CHAPTER9:Our deeds determine us, as much as we determine our deeds.(2)
『疲れた身体に憩いのひとときを――――。都会の真ん中でリゾート気分を味わいませんか?』
人のシルエットに程近い接客用のドローンが親しみやすげに首を傾げ、音声を発する。
「まさか営業中とは思わなかったね」
走りながら、速度を緩めることなくリクが呟く。
クロノタワーの地下一階と二階は一般構成員の出入りが可能な飲食店のフロアになっていた。もちろん外で起きている爆破テロの影響で、既に構成員たちは避難誘導されているためにフロアは持抜けの殻だった。ドローンたちは誰もいない地下空間で、懸命かはさておき、少なくとも忠実に、職務を遂行していた。
「軍用の奴らとは違い、一般業務に従事する目的で作られたドローンは行動アルゴリズムがかなり単純化されている。一度起動させて命令を出しておけば、たとえ放置していたって、物理的に妨げられない限りにおいては職務を遂行しようとする。使われているAIもそれほど高いスペックのものではない」
「つまりあれらには、人の有無なんてどうでもいいってことだね」
「そういう解釈もできるな。……こっちだ」
百舌は言って無数の亀裂に覆われた壁へと突っ込む。ノイズとともに百舌の身体が壁の向こうへと消え、リクとアクタはそれに続く。壁の向こう側には同じような淡い色彩の飲食フロアが続く。
「〈マーキス〉による住み分け、〈パラサイト〉による区画整理は、可能性の切り捨てなんだよ」
リクの言葉は何故というアクタのふとした疑問を読み取ったかのようだった。
確かに立ち並ぶ飲食店は男子高校生が利用する価格帯より少し高く、店舗も小洒落た雰囲気を醸している。確かにいつも通りのアクタならば絶対に行こうとは思いつかないような店だ。
だが、行かないだろうこととそもそも辿り着きようがないこととでは雲泥の差がある。
リクが言いたいのはつまり、選択の余地がなく偶然が切り捨てられることへの警告なのだろう。
もしかすると少し背伸びをしてみるのもいいかもしれない。たまたま入ったその店で、何か運命的な出会いがあるかもしれない。
挙げればキリがないIfのほとんどは共同体社会において、不必要の烙印を押されて捨てられる。
あらゆる可能性を削ぎ落し、ただ一本の道を進んだ先にあるのはきっとありきたりな結末だ。
アクタはずっとそれに苦しんできた。決して代わりの効かない何かが自分や自分の人生にはあるはずだと思ってきた。
だがその青い想いは、こんなにも誰かを害することを許容するのか、アクタにはもう分からなかった。
今、FEC3では多くの血と涙が流れている。〈
自分が望んだのは、あの日フェンスの向こう側に見たいと思った景色は、これだったのだろうか。
もう分からなかった。考えることが怖かった。
†
アクタたちはその後も何回か壁を通り抜け、階下へと繋がる道を見つける。
やがて到達した地下六階以降は公式の区画には存在しない場所。ここからは自らの選択と意志だけが頼りになる。
トラックが二台並んでも優に通れそうなほどの広い通路。時折、壁の継ぎ目に幾何学模様の燐光が走る。壁伝いに部屋は見当たらない。もしかすると部屋はあるが入り口を入り口として認識できていないだけかもしれない。通路の雰囲気は、〈メーティス〉の地下深くで〈トーカ〉と対話した場所とどことなく似ている気がした。
阻むものは何もなかった。一歩進むたび〈マーキス〉に近づいているのだという感覚が増し、共同体という大きく堅固な社会を追い詰めているという実感がリクと百舌を高揚させているようで、その足並みは少しずつ早まっていく。
別動隊のウサキたちも無事にクロノタワーの上部――〈新界興業〉が管轄するコントロールルームにてクロノタワーのセキュリティを始めとする制御系統を掌握しようとしていた。
制御系統を手中に収めれば、タワー内部および周辺のスキャナ全てを同時に閲覧することも可能であり、非常時に用いる隔壁やホログラムの展開など、多くのことが思いのままになる大きなアドバンテージだ。少なくとも〈マーキス〉本体のいる場所まで辿り着くことはほとんど決定的となる。
だだがアクタたち三人の耳朶を揃って打ったのは、コントロールルーム制圧の歓喜ではなく、驚愕と困惑だった。
『はぁっ? 何がどうなってやがんだよっ!』
「何が起きた、アスマ」
明らかに狼狽えた様子のアスマに対し、百舌は冷静に応答する。
『何って、聞きてえのは俺っちのほうだ! クロノタワーには追撃をかけられないんじゃなかったのか? 周辺のドローンまで、全部こっちに向かってきてやがるぞ!』
アスマの叫びに、百舌が明らかに息を呑んだのが見える。想定外のことが起きていることはアクタたちの目にも明らかだった。
『確認する限り、もうかなりの数のドローンがタワーに入り込んでる。これが俺っちたちと無関係ってこたぁねえよなっ?』
