CHAPTER8:Living is not breathing but doing.(5)

 パラパラと雨が地を穿つような音。どこか遠くで響いていたようなその音は、意識にかかった靄が晴れていくにつれて大きく、強くなっていく。

 やがて鈍い痛みがアクタの頭に走る。反射的に額を押さえると、ぬめりとした感触。見れば掌は真っ赤に塗りたくられている。

 そこで雨音だと思っていたそれが銃声であることに気づく。霰のように吹き荒ぶ銃弾が、双方から飛び交っているのだ。


「何が起きたんだよ……」


 アクタは壁伝いにゆっくり立ち上がり、すぐ近くの開け放たれた扉から外の様子を伺った。機械音声の警告が曇天に響き渡り、全方位から当てられるライトが指揮車輌を照らしている。どうやらさっきの衝撃で吹き飛んだ車輌は横転して手近な建物へと突っ込んだらしい。周囲には〈ネメア〉を中心とする様々な形状の軍用ドローンが扇状に展開されていて、進行方向の目と鼻の先には黒ずんだ空に突き刺さる御柱クロノタワーが見えた。手を伸ばせば届きそうな距離にそれはあるのに、クロノタワーはどこまでも遠く隔たっているように思えた。


「…………どうして」


 アクタが言ったのではなかった。からからに乾いた布巾から辛うじて絞り出された一滴のような声は、アクタが聞き馴染むそれとは程遠く、小さくか弱く震えていた。


「……――っ」


 声の聞こえた後ろを振り返って、アクタは息を呑んだ。

 コンテナのなかは無惨に破壊されている。モニターは無惨に罅割れて明滅し、千切れたコードがすすきのように垂れ下がっている。さっきまでは側面だった天井を突き破って、太い鉄骨が刺さっていた。


「まじ、かよ……」


 アクタは何とか声を絞り出した。

 アクタの視線と、突き刺さる鉄骨の先端――仰向けになったリクに覆いかぶさる、織香早蕨の姿がそこにあった。

 鉄骨は織香早蕨の胸を貫き、リクの鼻先でぴたりと止まっていた。破裂した脇腹からは人の内臓を模した内部機関がこぼれ落ち、常に構成員の模範を示し続けてきた顔の人工皮膚は半分近く剥がれ、その下にある鈍色の醜悪で無機質な義体が露わになっていた。早蕨の胸から溢れ出す人工血液が鉄骨を伝い、リクの頬を濡らす。


「どうして、助けた……」

「決まって、います。リク、……貴方は、私の、大切な、……子供なんだもの……」

「あの孤児院、〈なぎさの家〉は……貴女の贖罪の場、都合のいいシミュレーションの場でしかないだろう……」

「最初は、そうだった、かも、しれない……。私は、導火を、自分の娘を、救えなかった。きちんと、愛して、あげられなかった」


 重力に引かれたか、コンテナが裂けて鉄骨が傾く。文字通り胸を抉られた早蕨は叫び声を押し殺し、身体を支える腕に力を込め直す。


「だから、導火が、私に孤児院経営を推奨、したときは……償え、と言われている、のだと、理解しました。許され、ないことを、私はしたのだと……でも、きっとそれは、違った。彼女は、背負うべきが、違うと、言いたかったのでしょう。過去では、なく、未来を、背負えと。……いや、今だから、きっと、そう、思えるの、かもしれません、ね……」


 早蕨の目から涙が零れる。リクの頬に落ちたそれは血と混じり、薄桃色の雫となって頬を流れた。


「私は、しあわせ、でした……」

「貴女は、最後まで勝手だ。グランマ」


 リクは突き放すように言いながら、小さく笑った。


「リク……誰よりも、この共同体について悩み、考えてきた、貴方の、ような人が、共同体の、人の社会の、未来には必要、です。……だから、貴方と、貴方が信じるであるヒナキさんに、未来を、〈マーキス〉の権限コードを、託します」


 早蕨が言うや、アクタの〈パラサイト〉に三六桁の文字列が浮かんだ。きっと同じものがリクの視界にも浮かんでいるのだろう。アクタはその文字列を素早く、丁寧に読み、そして理解した。そこに込められていたのは、人が人であるがゆえに選ぶことのできる未来の可能性だった。

 文字列が消え、アクタが再び早蕨に視線を戻したとき、早蕨は事切れていた。最期までリクを守ったまま、静かにその長い生涯を閉じていた。

 アクタの視界の隅で〈ランデブー〉による通信通知がポップアップ。受諾するや、百舌の鋭い声が聞こえた。


『無事だな?』

「まぁ、何とか。どこにいるんだ? 皆は無事か?」

『俺とウサキは奥の受付台に隠れている。アスマはそこから一一時の方向に二〇メートルの位置にある柱の裏だ。どうやら待ち伏せ地点に誘導されていたらしい。〈ネメア〉数機による捨て身の突進を受けて横転し、俺たちは外へ放りだされた。そこにはリクと織香早蕨がいるな?』

「織香早蕨は死んだよ。リクを守って」

『……そうか。最期に示されたその意志に、称賛と哀悼を捧げる』

「それで、おれは何をしたらいい? 何か考えがあるから連絡してきたんだろ?」


 言いながら、アクタは散らばったガラス片の反射を使ってもう一度包囲網の様子を確認する。主戦力はやはり〈ネメア〉。ぱっと見で三割弱が〈ハウンド〉。もちろん対空戦力である〈ステュムパリデス〉も上空を旋回している。銃撃は〈ネメア〉に後付けされた四連砲身の大口径ネイルガンによるもので、一般乗用車などまるで紙切れと言わんばかり、容易く穴を開け蜂の巣へと変えていく。時折、アスマやウサキによる射撃が行われるが、相手に比べればこちらのネイルガンは本当に玩具のようだった。


『おそらくドローンのプロトコルには、クロノタワーを攻撃できないよう設定が施されているはずだ。つまりあの塔の根元に突っ込めさえすれば、この状況を切り抜けられるだろう』

「なるほど。肝心の指揮車輌はぶっ壊れ、この距離じゃネイルガンだって大した威力がない。それでどうやってクロノタワーに突っ込むつもりなんだよ」

「イメージクラッキングで、放置車両を動かす、だよね?」


 話に割り込んできたのはリクだった。いつの間にか早蕨の下から這い出ていたリクは、アクタの隣りで壁にもたれていた。


『リクか。その通りだ。ヒナキ、革命の命運をお前に託す』

「知らねえよ、そんなもん。おれがクラッキングそれをやんのは、おれとリクが生き延びるためだ」


 アクタは吐き捨て、ゆっくりと深く、息を吐いた。

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