CHAPTER10:Conquer yourself rather than the world.(4)

 もう妨げるものはない。ドローンが撤退を始め、アクタの行く手に立ち塞がるものは何も。

 それはリクもまた同じだ。

 傷ついた身体を引き摺りながら、ただ真っ直ぐに〈マーキス〉の座す間へと進む。自らが胸に抱いた意志をもって。あるいはただその意志によってのみ、リクの脚は前へと踏み出されていく。

 不思議な気分だった。

 鼓動は高鳴った。共同体は破滅の危機に瀕しているというのに不謹慎だ。多くの命が散ったというのにだ。だとしても、この身体は、心は、昂っていた。

 リクはずっとアクタの半歩前を歩いていた。アクタが眺めていたのはいつも背中だった。並び立っているようで、アクタはただ付き従っていただけだったから。

 だがもう今は違う。アクタにはリクの顔が見える。二人は向かい合っている。互いのことを想いながら、決して重なり合うことのない意志を抱いて。

 そして二人は再び出会う。


「やあ、アクタ。……随分と、素敵な手袋だね、それ」

「ああ、そうだな。おれの手にゃ余るくらいよくできた代物だよ、これは」


 アクタは空の掌を眺め、そして強く握る。全ての迷いを振り払い、ゆっくりと顔を上げる。


「リク、もうこの先に道はないぜ。ここらで幕を引こう」


 告げられる決別に、リクは微笑みを浮かべる。


「確かに言う通りだ。そこが心臓――女神の在処。もうすぐ全ては終わるよ」


 リクは言って、アクタの背後――聳える扉に視線を投げる。

 扉の奥には真っ直ぐに伸びた通路を挟んで、〈マーキス〉が存在する。まさに目と鼻の先。もちろん彼女に物理的な距離は問題にならないが、それでも全てを終える場所としてこれほど相応しい場所もない。


「違うな、リク。道はないんだ」

「ないなら切り拓くまでだよ」

「おれが止める」


 アクタが掌――〈アイギス〉を翳す。左/右。リクは機敏な反応で横に飛び退いて不可視の射線から紙一重で逃れる。即座に起き上がり、構えたネイルガンをアクタへと向ける。躊躇なく引き金が引かれ、放たれた釘は走り出していたアクタの肩を掠める。


「邪魔するなら圧し通るだけだよ」

「させるかよっ!」


 左/右――。アクタは再び〈アイギス〉を向ける。リクのネイルガンにロックが掛かり、引き金が硬直。リクは即断でネイルガンを捨てて地面を蹴る。アクタも即座に反応して距離を取ろうとするが、リクが間合いを詰めるほうが速い。


「――――がっ」


 鋭く振り抜かれた拳が的確にアクタの顎を穿つ。アクタは体勢を崩して地面を転がる。すぐに起き上がって左手を翳し、リクの追撃を牽制する。


「まさか最後に立ちはだかるのがアクタだとは、思いもしなかったよ」

「おれもリクと戦わなきゃなんねえことになるなんて今も信じらんねえよ」


 二人はほぼ同時、電撃に弾かれたように距離を詰める。

 無論アクタに真正面から殴り合うつもりはない。右手を翳すと二人を呑み込むように津波が押し寄せる。リクは振り被った拳を解いて思わず防御姿勢へ。しかし〈パラサイト〉に干渉して見せただけの電子の津波がリクに襲いかかることはない。一瞬だけ逸れた意識の間隙を縫って間合いを詰めたアクタの拳がリクの腹へと減り込む。


「がはっ」


 リクはたたらを踏んで後退し、なんとか踏み止まる。続いて左右の順でもう一度翳された〈アイギス〉が、リクの〈パラサイト〉を暗転させる。リクは目元を押さえ、一瞬にして消えた視覚に戸惑いを露わにする。


「……だまし討ちに目晦まし。けっこう小狡い手を使うね」

「そうでもしないと勝てねえって分かってるからな」


 アクタは背後に回り込み、リクの首へと手を回す。しかしリクはまるで見えているかのように反応――反転してアクタの伸ばした腕を的確につかみ、そのまま背負って投げ捨てる。背中から落ちたアクタの身体を衝撃が突き抜ける。肺から酸素が絞り出され、一時的に呼吸を奪われる。喘いでいる間にリクの脚が依然として取られたままの腕に絡み、圧し掛かった体重で肘関節が断末魔を叫ぶ。


「あああああああっ!」


 アクタは激痛に悶えてあらぬ方向へと曲がった右腕を抱える。腕には全く力が入らず、神経を燃やすような激痛がアクタの身体を駆け巡る。


「ああっ、あっ、があああっ」


 アクタは獣のように吼え、必死に痛みを噛み殺す。リクはのたうつアクタを見下ろし、外した〈パラサイト〉を掌で転がす。


「もうぼくに女神の託宣は必要ない。もしドローンが〈パラサイト〉を外したぼくを取り締まりに来るとしても、そのころにはもう全てが終わってる」


 床に棄てられた厚さ〇.〇四ミリのレンズをリクの靴底が磨り潰す。さすがリクだ、とアクタは激痛に支配される思考でぼんやりと思う。もし〈アイギス〉で暗転させた時点で〈パラサイト〉を外していたとすれば、アクタの攻め手が全て的確に返されたのも頷ける。何をするにしても、選ぶにしても判断が早く的確。それでこそのリクだ。


「新しい世界を、意志と自由を取り戻した社会を、一緒に見られなくて残念だよ」


 寂しげな言葉は、リクが唯一この瞬間まで残していた心残りのように思えた。だがこれきりだと言わんばかりに踵を返し、リクは〈マーキス〉への対面を隔てる扉へと向かっていく。


「まだ、だろうが……」


 アクタは歯を食いしばり、無理矢理に身体を起こす。力なく垂れ下がった腕からは絶えず泣き叫びたくなるような激痛が走ったが、ここで蹲っているわけにはいかなかった。

 リクには感謝していた。あの日、灰色の世界で沈んでいたアクタに手を差し伸べてくれたことも。意志の尊さを説き、数々の見たことない色彩の世界を見せてくれたことも。

 だからこそ引き下がるわけにはいかない。あの日、リクが手を差し伸べて芽吹かせた意志は確かに今ここで身を結んだことを、他でもないリクに証明したい。

 足を止めたリクが振り返る。その表情はゾッとするほどに冷たく、突き刺さるほどに鋭い。


「もう小細工が通用しない以上は君に勝ち目はない。これ以上は、本当に君を殺すことになるよ」

「やってみろよ。今更、ビビることでもねえだろ」

「それが君自身の選択か」


 リクはアクタに応えるように、再びリクに向けて駆け出す。

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