百舌は一瞬の思案。いくら百舌の戦闘力が優れていようとも多勢に無勢。このままでは完全に袋の鼠だ。だが願い続けていた革命の完遂を目前にして、おめおめと引き下がることなどできない。
「ウサキを攪乱に外に出せ。コントロールルームはセキュリティをうまく作動させながら、ヨクとアスマ、二人で死守す――――」
声を掻き消したのは崩落した天井が奏でた大音声。立ち込める粉塵にうねる影が浮かんだ。
そのあまりに長大な全貌はうかがい知れない。先細りになった頭部には全部で一九個の視覚素子が煌めき、全身を隈なく覆うのは刃を連ねたような鋭利な鱗。それはまさに蛇――否、数多の神話に現れるような龍を連想させた。
「なんだこのドローンはよ……」
アクタは呟く。それはこれまで対峙してきたどんなドローンとも違う。相手を屈服させるためだけに生み出されたような、禍々しい空気を纏っていた。
龍のドローンが開けた天井の大穴から、産み落とされるように〈ハウンド〉が落ちてくる。
「…………百舌、あれ知ってる?」
「残念ながら初見だ。……逃げるぞ」
百舌の判断と同時、三人は一斉に踵を返して走り出す。〈ハウンド〉が一気に加速してほんの一瞬で間合いを詰めてくる。リクは脇に回した腕からネイルガンを発射。転倒した〈ハウンド〉の一機がよろめいたまま壁に激突して大破。その骸を踏み越えて、二機目、三機目が襲来する。
「先に行けっ!」
逃げられないと判断した百舌は振り返りざまの回し蹴りで応戦。〈ハウンド〉の胴体を穿ち、鋼鉄の体躯を吹き飛ばす。
「でもっ……」
「ヒナキ、お前たちは織香早蕨からコードを預かっているんだろう。それに、あの怪物は俺でなければ止められない」
百舌は言って、突き下ろした拳で〈ハウンド〉を粉砕。闇雲に突撃するのは愚策と判断したのか、〈ハウンド〉たちが急停止して百舌との間合いを取った。百舌は腰を落として拳を握る。纏っていたつなぎが切り裂かれ、左半身の両義肢に力が込められる。
たしかに百舌は強い。戦闘義肢の力だけではなく、それを使いこなすだけの技量と類まれな戦闘のセンスがあるのだろう。だが龍のドローンは、そういう人間でどうにかできる範疇のことが通じるような相手ではない。
「さあ行けっ!」
百舌が叫び、アクタはリクに腕を引かれる。踵を返そうとしながらも、対峙する一機と一人から視線を外すことができない。
革命の是非は抜きにして、関わった人たちに対して何もできない自分が情けなかった。少なくとも百舌は、たとえどれほどその思想が異なろうと、幾度となくアクタを助けてくれた恩人だった。
百舌が低く飛び出す。踵部の炸薬を撃発させた猛加速。
龍のドローンが鋭い口を開く。一九もの視覚素子は百舌に目もくれず、アクタとリクを眼差して無作為に瞬く。
全ては一瞬だった。それはおよそ、龍のドローンが爆散したようにも錯覚できた。
無論そんなわけはなかった。
龍のドローンを覆う剣の鱗が逆立ち、その雄叫びをもってして一斉に発射されたのだと遅れて気づく。通路は一瞬にして無惨に破壊。僚機であったはずの〈ハウンド〉さえも串刺しに、あるいは粉微塵にして、その場にあったあらゆる全てを蹂躙した。
まさに圧倒的。ただそこにいるだけで戦意を挫くほどの。
間一髪でその場に伏せたアクタとリクはなんとか生きていた。いや、本来ならば間違いなく死んでいたのだろう。アクタたちが生きていたのは、幸運でも奇跡でも龍のドローンの照準の不正確さでもない。紛れもない人間の意志が、二人を生かしていた。
アクタたちの眼前に、大粒の赤い雫が落ちる。
放出された鱗を、身を挺して受け止める百舌の姿が見えた。晒した背中にはウサキの背丈くらいはあるだろう、大きな刃が突き刺さり、百舌の右下腹部へと抜けていた。刃を伝って血がごぽごぽと泡立ち、床に赤い水たまりを作った。
「クソ野郎……早く行けと言っただろうがぁっ!」
百舌が腹から突き出る鱗を掴み、強引に引き抜く。押し留められていた血が一斉に噴き出し、腹圧が弱まって傷口から内臓がはみ出す。百舌は吼えながら手づかみで内臓を押し込み、龍のドローンへと歩みを進める。
一体どういう原理なのか、龍のドローンは既に新たな鱗に生え変わっており、一九の目を光らせながら百舌を見下ろしている。まるで圧倒的な捕食者が、取るに足らない虫けらを見下ろすような冷たく無慈悲な眼差し。
龍のドローンはゆっくりと再び口を開く。ほとんど反射的に、先の強烈な波状攻撃が脳裏を過ぎる。それが致命的な隙を生んだ。
「――――――――――――――――――――――――ッ!」
唐突に高周波の爆音が放たれ、空間が震撼した。思考も、より深いところにある意識さえも、真っ白に吹き飛ぶような無形の一撃。
既に破壊し尽くされ、辛うじてかたちを保っていたフロアの床が崩れ落ちる。最も近くにいた百舌はもちろん、アクタもリクもその崩落に巻き込まれていく。
落ちながら、アクタとリクは互いに向けて手を伸ばす。
その指先は、今度は触れるどころか掠ることもなく。全ては階下の闇へと呑まれていく。
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