたふたしている姿は一日中見てても飽きない面白さがある。生憎、私はそこまで性格が悪くないから人を困らせて笑うようなことはしない。悪魔なのにおかしな話だ。


「可愛いって言われた……」


「ん? はっきり言ってくれないと聞こえないよ?」


 顔を隠してもごもご喋る天使は耳まで真っ赤になっていた。


「お疲れ様!」


「あ、お疲れ」


 煉くんとさっきの男の子が話しかけてきた。近くで見ても別に変わったところはない。どこからどう見ても人間にしか見えないけど、それは私たちも同じだ。さっきコウちゃんを助けた方の男の子は、いかにも体育会系みたいな見た目で熱血感が溢れていた。見た目は赤い髪に赤い瞳の燃え盛るような雰囲気を感じる。煉くんよりも五センチほど身長が高い。偏見だけどテニスが得意そう。

「そんなに見られると恥ずかしいんだけど……」


「あ! ごめん」


 この二人はクラスの女子からの人気が絶大で、こうして話しているだけでも痛いほど視線を感じた。この二人と話すときは場所を変えた方が良い気がする。何故か男子からの視線も集まっていた。


「俺の名前は岩山 強(いわやま きょう)。困ったことがあったら相談してくれ」


「こいつ不器用だけど人一倍優しいから話だけでもしてやってくれ」


「うん。よろしくね」


 今も手で顔を隠して何かを呟いているコウちゃんを放置しておいて、気になっていることを聞いてみた。


「二人はどこから来たの?」


 一般的な会話でさりげなく聞いてみる。地元か他県の二択しかない質問だから聞きたい答えが返ってくるかは分からない。煉くんたちが地上の人を装って生活しているならそれ以上のことは踏み込まない方が良い気がするし。


「ん? 言っても信じられないと思うけど」


「俺たちは地獄から来てるんだ」


「ほぇ~遠いのに大変だね。 え? 地獄?」


 思ってたよりもあっさりと言うから特におかしな点は無いと思ってたけど、よくよく考えたらもの凄いことだ。


「地獄……」


 地獄については天界の図書館で見たことがある。童話の世界でしかないと思い込んでいたから余計に驚きだ。

 この地上でも地獄って言うのは道徳的な観点で人に悪いことをしてはいけないと戒める話にしか出て来ないから実在するものだとは悪魔でさえ信じ難い。


「地上の人じゃないんだね」


「お互い様でしょ」


「そうだけど……」


 地獄ってやっぱり怖いイメージしか無いからさっきまで優しく見えていた人でも、どこか裏があるんじゃないかとか実はすごく怖い人なのかもって思ってしまう。


「もし怒らせたりしたら地獄に落とされる?」


「そんなに怖い場所じゃないから大丈夫だよ」


「鬼に殴り殺されたりしない?」


「ん? 鬼はそんなに怖くないよ。俺も鬼だけど」


「そうなんだ……鬼なの!?」


「うん。鬼だよ」


 確かに、赤い瞳と赤い髪は想像している地獄の鬼と一緒の色だ。でも、肌の色も普通の人よりも少し焼けてるくらいだし、角だって無い。本に出てくる鬼のイメージとは程遠いことに少しがっかりした。


「ほぇ~」


 それでも、空想上の鬼が目の前に居るって状況だけで得体の知れない感動が胸を埋め尽くした。子供のころから絵本で読んできた一種の伝説が目の前に居るのはやっぱり感慨深いものがある。いっぱい聞きたいこともあるし。


「力は強いの?」


「そこそこだよ」


 見た目がムキムキとかそう言う感じでは無いから私と同じくらいなのかな?



「腕相撲してみる?」



「良いの!? やる!」


「止めた方が――」


「やらせて!」


 止める言葉も聞かずに机の上に肘を置いて構える。あの鬼と腕相撲が出来るんだって思うとワクワクが

止まらない。他の人が聞いたらすごく羨ましがるだろう。

手を握って睨んでくるその姿は恐怖を体現したようで、体中に寒気が走った。目つきがマジで怖いっていうか、今から殺されるんじゃないかって錯覚するほど睨んでいる。私も地上の人間に比べれば力には自信がある。本気でやれば鬼とは言え、少しぐらい勝てる見込みもあるだろう。


