CHAPTER10:Conquer yourself rather than the world.(1)
通路右手側の壁が豆腐のように吹き飛ぶ。瓦礫を乗り越え、粉塵を裂き、龍のドローンがぬっと姿を現した。
走っていた百舌は腰を落として跳躍。拳を振り絞り、龍のドローンの額へと振り下ろす。接触の刹那、肘部の炸薬が撃発し、鉄槌さながらに迫る拳が亜音速の砲弾じみた衝撃を生み出す。
雷鳴がとどろいたような大音声。しかし百舌に強い出ごたえはない。空中で体勢を整え、今しがた拳を打ち込んだ龍のドローンの額を足場にして飛び退く。一拍遅れて、龍のドローンの鱗――鞭のように撓る流体金属の刃が百舌のいた場所へと殺到した。
龍のドローンに襲われ、フロアの崩落によってリクとアクタとはぐれてからどれだけの時間が経ったのだろう。この怪物をたった独りで引き受けるという一念で、ひたすら動き回っていたせいで今自分がタワーのどこにいるのかさえ分からない。
あとはただ一秒でも長く龍のドローンを足止めし、〈マーキス〉の元へと辿り着いたリクとアクタが、この戦いを終結させるその時を待つばかりだ。
〈マーキス〉の支配から社会が解き放たれるその瞬間、人々がその手のなかに自由意志を取り戻すその瞬間、自分は生きていることができるだろうか。
答えは分からなかった。知りたいとも思わない。望む未来はたった一つであり、どんな困難に直面しようとも望んだそれを手繰ろうと抗うことこそが、意志なのだから。
「いやぁ、すんごい動き。人間業とは思えない!」
もしそう呼んでいいとすれば龍のドローンのうなじあたり、備え付けられた鞍に跨る少女が言った。
褐色の肌に濡れ羽のような深い漆黒の髪をした少女。そして何より左右色違いの瞳という特徴的に過ぎる外見は一度見たら忘れない。表情は殺伐といた戦場には相応しくない朗らかさで、声もどこかゲームに興じるような浮ついた調子がある。
だが百舌はその少女を狂っていると断じることも、あるいは場違いだと侮ることもしなかった。――いや、できなかった。
単に龍のドローンが規格外に脅威だったからではない。立ちはだかる少女もまた、百舌ら〈
快活な表情の裏に哀しみを知った冷たさがあった。その冷たさに寄り添うように、猛り狂う嵐のような激情があった。しかしそれらは強靭かつ高潔な魂によって真っ直ぐに障害を貫かんとする意志へと昇華されていく。
つい数時間前に織香邸で対峙したときとは明らかに違う。背負ったものの重さが少女を一回りも二回りも大きく見せた。
危険だ。
百舌はそう思った。何としてもこの少女をここで食い止めなければならない。
「さっきは全然歯が立たなかったからね。でも同じ失敗はもうしないんだ!」
龍のドローンが床すれすれに潜るように加速。まばたきする余裕さえ与えず、一瞬にして百舌との間合いが詰まる。高速演算が可能な義眼をもってしても、対処に追いつけない豪速。そしてそのまま衝撃。百舌は龍のドローンの鼻先を両腕で受け止めながらも、まるで人と蟻が力比べをしているような気安さで押し込まれる。
幾重もの壁を貫き、百舌は血を噴き出しながら宙に放り出される。地面を転がる勢いを何とか殺し、悲鳴を上げるように軋む肉体に鞭を打って立ち上がる。
「へぇ、今ので壊れないなんて、随分と丈夫だなぁ……。まだ色々回らないといけないから、早く貴方を倒しておきたいのに」
入り組んだ隘路から楕円状の開けた空間に出ていた。部屋というよりも構造上の単なる空洞という雰囲気の場所であり、剥き出しになったコンクリートを背景にして龍のドローンが百舌を見下ろしていた。
百舌は少女と龍のドローンの動きに注意を払いながら思考を巡らせる。
