CHAPTER8:Living is not breathing but doing.(2)

 逃げ惑う人々をクラクションで蹴散らす。人々は怒号と悲鳴を波濤のように叫びながら、右に左にと散っていく。ある者は身一つで逃げていた。ある者は泣き叫ぶ我が子を抱えて逃げていた。またある者は他人を押しのけ、突き飛ばしながら逃げていた。

 多くの車は路肩に放棄されている。高架道路が破壊され続けていることで自動運転システムがダウンし、車が動かなくなったのだ。アスマのように運転技能を有しているのは相当な物好きだけで、ほとんどの構成員が自らの足で逃げることを余儀なくされている。

 おかげでこれだけの混乱にあって、アクタたちを乗せた指揮車輌はスムーズに目的地へと進んでいた。

 また一つ、近くで大きな爆発が起きた。

 まるで喉を切り裂くように悲鳴を上げ続ければ、爆発音など消し去れると言わんばかりに人々の戦慄が街を満たしていった。

〈マーキス〉の計画性――未来予測によって支えられる共同体では、病気や老衰、それとごくごく稀に起きる事故を除けば人はほとんど死なない。荒れ狂う暴力や剥き出しの悪意に晒されるともなれば、運悪くも遭遇してしまう確率はもっと低い。

 目の前で誰かが死んだ。

 大切な人の安否が分からなくなった。

 自分自身の生命すら、脅かされていた。

 そのどれも、共同体が成立以来、人類が久しく味わっていなかったものだった。忘れようとしてどこか頭の奥底へと封じ込めていた恐怖だった。

 これはまさに未曽有の混沌。

 真っ当な構成員であればあるほどに、〈マーキス〉への信頼が深ければ深いほどに、人々は道標を失って恐慌の最中へと叩き落とされていく。


「創造は破壊を経た先にしかないわ」


 小窓から外を覗いていたアクタに向かってウサキが言った。相変わらずの素っ気ない物言いだったが、ウサキの言葉にはどこか自分を納得させるために放たれたような響きがあった。


「分かってる。これは、革命なんだろ……」

「そうよ。これは革命。意志を棄て、偽物の平穏に甘んじてきた人々にはこれくらいの強いショックが必要なのよ」


 ウサキの言うことは間違っていなかった。

 先の旧トウキョウタワー襲撃作戦で、ドローンを破壊しろという偽情報に踊らされ、人々は〈マーキス〉のしもべたちを破壊して回った。誰かに何かを示されなければ、危機的な状況にあって尚自らの行動一つ選ぶことができないのだ。

 そしてそんな彼らは今も、どこに行く当てもなく逃げ惑って悲鳴を上げている。立ち塞がる困難に対し、理性をもってして対峙する力が失われている証拠だった。

 間もなく車輌が乱暴に停車した。アクタはよろめき、たまたま近くにいたウサキに支えられた。背の低いウサキに下から見下され、舌打ちされた。

 着く場所がどこなのか、既にアクタには想像ができていた。

 だがまさかこんなかたちで、再びこの場所を訪れることになろうとは夢にも思っていなかったので、積み上げられた無数のキューブを目の前にしてなお現実感が薄かった。


「ここは?」

「〈新界興業〉CEO、織香早蕨おりがさわらびの自宅。もし〈マーキス〉がぼくらの思う通りの正体なら、絶対にクロノタワーの地下にあるし、そして止めるためには織香早蕨が必要になる」


 ウサキの問いに、助手席から降りてきたリクが答えた。


「ここにいる保証は? こんな有事なら、会社のほうにいるのが自然だと思うわ」

「いや、織香早蕨はここにいるよ。彼女は子供たちを愛している。それに未来を守ることこそが、彼女が〈マーキス〉から課せられた役目だ」

「だったら尚更だ。逃げてるんじゃねえか?」

「それは無理だ。小さな子供がたくさんいる。この混乱のなか、連れて逃げるのは不可能だ」


 アスマの問いにはリクが答えた。答えながら、リクの考えとの答え合わせをした。ぴたりと重なる久々の感覚は、清々しいものさえあった。


「織香早蕨の身柄を捉えよう。ちびっ子は取るに足らないけれど、もし不必要に抵抗するなら、そのときは各自の判断に任せるよ」


 リクがちらと百舌を伺い、百舌は頷いた。

 特別なにかを合図とするわけでもなく、五人は一斉に織香邸へと踏み込んだ。


        †


 先頭はリクとアクタが務めた。大きな屋敷の細かな経路を知っているのは、一度訪れたことのあるアクタとこの家で育ったリクだけだった。

 二手に分かれることも考慮したが、結局五人でまとまって行動することになった。織香早蕨はドローン産業の要を担う人物だ。自宅にドローンが配備されていないとは限らないとの判断だった。もし戦力を分散して万が一消耗するようなことがあれば、このあとの作戦に響きかねない。決戦において勝負を分けるのは、そういう僅かなボタンの掛け違いに他ならないと、百舌は心得ているらしかった。

 当然出迎えはなかった。あれほど歓迎され、愛されていたリク兄がこうして戻ってきたことを、あの子供たちはどう受け止めるのだろうか。

 あるいは育ての親である織香早蕨その人はどんな顔をするのだろうか。哀しむのだろうか。怒るのだろうか。それともあの完璧に真っ当な微笑みは、義理の息子の裏切りにあってなお、崩されることはないのだろうか。

 願わくは〈マーキス〉のもたらす凪のような平穏が、母の情までもを奪っていなければいいと、アクタは思った。

 むしろリクはどう思っているのだろう。何を感じているのだろう。アクタにとって早蕨は偉い人くらいの認識でしかない。だがリクにとっては血のつながりはなくとも母親も同然だ。その母親が愛した社会に牙を剥き、今はさらにその身柄を拘束して目的のために利用しようとさえしている。

 だがリクの横顔から、葛藤はおろかどんな感情も窺い知ることはできなかった。

 前は走り回る子供たちの笑顔で満たされていた――今はしんと静まり返った廊下を走り抜ける。

 早蕨の私室は三階の奥にある。通り過ぎる一部屋一部屋をチェックしていきながら、アクタたちは先へと進んでいく。

 一階を一周して玄関へと戻り、二階へと上がった。

 百舌は急加速して階段を駆け上る。アクタたちを追い抜き先頭へ。次の瞬間、物陰からしなやかに人影が飛び出した。

 人影は流れるような動作で上段蹴りを繰り出した。百舌は義手でそれを払い、相手の体勢を崩そうとする。しかし人影は絶妙にバランスを取りながら、驚いたことに軸足で跳躍。今度は逆の脚を振り抜いて繰り出す旋風脚。百舌は上体を反らして躱す――と同時に踏み込み。義手による鋼鉄の手刀を着地した瞬間の相手目がけて振り下ろす。しかし相手もこれを察知していたのか、しゃがんだ着地姿勢のまま後ろへと飛び退いた。

 百舌は想定外に空を切った手刀に目を見開き、すぐに体勢を立て直して相手の出方を警戒する。

 しゃがんでいた人影もすっと直立し、その反動で目深に被っていたフードが外れた。

 人影は露わになった左右色違いの瞳を驚愕に見開いた。その視線はアクタのすぐ隣りへと、食い入るように向けられる。


「…………リク、なん、で……?」


 人影――正木風那マサキカザナは今にも泣きそうな表情でそう溢した。

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