「よーい、どんっ!」


「ふんっ!」


 その掛け声と同時に自分の手の甲が机を貫いた。瞬きする暇もなく体は宙を舞い、ガラスを突き破った。全力を出したはずなのに鬼には全然通用しないってことなのか。


「あっ……」


 下を見ると結構な高さがあり、教室では煉くんを始めとするクラスの人たちが焦った顔でこっちを見ている。下で作業している他のクラスの人たちも驚いたようにこっちを見ている。ここから落ちても別になんとも無いけど。


「メアちゃん!」


 その人混みをかき分けて飛び出してきたコウちゃんが腕を掴んで引き寄せてくれた。


「危ないじゃん!」


「ごめんごめん。鬼と腕相撲できるって嬉しくて」


「もう……」


 ぎゅっと抱きしめて諦めたように呟いた。昔から本当に困ったときは率先して助けてくれた。イタズラも止めてほしいのにそれだけは止めてくれない。それさえ無ければ地上に落とされることもなかったし、今以上に仲良く出来てた気がする。


「コウちゃんが助けてくれるでしょ?」


「そういう問題じゃないの! 戻るよ」


「うん!」


 体勢を立て直して地面に足をつけると同時に地面を蹴って教室へと戻った。教室では驚きが重なったような顔で全員がこっちを見つめていた。そして、誰かが震えた声で訊いてきた。


「怪我は……?」


「大丈夫だよ」


 そう言った瞬間クラスが歓声に包まれた。身の心配をしてくれるような声を掛けられて嬉しい反面、少し恥ずかしかった。


「良かった!」


「無事で何よりだ!」。


「じゃあ、解散!」


 誰かの一声で集まっていた人たちは何も無かったかのように去っていった。もっと早くに気付くべきだったけど、このクラスの人たちは絶対変だ。窓から投げ出されたクラスメートが居て、しかも何事も無かったかのように戻って来てるのに解散の一言で興味が無くなったように去っていくのはおかしい。逆に私が驚かされた。


「ごめんごめん。本気出さないと失礼かなって」


「ううん! ありがとね!」


「ちょっと来て」


「ん? うん」


 コウちゃんが強くんを引きずって教室を出て行った瞬間、コウちゃんの大声が廊下に響き渡った。それに驚きながら教室へと入って来た男の子。いつも桜を見上げてる不思議な男の子だ。


「岩山が凄く怒られてるけど何かしたの?」


「青原には到底理解出来ないことだから気にするな」


「僕だって一応文芸部だから……」


 割れた窓を見て何かを察した男の子は発言したことを撤回するとともに大きくため息を吐いた。


「中学生の時から変わんねえな」


「お互い様だろ?」


 なんて思い出話をしているから水を差すのも何となく気が引けるし、とりあえず廊下の様子を伺ってみよう。


「私のメアちゃんが怪我したらどうするの!? 腕相撲禁止!」


「はい……すいません……」


 こっそり廊下を覗いてみると、正座させられている強くんとすごく怒っているコウちゃんが居た。あの鬼を相手にしても全く怯まないコウちゃんには少し驚いたけど。


「メアちゃんに何かあったら私が許さないから!」


「はい……すいませんでした……」


「分かってくれたら良いよ」


「申し訳ありませんでした……」


 深々と頭を下げて土下座する強くんを背にコウちゃんが戻ってくる。急いで元の位置へと戻って自然を装った。今の話を聞いた後でコウちゃんにどんな顔して居れば良いか分からない。


「ありがとね」


「何が?」


「窓から飛び出してくるとは思ってなかったけど」


「それは……メアちゃんの困る顔が見れなくなると嫌だから!」


「そっか。でも、嬉しかった」


「そういう訳じゃないのに……」


 照れくさそうに否定するコウちゃんを見て、困ってるときは助けてくれる優しい性格なのに昔から変わらないのに意地悪してくる性格が損なんだ。本当に損しているのは私しか居ないけど。


「うぅ……」


 教室に戻って来た強くんだけどさっきまでの強い鬼のイメージとは違ってげっそりとしている。まるで生気をごっそりと抜かれたみたいに疲れ果てている。


「鬼の俺が言うのも変だけど、鬼に怒られた」


「ボク天使だし」


「なんか、悪魔でも見たような気がする」


「悪魔はそんなに怒ったりしないよ?」


「閻魔様より怖かった」


「僕はそんなに怖くないよ?」


「え? 閻魔様なの?」


「うん」


 流れるような会話の中でのカミングアウトで違和感なく聞き流してしまう所だった。閻魔様って地獄の最高責任者みたいな感じなのに地上で普通に生活してても問題無いんだ。いや、閻魔様って本当に居るんだ。本当に何でもありじゃん。


