CHAPTER9:Our deeds determine us, as much as we determine our deeds.(4)
「――――――、――――――」
声が聞こえた気がした。何と言っているのかまでは分からない。それは名前を呼んでいたようにも思えるし、単なる挨拶だったかもしれない。
あるいは波濤のようにも聞こえた。押しては返し、返しは押され、近づいたり遠退いたりしている。いや、そよ風に揺れる葉擦れの音かもしれない。風の流れに全てを委ね、身を任せるままに揺れ動く葉っぱたち。
結論から言えば、それが一番的を射ていた。穏やかにそよごうと、獣のように吹き荒ぼうと、共同体に生きる人々は――自らの意志を持たぬ人々は、その流れに身を委ね、右往左往してみる他にないのだから。
そう、聞こえていたのは都市圏に溢れかえった声。声。声――。
単なる音だったそれはかたちを結んで声となり、そして意味を得ていく。切実な苦鳴と絶望の嗚咽が響き合う。その声たちの生々しさは、脳裏に走馬灯さながらに映像を再生する。
ある男は爆発に巻き込まれたのか、血塗れになって罅割れた地面を這っていた。気づいているのかいないのか、腰から下は吹き飛んでいて、ぶよぶよした内臓が地面に赤い線を引いていた。
歩道の真ん中で立ち尽くした子供は母を呼んで泣き叫んでいた。しかし逃げる人々が押し寄せ、子供はぶつかって尻もちを突く。子供も小さな姿と一緒に、叫び声までもが人の波へと呑み込まれていく。
ある女は路傍に座り込み、気が触れてしまったかのように繰り返し何かを喋っている。大事そうに抱えているのは男性と思わしき人の腕。左手の薬指には女と揃いの指輪が嵌っている。上腕の途中で千切れた腕の先は、どこを見渡しても見つからない。
映像が瞬く間に切り替わっていく。一枚だけが大きく提示されることもあれば、無数の小窓となって意識のなかに立ち現われてくることもあった。
歩行補助具を使って何とか逃げようとする老人に向かって、バールが振り下ろされる。倒れた老人は一瞬にして三人組の男たちに囲まれる。年齢も雰囲気もバラバラな彼らが口を揃えて言う。ドローンが〈パラサイト〉の処理を圧迫しているから、壊さないとダメなんだ。歩行補助具は決してドローンではなかった。
傷だらけになった〈
あちこちに死が蔓延し、狂気が連鎖し、絶望が降り積もっていた。
こんなはずではなかったと、誰かが耳元で囁いた。
そして唐突に意識が覚醒する。目覚めたというよりは目を覚まされたという感覚に近く、そお暴力的な覚醒はいきなり後頭部を鈍器で殴られたような衝撃をアクタに植え付けた。
『――おはようございます。ヒナキアクタ』
最初に聞こえたのは穏やかだが無機質な声。視界に飛び込んできたのは突き放すように冷たい色彩の、青白い燐光。
アクタは即座に身体を起こし、周囲を見回そうとする。身体が電撃に撃たれたような激痛に軋み、正体不明の龍のドローンに襲われ、フロアの崩落に巻き込まれたことを思い出した。
『あまり無理はしないほうがいいでしょう。最大限の配慮は尽くしましたが、右の肋骨が二本、折れています』
声の主は見当たらなかった。加えて周りには瓦礫の一つとして存在しない。四方を燐光が満たすだけの部屋にはアクタだけが座り込んでいた。
『それと、当音声は〈パラサイト〉を経由して脳に直接入力されている情報ですので、いくら姿を探しても無駄です。もちろんこの部屋の現状態では、人間の視覚はほとんど機能しないでしょう』
声の言う通り、現状では部屋の広ささえ分からない。燐光は遠近感なく瞬いている。それどころか、燐光以外は恐ろしいほどに深い闇で、アクタがいる場所から半歩ずれたそこに床があるのかさえも確証できない。
イメージクラッキングをするときに潜る、想像上の海のなかによく似ていた。
「リクは? 百舌は? あの、龍のドローンはどこにいった? ここはどこなんだ? お前は一体何者なんだ? 落ちたはずのおれは、どうしてこんなところにいる? お前が連れてきたのか?」
アクタは頭のなかの声に向かって立て続けに詰問した。声を発するたびに折れているという肋骨が痛んだが、構わなかった。
『質問に答える前にまず、そのまま前をご覧ください。それが貴方の疑問の答えにもなるでしょう』
声が言うや、燐光が一層眩く光りはじめる。周囲を駆け巡る速度がどんどん加速し、一つ一つの光を目で追うことすら難しくなってくる。やがて幾条もの光は溶け合うようにして一つの大きな光になり、部屋全体を満たしていった。
〈パラサイト〉の光量調整があって尚、目を焼かれるような眩しさに、アクタは目を閉じて腕で顔を覆う。
やがて突き刺すようだった閃光が弾けて消え、代わりに滲み出るような穏やかな淡い光が空間に広がっていった。
『この姿で会うのは、初めてですね。ヒナキアクタ』
声に告げられ、アクタはゆっくりと視線を戻す。
何が起きようとしているか、ある程度は想像できていた。だから今更驚いて狼狽えたりなどはしない。だがそれでも、その謁見に際して、尋常じゃない緊張と畏れをアクタは感じた。
目の前にはアクタの身長など軽々超えるような直径の、巨大な乳白色の根が隆起していた。まるでこの共同体の全てを吸い上げていると言わんばかり。いや、事実として莫大な電力と引き換えに、根は共同体に存在するあらゆる情報へと繋がっているのだ。
その根は無数に折り重なり、絡み合いながらせり上がり、さらに太く巨大な幹をつくっていた。幹は遥か頭上の天井へと届き、そこからさらに幾条もの枝を走らせる。油断すれば崩れそうになる人の社会を、象徴的にその大樹が支えているのだ。
アクタは一度、天を仰いでそれを見上げ、再び真っ直ぐに視線を戻す。幹の根元には筐体が収められていたからだ。
それは水槽のようだった。中を薄青の溶液で満たされていた。上下の端からは無数の電極が伸び、筐体の中心にあるそれに繋がれている。
それ――筐体に収められた人の脳髄が意味するところも、目の前の巨大な構造物が一体何なのかも、アクタは理解していた。
その答え合わせを求めるように、スケールの違いに唖然とするアクタの頭に件の声が響く。
『驚くのも無理はないでしょう。――私は〈マーキス〉。共同体の支配者。人類社会の導き手』
「お前が、……〈マーキス〉。共同体の、女神」
アクタは息を呑んだ。その威容は圧倒的ではあるものの、決して威圧的ではなかった。むしろその木陰で一息吐きたくなるような、親しみさえ抱いてしまう。
「違う……」
アクタは呟き、首を振った。肋骨が軋んだが、その激痛が今はいい薬だった。圧倒されるのも、寄り添うのも違う。アクタは確かめにきたのだ。自分の頭で考え、自分の意志で選ぶために来たのだ。たとえリクがそばにいなくても、その目的は最初から変わってはいない。変えてはいけない。
「お前は、女神じゃない」
アクタは圧し潰されそうになるのを床についた両手で堪え、惹きつけられそうになるのを唇を噛んで拒絶する。
「お前は、〈マーキス〉。そして、
『ふふふふふふふ……』
まるで地の果てから湧き上がってくるような笑みだった。機械のそれにしては、あるいは共同体の規範に照らしても、あまりに生々しいそれに、アクタは思わず身構える。
『ふふふふふふ……ふふふふふふ……ふふふふふふふふふ……』
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