少女が現れ、鞍に跨って以降、大きく変わったことが一つある。
それは、それまで完全に暴威の嵐と化していた龍のドローンの攻撃が過剰な激しさを失ったという点だ。さっきまでの龍のドローンは百舌たちが生きようが死のうが関係ないと言わんばかり、破壊を撒き散らしていた。それが少女に手綱を握られるや、その動きはある意味で理性的な論理を獲得し、目的に向かって遂行されるような整然ささえ感じられるようになった。
その目的はつまるところ百舌の――しいては〈
「ふっ……面白い」
百舌は義腕と義肢に内蔵された炸薬の残りを確認する。腕が二発で脚が一発。十分な装備であるとは到底言い難い。だがそれでも、負けられない。退けない。百舌にだって背負うものがある。
「そろそろ終わりにさせてよね――――っ!」
龍のドローンが急加速。そのまま頭上から突っ込んでくる。
百舌は間一髪で飛び退き、衝撃に煽られながらもこれを好機として踏み込む。飛散するコンクリートの破片に全身を晒しながら、踵部の炸薬を撃発。上昇する推進力を得て、少女が跨る鞍へ肉薄する。左拳を引き絞り、左右色違いの目を驚きに見開く少女目がけて振り下ろす。
「望み通りっ、これで終わりだっ!」
だが刹那、少女の強張った顔が誇るような笑みに歪む。
「ざーんねん」
見えていた光景に陰が射したかと思えば、次の瞬間には砕けるコンクリートとともに地面に沈む。全身の血管は沸騰して皮膚を食い破るかのように暴れ、肺に溜め込んだ酸素は露も残さず絞りだ有れる。
遅れて理解したのは拳が届かなかったということ。そして砕け切った全身の骨が、もう目の前の怪物に抗うことを許さないということ。
粉塵が晴れると頭上に龍のドローンと少女が見えた。頭部のすぐ横でちらつく尻尾に叩き落とされたのだということをさらに遅れて理解する。
これが〈マーキス〉の超高度演算を味方につけた戦闘か。おそらく少女の世界には数手先の未来が映し出されているのだろう。示された未来への対処までもが恩恵なのか、あるいは彼女自身の選択によるものなのかまでは分からなかったが、完敗だった。できれば〈マーキス〉ではなく、新たな
「すごいな……まだ意識あるんだ……ほんとに人間?」
女神の腰巾着に言われる筋合いはねえよ。そう思ったが声は出なかった。
「殺しはしないよ。でも貴方の脅威はほんものなので、絶対に再起できないように左半身だけは潰しておくね」
風那の声に反応して、龍のドローンの尻尾が撓り、高々と持ち上がる。霞んだ視界のなかでも、百舌にとっては断頭台の刃さながらのそれはやけに鮮明に見えた。
リク、アクタ。後は託す。
内心でそう溢し、目を閉じた。間もなく風を引き千切るような衝撃が訪れ――なかった。
代わり、硬質な何かが砕ける大音声が聞こえた。百舌はゆっくりと瞼を持ち上げ、すぐ頭上で何が起きたのかを目の当たりにする。
振り下ろされるはずだった尻尾は、どういう軌道を経たのか龍のドローンの喉へと突き刺さっていた。貫かれた箇所に稲妻が走り、爆発が起きる。龍のドローンの巨体がゆらりと傾ぎ、そのまま明後日の方向へと倒れていく。
百舌は残る力を振り絞って身体を起こす。紙一重で直撃を回避して鞍から飛び退いていたらしいカザナが、この場所に来た時に穿たれた壁の大穴を凝視していた。
どうしてお前がここにいる――。
百舌の言葉は声にはならず。現れた少年は翳していた掌を下げ、ゆっくりと歩み出る。
「もう革命は終わりにしよう。いや、もう終わったんだ」
その口から吐き出された言葉は妙な説得力をもって響き、わずかにその場をたゆたって消えた。
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