CHAPTER9:Our deeds determine us, as much as we determine our deeds.(3)
百舌からの指示が出るや、言い終わるのを待つまでもなくウサキはコントロールルームを飛び出していく。アスマは自らを落ち着かせるために何度も何度も深呼吸を繰り返していた。
『……ヨクとアスマ、二人で死守す――――』
通信越しに突如響いた轟音に、アスマは思わず呼吸をぴたりと止めた。一瞬遅れて猛烈な寒気が訪れ、身震いをする。訳も分からないままに、出所不明の強力な
「くそがっ!」
アスマは飛びつくように壁一面のモニターを見回す。忘れていた深呼吸をもう一度繰り返し、焦燥に燃え尽きてしまいそうになる自分自身を内心で鼓舞する。
百舌はかつて言っていた。人が未来や目の前の困難を恐れるのは、それが圧倒的な未知であるからだと。その通りだ。アスマは今、猛烈に不確かな未来を恐れている。もしかすると革命は頓挫し、迎える結末が
アスマが〈
どうしてこんなときにこんなことを思い出しているのか分からなかった。だが、共同体社会が持て余したハッキングの腕を、百舌は見出してくれた。だからこそ今こうしてアスマは生きていられることは間違いない。
そう言えば百舌はこうも言っていた。その未知に向かってもがくことでしか切り拓かれる未来は生まれないのだ、と。そのときはどういう意味か分からなかった。意味は分からなかったが、イカしていることだけは分かった。深く考える必要はないと思っていたが、それは間違いだ。
生きることはただ安穏と時間を過ごすことではない。それはまるで闘争だ。他人と競り合い、ときに蹴落とし蹴落とされることももちろんだが、何より自分との闘争なのだ。過去から未来へと続く道で、明確な意志として一歩を踏み出し続ける。〈マーキス〉の計画やどこかの神が決めた運命とやらに抗い続けて初めて、未知を切り裂いて道を拓くことができるのだ。
何度か画面を切り替えて、ようやく目当てのモニターを見つける。百舌たち三人が〈ハウンド〉に追われていた。
百舌とリクが応戦していたが、敵の数が多い。三人がいるのはもう公式区画外の地下六階。既にそこまで敵ドローンが侵入しているのだ。意気揚々と戦っていたはずが、いつの間にかとんでもない劣勢に追い込まれ、革命の炎はもはや風前の灯火だった。
だが諦めるわけにはいかない。
抗えと百舌の背に、言葉に、学んできたのだ。
アスマは自らの頬を叩き、気合いを入れ直す。有線で繋がれた自らのノートPCを膝元に手繰り寄せ、滑らかに激しく、古びて文字の掠れた
まずは
間もなくアスマはそれが本来的には
具体的な対応策はまだこれからだ。だが抗ったことに確かな意味はあった。
「ヨク!
だが次の瞬間、百舌たちの映るモニターが大きな揺れとともにノイズを走らせ、ふつりと消えた。焦りや不安といった感覚が、ざらついた確かな感触を持ち始める。
「ヨク、けっこうまずい。百舌たちの様子が分からねえ……分からねえんだ。…………なあ、ヨク? 聞こえてんだろ? 返事くらいしろって、なぁ……」
悲しいのか怖いのか、アスマには自分の感情がよく分からなかった。ただバケツいっぱいの水がある一点を超えると溢れるように、無理矢理詰め込まれて飽和した感情が涙となって唐突に溢れ出す。
「……おぉい、ヨク。てめぇ……返事しろって。ヨク……無視しないでくれって」
ヨクの返事の代わりに、重たい何かが床に崩れる鈍い音が聞こえた。アスマはゆっくりと座っていた椅子を回し、入り口の方へと向き直る。
振り返ったアスマの視界に飛び込んできたのは変わり果てたヨクの姿だった。
脳天から股間までを真っ二つに両断され、内臓とか筋肉とか骨とか、あらゆる全てを包み隠すことなく晒していた。右手はまだセーフティーの解除されていないネイルガンを握っていて、何が起きたのかを知ることもなく死んだことが想像できた。
左右に開いて床にぶちまけられて血の海を広げるたヨクの死体の真ん中に、返り血を一身に浴びたドローンが立っていた。おそらく〈ハウンド〉だろう。首のない肉食動物を連想させる不気味な肢体は、もうだいぶ見慣れつつある。だがその機体は返り血のペイントで浮かび上がる輪郭以外は周囲の様子に溶け込むように透明だった。