「すぐ怒るイメージがある」


「そんな頻繁に怒ったりしないよ」


「なんかイメージと違うね」


「それはお互い様だと思う」


「そうだね」


 やっぱり絵本とかでは大袈裟に書かれてたりするんだ。鬼も閻魔様も、そして私たちも外見は人間とは見分けがつかない。私とコウちゃんには羽があるから天界では見分けが付くけど地上に降りるとそう言う訳にもいかない。絵本ではかなり大袈裟に書かれていることが分かった。残念な気持ちと大人になったんだって気持ちが同時に湧いてきて複雑な気持ちになった。


「閻魔様って人間とは見分けが付かないよね。なんか閻魔っぽいの持ってないの?」


「持ってるよ」


 そう言ってカバンから取り出したのは、絵本でよく閻魔様が帽子を被っている帽子と特徴的な形の木の板だ。なんで持ち歩いてるんだろう?


「それ見たことある!」


「絵本とかでよく描かれてるもんね」


「実際にあったんだね! じゃあ、鬼も金棒持ってたりするの?」


「危ないから持ち歩いてないよ」


「そっか」


 そんな話をしてる中で不意に青原って人の存在を思い出して、焦り気味に振り向くと何を話しているのか全く理解出来ないって顔でこっちを見ていた。


「あの……今のは……」


 言い訳しようにも何も浮かんでこないし、そもそもここまで聞かれたら言い訳も何も出来ない。


「あ、演劇部の話でしょ? 気にしないで良いよ」


 何食わぬ顔でそう言った。きっと強くんか煉くんが自分たちの存在に気付かれないようにするために冗談で誤魔化してたんだと思う。

 それはそれとして、さっきから感じる視線がずっと気になって話に集中できなかった。多分私に向けられてる視線じゃなくて、後ろに居る強くんに対してのものなんだろう。


「睨まれると怖いんだけど」


 視線を辿るとそこには鬼の形相で睨みを利かせる天使が居た。その形相に少し怯んでしまう私と固まって動かない強くんが居た。


「メアちゃんが行くならボクも行くから。襲われたりしたら嫌だし」


「そんなことしないよ」


 色んな話をしていると時間はあっという間に過ぎていき、下校の時刻のチャイムが鳴り響いた。


「じゃあ、またね」


「うん」


 二人に手を振った後、コウちゃんと一緒に帰る。ただ、いつもと違う点が一つあった。


「近くない?」


 肩を密着させるぐらいの近さで歩いている。すごく歩きにくいし、慣れない距離感でどう接すれば良いか分からなくなる。私が気にし過ぎてるだけなのかな? 今日のコウちゃんはいつもと比べると私に優しかったし。


「今日はありがとね」


「いじめる相手が居なくなったら嫌だし」


 コウちゃんが素直になれなくてそんな言い方してるのは分かってるけど、やっぱり少し傷ついてしまう。


「……そっか」


 別にいつものことだから気にしないけど。


「今日はボクが夜ご飯を作る日だよね」


「うん」


 そこから少しの間沈黙が続いて、何かを決心したように私の肩を掴んできた。


「な、なに?」


「今日は一緒に作ろっか」


「へ?」


「たまには良いでしょ?」


「……分かった」


 そこまで切羽詰まったような言い方しなくても普通に誘ってくれれば良いのに。まあ、これで今日の夜ご飯を安心して食べることが出来るし、そもそも当番制にした私が間違いだったと思う。


「今日は何作るの?」


「メアちゃんの好きなので良いよ」


「ありがと」


「なっ!?」


 コウちゃんの手を取ってぎゅっと繋いで家まで歩く。たまにはこう言う風に仲良くしておかないと天界に帰れるチャンスを失くしてしまうし、本当に嫌なら無理にでも離そうとしてくるだろう。


「今日は鍋パーティーでもしよっか」


「なんで?」


「良いから!」


 今日から天界に帰れるようにコウちゃんとの関係を良くして行こう。そう決めたからにはとことん仲良くなってやろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る