CHAPTER9:Our deeds determine us, as much as we determine our deeds.(1)

 一時の方角から〈ステュムパリデス〉が急降下。最大の馬力に重力を加えた加速で迫り、アクタたちの進行方向手前に墜落。機体が粉微塵に爆ぜ、火柱が上がる。

 道となった倒れたビルが大きく揺らぐ。ヨクが勢いよくハンドルを切り、〈ステュムパリデス〉が特攻で穿った崩落を回避する。


「次が来てるぞ、次がっ!」

「分かってますよ!」


 間断なく襲い掛かる〈ステュムパリデス〉の特攻。火柱を切り裂き、穿たれた穴を飛び越えてワゴン車を疾駆させる。背後には〈ネメア〉と〈ハウンド〉が追い縋っている。百舌がネイルガンで応戦しているが、射撃のタイミングに合わせて有効射程から外れるドローンの巧妙さに、攻め手を欠いた状態が続く。

 後部座席のウサキが特大の釘打ち銃パイルドライバーを担いで窓から乗り出す。〈ネメア〉と〈ハウンド〉の間のスペースを狙って引き金を引く。しかし放たれた長大な釘は大きく逸れて、遙か後方の地面を砕く。上下左右に激しく揺れ続ける車内からは、いくらウサキであっても狙いを定めることはできなかった。


「もっと落ち着いて運転できないのっ!」

「無理言わないでくださいよっ! これでも躱すので精いっぱい……くそっ!」


 また車体が大きく揺れる。反動で身を乗り出していたウサキが落ちそうになる。間一髪で隣りにいたリクがその華奢な身体を支える。ウサキはもうお尻のあたりまで車の外に飛び出している。


「全く、頼りにならないっ!」


 ウサキは悲鳴を上げながら運転するヨクに毒づき、次の釘を装填する。ぐらぐらと揺れる銃口を何とか静止させようと試みる。


「ウサキ、大丈夫。君なら当てられるよ。目にばかり頼るんじゃない。全身の感覚で、空間を捉えるんだ」

「わたしよりも下手クソなくせに」

「ならここで当てれば、君はさらに高みへ行ってしまうね」

「勝手に言ってなさい」


 ウサキは息を吐いた。目を閉じた。銃口がブレることなど構わず、伝わってくる震動に身を委ねた。そして、引き金を引いた。

 放たれた釘は真っ直ぐに〈ハウンド〉の胴体を貫く。爆散した衝撃が〈ネメア〉を巻き込んで地面を崩落させていく。

 今の一撃でビルは完全に分断されていた。立ち昇る黒煙の向こう側に、道を失って立ち往生するドローンが見えた。


「よっしゃぁっ! さすがウサキだ。俺っちは信じてたぜっ!」

「嘘吐きなさい。さっきそこで十字切ってたの見たわ」

「来てるッ!」


 アクタが叫びも、特攻する〈ステュムパリデス〉がワゴン車のすぐ脇に着弾。爆発が起き、ワゴン車が大きく傾く。完全に横転しそうになる刹那、百舌が車外に拳を見舞う。肘部に仕込まれた炸薬が撃発し、その衝撃でさらに四分の三回転が加わる。

 ワゴン車は奇跡的に横転を免れる。しかし完全に減速。その一瞬の隙は〈ステュムパリデス〉に包囲網を築かせるに十分だった。


「ヨクさんっ! 踏んでっ!」


 全員が息を呑んで硬直するなか、リクが吼える。ヨクは怯懦の叫びとともにめいいっぱいアクセルを踏み込み、ワゴン車が急加速。一拍遅れて〈ステュムパリデス〉が殺到する。


「そのまま加速しきってください。このままクロノタワーに突っ込む」


 揺れる車内でリクが決然と言い放つ。もちろんまともな方策ではない。

 ここは横倒しになったビルの上、つまり地上からは数十メートルの距離がある高さだ。そんなところから、ましてワゴン車の加速をたっぷり上乗せした状態で別のビルに突っ込むなど、アクタなら錯乱していたって思いつかない。

