CHAPTER10:Conquer yourself rather than the world.(3)

〈アイギス〉の使い方は自然と理解できた。何をどう操作し、どう動かせば望んだ結果が得られるのか、全てが自明だった。

 時折アクタは、自分が〈アイギス〉を使っているのではなく、〈アイギス〉に自分が動かされているのではないかと不安になった。だから意志を強く持った。ようやく見出されたそれを大切にそっと、だが決してこぼれ落ちないように強く、握りしめた。それは独りよがりな自我の押し付けではなく、選択による全ての結果を引き受けるという覚悟に他ならなかった。

 アクタはまずクロノタワー全施設の現在位置情報を取得した。ところかしこに設置されている監視カメラに左/右の順で手を翳す。〈アイギス〉に〈マーキス〉と同じ青白い幾何学模様の閃光が走り、肌の表面を刺すような疼痛とともにアクタの〈パラサイト〉に引き出されたデータが並んだ。元から死角となっているか、あるいは破壊されるかなどの理由で監視カメラの情報が得られない場所に関しては、右の人差し指で壁を擦った。壁伝いに、途方もない距離と複雑な経路が一瞬で走査され、グリッド上の図像が頭の中へ流れ込んでくる。ものの数分で、クロノタワー全四〇三階層を情報的に掌握する。

 途中、立ち塞がってきた〈ネメア〉にも左/右の順で掌を翳す。侵入者に向けられる冷たい敵意は沈黙。視覚素子は吹いた蝋燭のように掻き消える。

 リクの元へと最短経路上、目下最大の障害にして事態を収束させるためには決して通り過ぎることのできない暴風の只中。

 地響きが足元を揺らし、爆ぜた空気が肌を撫でる。

 大丈夫。アクタは自らにそう言い聞かせて加速する。通路を斜めに横切って、瓦礫の山を駆け上る。壁に穿たれた大穴から射す薄明かりに、巨大な機影が浮かんだ。

 左/右――。

 翳す掌が、龍のドローンのコントロールを掌握。今まさに振り下ろされようとしていた長大な尾が、ぐるりと一八〇度旋回した軌道を描き、地面ではなく龍のドローンの喉元へと突き刺さる。

 爆発じみた大音声。それはまさしく龍の断末魔のごとき凄絶さで響き。貫かれた喉元には稲妻が走り、龍の巨躯は一度揺らいだのちに地面へと沈んだ。

 アクタは両の手を前に突き出したまま、自らが与えらえた力の強大さを改めて理解する。にわかに興奮を抱くと同時、それ以上の戦慄に息を呑む。

 一瞬だ。

 あれほどに圧倒的な脅威であったはずの龍のドローンは、横からの奇襲とは言え、たったの一瞬でアクタの前に沈黙した。これが共同体社会の切り札たる電子兵装〈アイギス〉の力。

 やがて翳したままの掌越し、少女の視線と交錯する。

 無論、彼女がこの場所に来ていること、それ以外にも彼女こそがクロノタワーに入り込んだドローンの指揮を執っていることを、アクタは既に知っている。だから今ここで改めて驚くことはしなかった。

 少女――カザナも特段驚きはしていなかった。色違いの左右の瞳に憎悪と使命感を混ぜたような複雑な感情を滾らせ、アクタのことを真っ直ぐに見据えていた。立ち塞がるならば、共同体の未来を阻むならば全て捻り潰さねば、という強烈な意志が滲む。

 横たわる龍のドローンのすぐ近くには、満身創痍の百舌が身体を起こして座っていた。百舌のほうは驚いているというよりも困惑しているようで、アクタの顔と翳す掌を交互に見て、表情をより一層険しくする。

 アクタはゆっくりと掌を下げ、そして淀みなく歩みを進める。そして繰り広げられていた激闘を平定すべく、静かな声で、だが強く宣言するように言った。


「もう革命は終わりにしよう。いや、もう終わったんだ」


 圧倒的な力をもって一方的に告げるその言葉に、意外にもカザナが怪訝な表情をする。あるいはその言葉にはやはり敵意が込められている。


「……どういうつもりなのかな?」


 当然の反応だろう、とアクタは思った。〈銀色の翼イカロス〉の起こした行動によって、彼女の親代わりである織香早蕨は死んだのだ。たとえそれが〈マーキス〉が切り拓く新たな地平に必要な過程だったとしても、その事実は揺らがない。

 だが今のアクタに彼女と敵対するつもりはない。高度な演算や未来予測に匹敵する計画立案などできずとも、自分の意志を突き通すために何が必要か、分かっているつもりだ。


「織香早蕨のことは、すまなかった……って言って、許されるとは思っちゃいないけど、今のおれにはそれしか言えない」

「そうじゃない」

「分かってる」


 アクタは慎重に言葉を探した。カザナに取り入るためではなく、自らの意志を示すために尽くすべき言葉を意志の尊さゆえに選ぶ必要があった。


「おれはずっと、〈マーキス〉の作る社会を息苦しいと思ってた。いや、今も思ってる。だけどこの社会は〈マーキス〉によって支えられている。もし無くなればあっという間に瓦解する。おれたちは選ぶことに慣れてない。だから〈マーキス〉という光のない場所で、生きられない。おれはそのことにずっと気づいていたのに気づいていないふりをしてた」

