CHAPTER9:Our deeds determine us, as much as we determine our deeds.(6)
選んだのだと、思っていた。
考え、意志し、行動し――それら一連の全てが自分という存在の、奥底から湧いてきた何かだと信じていた。
だが現実は違った。
考えるように仕組まれ、自ら意志したのだと錯覚させられ、予定通りの行動をしていた。〈マーキス〉による計画性という盤上で、何も知らないままに踊り狂わされていた。
流した血も、散っていった志も、摘み取られた命も、全てが計画。
いくら社会が豊かになろうと、それは人の尊厳に対する冒涜でなくて何なのか。
「ふざ……けんなっ!」
アクタは吼えると同時、〈パラサイト〉上にクラッキングのプロトコルを起動していた。穏やかな黒い海がうねり、目の前の大樹へと押し寄せる。流し込むのは早蕨から授かった権限コード――〝|GOD GIVES THE NUTS BUT SHE DOESN’T CRACK THEM《神はクルミを与えて下さる。でもそれを割ってはくださらぬ》〟の三六文字。まさしく権限コードに相応しい、感謝と決別の句だった。あるいは目の前に座す機械仕掛けの女神ではなく、大昔から信仰されていた神を懐かしむような意味が込められているのかもしれない。
その文字列に込められたものが何であれ、これさえ打ち込むことができれば革命は成就――〈マーキス〉を停止させるも思いのままになる。
しかしアクタの奇襲は、〈マーキス〉に届く寸前で全て霧散した。
『無駄です。既にこの
そんなはずがなかった。権限コードは
アクタはイメージクラッキングが無意味と悟り、地面を蹴った。腰の後ろに突っ込んであったネイルガンを抜き、射程圏内にまで駆け込む。両手でぎこちなく構え、そして妙に重い引き金を引く。撃発した内部機構がアクタの腕に鋭い震動を伝えた。
「うああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
放たれる釘は、全て奇跡的に大樹の根元――〈マーキス〉の基幹部分であり、阿比留導火の脳が収まるケースを穿つ。しかし多少の火花が散っただけで、ケースには細かな傷一つつくことはない。
間もなく全ての釘を撃ち尽くす。アクタの荒い呼吸の合間に、カチリ、カチリと間の抜けた乾いた音が響く。
アクタは力なく両腕を下げ、右手に握っていたネイルガンを地面へと落とす。ここまで来て、為す術がなかった。
リクなら、百舌なら、一体どうする。むしろ一度、撤退して二人を連れて戻ってくるべきだろうか。〈マーキス〉を、こんなやつを、意志も尊厳も容易く踏み躙るような機械を、野放しにしておくわけに――――。
『貴方は、私を停止させることを望んではいない』
それは憮然と、確信をもって放たれたように聞こえた。
『ヒナキアクタ、貴方は〈マーキス〉の停止を望んではいません』
「そんなわけ、あるかよ……お前はっ!」
叫ぶアクタの脳に、〈パラサイト〉から無数のイメージが流れ込む。それは目覚める前に観ていたような都市圏の光景であり、あるいはクロノタワーの周辺や内部でドローンと戦う仲間たちの姿だった。
「――――リクッ!」
そのなかの一つにリクの姿を見止め、アクタは叫ぶ。全体的な戦況は明らかな劣勢。例に漏れず、リクも怪我を負っている。今はまだ〈ハウンド〉や〈ネメア〉の追撃を凌げているが、長引けばどうなるか分からない。
『貴方が私に対して嫌悪、不快感、反感……そうしたものを抱いているのは確かでしょう。しかし貴方は一度目の当たりにしている。そして恐れている。〈マーキス〉の恩恵を、〈パラサイト〉から得られる情報を失った人々が、一体どうなってしまうのか。つまり貴方は感情で私を否定しつつも、その論理において必要性を認識せざるを得ない。あるいはこう考えている。――〈マーキス〉による計画性は強固であり、いくら考え策を弄したとしてもそこから超え出ることはできない。現にこれまで百舌たちがやってきた戦いは、全て〈マーキス〉の掌の上だった』