 だが、たとえ狂気の一手だとしても、最も合理的かつ可能性の高い逆転の一手だった。


「うああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 ヨクは叫ぶ。メーターを振り切って速度が上昇。口を開けば舌を噛み切りかねないほどに、悪路の凹凸が車体を突き上げる。

 窓の外に〈ステュムパリデス〉が見えた。しかしそれらはワゴン車を捉えることなく、後部座席の窓のなか、上から下に消えていく。


「――――いけえええええええっ!」


 誰が叫んだのか分からなかった。全員が叫んでいたのかもしれない。声に出さずともそう願っていたに違いない。

 車体は浮遊感に包まれ、その刹那の間まるで世界が粘性を帯びたようにスローに見えた。

 窓に当たる雨粒が弾け飛ぶのが見えた。

 ビルの先端に殺到した〈ステュムパリデス〉が次々と無為な自爆を繰り返しているのが見えた。

 しかし永遠にも等しいような浮遊感は瞬く間に過ぎ去り、気が付いたときには強烈なGがアクタの身体に圧し掛かっていた。

 緩やかな放物線を描きながら、六人を乗せたワゴン車は共同体の象徴であるクロノタワーの、その根元へと突っ込んでいく。

 地面が瞬く間に近づき――――と思う間もなく衝撃。ボンネットが拉げ、両の前輪が吹き飛ぶ。ワゴン車はあろうことかバウンドし、今度は後部から地面に着地。スリップして反転したまま、勢いに従って地面を抉る。

 果たしてアクタたちはガラス張りの入り口を突き破ってクロノタワーへの入場を果たす。

 ワゴン車は巨大な柱にぶち当たって止まり、見る影もなく大破する。

 奇跡的に意識を失ったりする者はおらず、全員が次に何をしなければならないかを理解して動いていた。無論、それは理性的な行動選択ではなく、本能による自己防衛だ。

 六人は拉げたワゴン車から這い出し、一目散に距離を取る。全員が離れたことを見越すや、待っていたようにワゴン車が爆発。天井の高い吹き抜けのエントランスホールに赤と黒の狼煙が上がる。


「全員、生きているな……?

「死んだかと思った……」

「俺っちはもう四回くらい死んだ」

「全員無事なのは奇跡以外の何ものでもないわね」

「ダイ・ハードだってこんな無茶苦茶なアクションしませんて」

「あの一作目は傑作だね」


 血と煤に塗れたアクタたちの頬に、作動した鎮火用のスプリンクラーが降り注ぐ。もう立ち上がる気力もなく、今すぐにでもベッドに頭を突っ込んで眠りたい気持ちに駆られるが、まだここはスタート地点に他ならない。

 そして目下の絶望的危機から脱した途端、アクタのなかに一つの問いが芽生える。だがそれが明確な言葉になるより先に、広く低く響いた百舌の声が耳朶を打つ。


「アスマ。クロノタワーの制御系統は独立したシステムで間違いないな?」

「それは間違いなし。それとは全く別に、地下に莫大な電力消費が認められてる。これだけデカい施設なんだから電気だってそりゃ使うだろうがな、用途不明のそれは怪しすぎんだろ」

「加えて、その用途不明の電力消費が認められる階を含めた地下六階以下は図面にも存在しない。誰も気に留めないが、もし気づいてしまえば、断片を繋ぎ合わせて仮説を立てるのは難しくないね」


 百舌が訊ね、座り込んだままアスマが答える。リクが立ち上がりながら付け足し、アクタに手を差し伸べる。立ち上がったヨクは額から流れる血に顔をしかめ、ウサキは指や手首などの手首を鳴らした。

 百舌は今一度、アクタたちの顔を見回す。


「多くの想定外と窮地に見舞われた。だが俺たちはここまでやって来た。まだ外では他のメンバーが決死の覚悟でドローンたちと戦っている。彼らの意志に、ここまで犠牲にしてきた多くの命に、必ず報いるためにもこの革命を完遂する」


