CHAPTER10:Conquer yourself rather than the world.(2)
アクタの眼前にせり出した八角形の柱の真ん中あたりはガラス張りで空洞になっていた。中には白と黒――一対の手袋が、まるで稀少な美術品か何かのように厳重かつ丁重に、収められていた。
『それは〈
アクタは素直な当惑を隠すことができなかった。〈マーキス〉の暴走を懸念して開発された電子兵装。それはつまり――
『その通りです。〈アイギス〉は例外なく、あらゆる電子機器、機械への干渉を可能とします。簡単に言えば、馬木戸が所有していたウイルスや、貴方の唯一の
アクタの思考を先読みするような〈マーキス〉の言葉。示される選択肢のうちに〈マーキス〉の言葉の真意を勘繰り、だが全知の女神を相手には無駄だと悟る。
「……俺を、試してるのか?」
〈マーキス〉は答えなかった。そしてその無言が答えだった。
ここで今すぐに〈マーキス〉を機能停止に追い込み、共同体社会を根底から破壊する。そうすることで革命は成就する。百舌やウサキの大願は遂げられ、新たな未来が到来する。
だが社会はどうなる? アクタは《
ならば〈マーキス〉の目論見通り、この革命を終わらせるべきなのだろうか。もちろんアクタがどんな行動を起こしたところで、FEC3が受けた傷は決して浅くはない。しばらくは混乱が続くだろうし、露わになった共同体社会の脆弱性に人々は不安を抱くだろう。
だがその選択によって多くの命が救われる。無数の未来が守られる。生きてさえいればその先はどうとでもなる。かつて世界紛争の荒廃から〈マーキス〉が社会の繁栄を築き直したのと同様に、多くの電気と少しの時間で、〈マーキス〉は再び共同体を堅固なものへと作り直すだろう。
だがそれは、明確な裏切りだった。自分に手を差し伸べたリクを、危険を冒してまで守ろうとしてくれた百舌を、来る革命のなかで生き残れるようにと色々な術を教えようとしてくれたウサキたちを、裏切ることに他ならない。
アクタは八角柱から視線を外し、その奥で鎮座する〈マーキス〉を睨む。
どっちを選んだとしても、何かが失われる。アクタの意志によって、誰かが死に、誰かが生きることになる。ならば――。
強張っていた全身からふっと力が抜ける。アクタは微風にでも煽られるかのように、ふらふらと力なくその場に座り込んだ。〈マーキス〉の値踏みするような不快な笑い声が頭に響く。
『ふふふ……』
選ばない。ここで膝を折り、結末がやって来るのを待つ。今は劣勢だが、百舌やリクのことだ。何か逆転の秘策を持っているかもしれないし、アクタが起こす無暗な行動がそれを邪魔してしまうかもしれない。勝負は最後の瞬間までどちらに転ぶか分からない。ならばここで、事の行く末を見守っているのが、最も賢い選択なのだ。
そう、――言い聞かせる。
違う。選ばないのではない。選べないのだ。
共同体社会かリクたちか、選べるのは二つに一つ。だからアクタは選べない。自らの意志を行使して何かを選び、その結果を引き受けるだけの覚悟がない。
思えば、今日ここまでずっとそうだったのかもしれない。選んでいるつもりが、周囲の流れに、あるいはリクという強烈な光に、従っていただけなのだ。
リクに誘われて〝自由研究〟に乗った。訳も分からないままにリクの後ろについていき、〈マーキス〉の疑惑に辿り着いた。
そして〈
目まぐるしく変わる現実を前にして、これまでのくすんだ世界が色づいたような気がしていた。退屈な日常から解放され、あの鳥籠のようなフェンスから解き放たれ、大空へと羽ばたいているような気持ちになっていた。
だが、たったの一度だって、何かを選んだことなんてなかった。
常に何かに流されながら、変わっていく現実があたかも自分の意志が手繰ったものだと思い込んだ。
そして、――今も。
それでは駄目だった。アクタにはリクのような聡明さも、百舌のような強さもない。だとしても替えのきかない自分自身の意志を、誰かに預けていいわけではない。迸る意志を社会に、あるいは〈マーキス〉に示さねばならない。
いや示したい。自分の人生は自分のものだと、確かにここに生きているという証が欲しい。
何ができるかじゃない。何をすべきかでもない。何をしたいのか。その思いに殉じる覚悟が必要だった。
ゆっくりと立ち上がった。まだ頼りない足腰だとしても、もう決して折れることはない。
アクタは〈パラサイト〉上の八角柱に手を翳し、ウインドウを開く。〝
何度も深呼吸を繰り返し、〈アイギス〉へと手を伸ばす。触れるとそれは上等なシルクのように滑らかな肌触りでありながら、凍てつく刃物のようなどこか危うげで硬質な質感があった。
アクタは〈アイギス〉を身に纏う。右に白。左に黒。
自らの手を覆う大きな力を確かめるように、二度三度と拳を握っては開くを繰り返す。今しがた身に着けたばかりのそれは、まるで肌のように手に馴染んでいる。
アクタは真っ直ぐに前を見る。
選ぶことに恐れはなかった。
立ち向かうことに気負いはなかった。
「リク、今行くからな」
アクタの呟きが小さく、だが強く、響いた。
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