「だからこの土壇場で、裏切るってこと?」

「そう思われて仕方ないよな」


 アクタは自嘲的に笑った。


「〈マーキス〉に会ったよ。おれには止められなかった。〈マーキス〉と決別したその先を、想像できなかったんだろうな。それによ、おれは〈マーキス〉の停止を望んでいないと言われたよ。全てを見抜かれたうえで、おれたちは動かされていただけだったんだ」


 これは罰なのかもしれない、とアクタは思った。選ばず、流されるだけでここまで辿り着いてしまったその罪の。


「おれはここまで選んだつもりになってたんだ。リクに手を引かれ、百舌たちに流され、こんなところまで来ちまった。後悔はしてない。だけど、眩しかったはずのリクたちですら、やっぱり〈マーキス〉の推測の範囲内で動いていただけなんだ。そして、〈マーキス〉の計画の果てにリクたちの居場所はない。だからおれは、〈マーキス〉じゃなくておれが、この革命を終わらせる」


 アクタが言い終え、カザナはへぇ、と喉を鳴らす。


「でもさ、許すと思ってる? あたしの、あたしたちの大切なグランマを奪っておいて」

「許さなくていい」


 それはきっと意志を持たず流され続けたアクタの罪の一つだから。

 たとえ明確な意志を行使した選択でなかったとしても、行為には結果が伴う。功も罪も、酸いも甘いも、引き受けることがきっと自由であることの対価であり、意志を持つ者の責任なのだ。


「だけど、あんたが私怨じゃなく、織香早蕨を継ぐ権限保有者ホルダーとして行動を起こしたなら、ここはおれに任せてほしい。カザナ、あんたには権限保有者ホルダーとして他にもっとやるべきことがあるんだろ?」

「よく分かってるじゃん」


 カザナは肩を竦めて溜息を吐き、指笛を吹き鳴らすような動作ジェスチャーをする。実際に音が鳴ったわけではなかったが、それがドローン制御の合図の一つなのだろう。アクタが入ってきたのと同じ穴から〈ハウンド〉が駆け込んできてカザナの元でぴたりと静止した。


「君に任せるわけじゃないから勘違いはしないでくれよ。あたしは、グランマが信じた〈マーキス〉を信じる。それだけ」


 カザナは〈ハウンド〉に跨り、左手で中空を操作する。〈ハウンド〉が走り出して通路の奥へと消えていく。間もなく〈アイギス〉越しに、クロノタワー内に入っていたドローンの半数が一斉に退去を始めたことが感覚された。全てのドローンでないのは、カザナがアクタを信用していないからだろう。しかしそれで構わなかった。

 アクタは瀕死の重傷を負って座り込んでいる百舌を見下ろす。


「百舌、撤退の指示を」

「…………」


 百舌は呼吸さえ苦しそうに喘いでいた。だが隻眼に灯る意志は微塵も挫けてなどいない。それでも、アクタは彼に請わねばならなかった。最後の瞬間になって尚、アクタの意志を無碍にしようとはしなかった百舌のために。


「もう革命は終わりなんだ。今はまだ〈マーキス〉がいない社会を築けない。きっと、一度手放してしまった意志を取り戻すには、もっと長い時間が必要なんだ。革命じゃない別の方法で、もう一度おれたちなら戦えるだろ?」

「……悪いが、断る」


 絞り出された掠れ声は、百舌の意志は鋼よりも遥かに堅固だった。途切れ途切れの、だが硬質な響きを帯びた声が響いた。


「〈マーキス〉を、倒す。それだけが、俺たちの悲願だ。それ、なくして、……自由なんて、ないんだよ」

「だけどこのままじゃ、皆死ぬ!」

「ああ、そうかも、しれないな。だが意志は死んでも、遺志は遺る。そしてそれは、頽れることは、決してない」


 百舌は咽返って大量の血を吐いた。もっし仮に死に程度があるならば、百舌は限りなく死んでいると言ってもいい重傷だった。もう先は長くないのだろう。それでも百舌の瞳は意志の炎を失わず、ただ未来だけを志向した。


「止められやしねえよ、この意志は。背負ったものが、俺たちを、先へ進ませる。だから、止めることなんて、できないさ……」


 言葉が途切れ、百舌の右眼の奥で歯車が噛み合うような微かな音が鳴った。駆け足で刻まれるタイマーに、アクタは悪寒を感じて両の手を翳す。

 もし邪魔をするというのなら。敵もろとも散ってやろうという、百舌の執念。

 しかしそれは最強の電子兵装の前にあっけなく潰える。


「…………止めて、みせるよ」


 アクタはもう二度と口を開くことのなくなった百舌に向けて、静かに言った。


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