「それは……っ」
咄嗟に否定しようとして言葉に詰まった。〈マーキス〉の指摘はたった一分の狂いもなく真実だった。
〈マーキス〉の計画した未来を乱すことも、まして倒すことなんて不可能だった。それを望むのはまるで葉に滴る朝露が天に落ちていくことを願うのと同じだ。
『その複雑な精神の在り方、特に共同体社会の在り方に疑問と反感を抱きながら否定しないというアンビバレントな状態は、共同体が今のかたちのまま発展していく上で非常に有用なサンプルとなるでしょう。貴方の行為、発言、それら選択の一つ一つが未来の社会における一つの基礎を築くに至るのです。だからこそ、ミシナリクではなく、貴方が――ヒナキアクタが選ばれました』
脳内に流れ込むイメージのなかで、〈ハウンド〉が尻尾の電磁パルス砲をリクに放つ。非殺傷装備ではあるが、生身の身体に直撃すれば数分動けなくなることは必至だ。
リクは全力で加速して逃げ、これを回避する。しかし狙いを逸らした電磁パルスは壁伝いに走っていたパイプを直撃。淡い雷光が走って、パイプが裂ける。凄まじい勢いで熱風が噴き出し、リクの顔面を焼く。
「リクッ!」
アクタは居ても立っても居られずにリクの元へと踵を返そうとする。しかし一瞬にして視界が暗転し、駆け出すのを阻止される。挑発的な〈マーキス〉の声だけが相変わらず頭のなかでこだまする。
『貴方が行って、一体何ができるのでしょう』
振り返ると視界が晴れた。少し視線を逸らせばまた視界は暗転。どうにも〈マーキス〉はここからアクタを逃がすつもりがないらしい。
「何ができるかじゃねえ。リクを助ける。やるんだ」
リクだけではない。百舌も、ウサキも、それ以外のメンバーたちも崖の上で踵を放りだしたままなんとか踏み止まっているような状況が続いている。
『素晴らしい気概です。しかし不可能です。既にネイルガンは撃ち尽くし、戦うための武器はない。加えて彼らの居場所さえ分からない。貴方は現時点で、最も無力です』
「うるせえっ! それでも……このままじゃリクがっ!」
『私がここに、ただ話をするためだけに貴方を招致したと、考えていますか?』
リクを失うかもしれないという焦燥と恐怖に身を焼かれていたアクタは、〈マーキス〉のその言葉でいくらかの冷静さを取り戻す。
〈マーキス〉は本来であれば秘されいているべきはずの姿を晒し、全ての種明かしをした。
ただ〈
そう、つまり――。
〈マーキス〉は一世紀を越えて、停滞した共同体社会を次のステージへと進めようとしている。その遠大な計画の一部に選ばれたのがアクタであり、これまでの全てはただそのためだけに仕組まれていたのだ。
『私はこの一連の事件を通じて、新たな認識の地平を獲得しました。つまり感情的側面を希釈した社会構築には限界があることを痛感したのです。そして複雑な精神の在り様と、共同体の合理性を統合すべく、そのサンプルに貴方を選びました。貴方には、未来に対して応答する義務と権利があるのです』
アクタのちょうど足元。壁中の淡い燐光が集まったと思えば、八角形に亀裂が走った。慌てて退いたその場所にぽっかりと八角の穴が開き、奥からゆっくりと柱がせり出してくる。
それはアクタの胸の高さくらいでぴたりと静止した。半透明の柱のなかに、左右が黒と白で異なる色の手袋が収められている。それはまるで封じ込められているようで、アクタはどことなく不安な感じを覚える。
『さあ、ヒナキアクタ。――――この共同体社会に、そして私に、貴方の意志を示すのです』
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