 百舌の力強い言葉に、アクタ以外の全員が深く頷いた。アクタは頷くことができなかった。どうして頷けなかったのかは、分からなかった。


「リク、ヒナキは俺と共に地下へ。アスマとヨク、ウサキは上へ向かい、クロノタワーの制御系統を掌握してくれ」


 百舌たちは互いに視線を交わした。使命感や改革への憧憬、自由の渇望、満ち足りない日常への不満、漠然といた息苦しさ、好奇心――様々な感情が交錯し、そして一つの方向へと収束していく。革命へ向かう大きな熱が、それらを織り上げ遍くを貫く一条の槍と化す。


「新しい世界で会おう」


 二組に分かれた一行は互いに決然と背を向け、同じところを眼差しながら対になって歩き出す。

 アクタはその様子をぼんやりと眺める。胸中に沸いた疑問は、きっと押し殺さなければならなかった。


        †


『――登録〇〇〇〇〇二〇九四の固有反応バイタルが消失。よって新たな権限保有者ホルダーの任命を実行アクティブ――』


 頭の中の奥底から響く心地よい声。カザナの目が、意識を失っているにも関わらず見開かれる。翠緑エメラルド紫耀アメジストの双眸には青白い幾何学模様が重なって瞬く。

 響く声はこう続けた。


『――おめでとうございます。登録〇七七三〇八九六〇……戸籍認可名称、正木風那マサキカザナ様。登録〇〇〇〇〇二〇九四、織香早蕨様に代わり、新たな権限保有者ホルダーに任命されました。権限保有者ホルダーとは――』


 権限保有者ホルダーなどという初めて聞く言葉の説明がどっと流れてくる。音声として認識されたその説明は、だが一秒の時間も要することなく、まるでコピーしたデータを脳内に貼り付けたように、カザナのなかで理解と納得を得た。

 やがて鈴の音のような愛らしい笑い声が響き、頭のなかにいた声はすっと遠ざかっていった。

 入れ替わるようにして、カザナは意識を取り戻す。今まさに目を覚ましたという感覚が確かにあるのに、今自分に何が起きていたのかを明白に理解できていた。奇妙な感覚だった。

 カザナは荒れ果てた通路の奥、開きかけの扉の影からこちらを覗く視線に気づく。リエナを始めとする八歳から一〇歳くらいまでのちびたちだった。


「カザ姉、血……」


 そろそろと、明らかに怯えた様子で進み出たリエナの手には小さな救急箱が下げられている。カザナはにまっと笑顔を作り、リエナに手招きをする。


「お、持ってきてくれたの? ありがとう~。リエナはいいお嫁さんになるぞ~」


 カザナが手を伸ばしてリエナの頭を撫でると、安心したのかリエナがぶわっと泣き出した。


「グランマ…………グランマが、悪い人に、うぐっ、うあああん」


 カザナはリエナを抱き締める。

 これまでに起きたことも、これから為すべきことも理解していた。自分に課せられたあまりに大きな役目に、異論も不満もなかった。


「うん、頑張ったね」


 カザナはリエナの頭を撫で、泣き止むまで寄り添った。事態は急を要するが、それくらいのタイムロスは問題ではなかった。むしろここで隣人の哀しみに寄り添うことができないようならば、それこそ共同体社会に価値はない。


「大丈夫、あたしが全部、終わらせるから。またみんなでお家鬼ごっこしよう」


 優しく言いながら、さっきの声を思い出す。記憶の一番目立つところに焼き鏝で刻まれたようなそれは、一言一句違うことなく、すぐに思い起こすことができた。


『――尚、権限保有者ホルダーにはあらゆる非常時における特別遂行措置権限の行使が認められています。これはすなわち、非常時における社会的な最高意思決定が貴女に委ねられることを意味します。つまり貴女は、共同体社会において唯一、私――〈マーキス〉ととなったのです』


 大丈夫。自分が為すべきが何か、全て理解できている――。

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