きっと光学迷彩の類なのだろう。加えて三又に分かれて、それぞれに刃渡り五〇センチ程度の刃物をちらつかせる尻尾も、〈ハウンド〉の標準装備にはない。どういうわけなのか、目の前の〈ハウンド〉は改造機らしかった。
アスマは椅子からずり落ちるように床へ座り込み、もうどうでもいいとでも言いたげに項垂れた。ヨクが死んだという事実も、そのことに気づけなかったことも受け入れがたかったし、ヨクを一瞬で仕留めた改造機にアスマが単独で勝てる見込みは薄いことが分かっていた。
「あー、もう何やってんのーっ!」
だが〈ハウンド〉改造機は静止したまま動かず、間もなくあまりに緊張感のない声が聞こえた。聞き覚えがあるような気がしたが、アスマが答えに辿り着くよりも声の正体が姿を現すほうが速かった。
織香早蕨の邸宅で、アスマたちの前に立ち塞がってきたあの少女。頭の横に浮かんでいる〈COdeMe〉には
とにかくその少女は〈ハウンド〉改造機に寄り添い、返り血を拭うようにその背を撫でていた。〈ハウンド〉は機械のくせに、気持ちよさそうに胴体を震わせ、尻尾を跳ね上げる。
「おっかしいなぁ。殺せ、って命令してないのに。あたしの指示は制圧! せ・い・あ・つ! あーゆーおーけー?」
〈ハウンド〉は、今度はあからさまにしょんぼりしてみせる。アスマは出来の悪い芸を見せられているような気分になる。
カザナはその〈ハウンド〉がヨクを殺したことに不満を抱いているようだった。だがやがて、手をパンと打ち鳴らして微笑をつくる。それは共同体において正しい、模範的な表情だった。
「ま、いっか。この人たちも大勢……グランマを殺したんだしね。因果応報だね」
カザナがすくと立ち上がる。〈ハウンド〉改造機が飼い主を守らんと前へ出る。だがその行動をカザナが手で制する。
「お前は駄目。またすぐやり過ぎるから。あとで調整が必要。下がっていいよ」
〈ハウンド〉改造機が素直に後退し、カザナの双眸がアスマを鋭く睨む。
「本当は殺しちゃいたいけど。でもやっぱりそういうのって、少なくともあたしにとってはさ、共同体的じゃないんだよね。だから〈ケルベロス〉は一旦なし! あ、〈ケルベロス〉っていうのはあの子の名前ね。あたしが作ったんだよねー。ま、〈ヒュドラ〉と違って既存の〈オルトロス〉をベースにあたしなりのアレンジ入れただけなんだけどさ」
カザナはへらへらと肩を竦める。この少女の実力はアスマも知るところだが、こうまで侮られて無抵抗でいるほどアスマは骨抜きでもないし、優しくもない。むしろカザナが〈ハウンド〉を下げたことによってアスマにも勝機が生まれたとさえ思っていた。
それに、抗わなければならなかった。
百舌はまだ生きていると信じて、最期の瞬間まで革命の炎を絶やしてはいけない。それが先に死んだ仲間への責任であり、まだ生きて戦う仲間に示す意志でなければならない。
「上等だ……〈
「舐めないよ。でもね、蝋燭の翼じゃ、眩く煌めく太陽には決して届かないんだよ」
「んなもん、やってみなけりゃ分からねえだろうが……っ」
アスマは立ち上がり、スタンバトンを構える。
「ちょっと考えたら分かるよ。あたしはグランマみたいに優しくないんだ」
すぐ耳元で聞こえた声に反応し、電撃的に飛び退く。だがそれよりも早くカザナの蹴りがアスマの頸椎を刈り取る。衝撃に視界が歪み、たたらを踏む。辛うじて倒れ込むのは免れたが、スタンバトンは取り落してしまい、無防備な身体がカザナの前に晒される。
「ほらね」
容赦のない正拳が見舞われ、アスマは床に倒れ込む。脳震盪が起きたのか、身体に力が入らず、即座に立ち上がることができない。
「革命ごっこは、もうお終い」
カザナが模範的な微笑みを浮かべながら、冷酷に吐き捨てる。
天井を仰ぐアスマの視界に振り上げられたカザナのスニーカーの靴底が映り、それが素早く振り抜かれてアスマは今度こそ完全に意識を失った。
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