CHAPTER8:Living is not breathing but doing.(1)

 ある場所では炎の巨人が勢いよく頭をもたげ、黒煙を吐き出す。摩天楼の間を縫うように、天空を走る道が傾き、あるいは崩れ落ちて人々の悲鳴を掻き消した。

 ある場所では耳を弄する怒号とともに大地が沈んだ。まるで地獄の底から亡者の手に掴まれたように、都市の生活を支える足場が奈落へと引き摺り込まれていく。

 ある場所では未だ天空へと伸び続ける御柱がその根元を炎の赤に食い破られて倒れていく。倒れる先にはこの社会の血脈とも言える空にかかる橋。稲妻のごとく降り注いだ衝撃が、街を、人を、いとも容易く消し飛ばしていった。

 アクタはそんな黙示録のような光景を、小さなモニター越しに眺めていた。

 いや、眺める以外のどんなこともできなかったのだ。

 目の前で起こる暴力の横溢に、一個人で為す術など存在しない。少なくともアクタにはそんなものはなかった。無責任にも、自分がこの災禍を被っていないことに安堵さえ抱いてしまっていた。

 モニターの一つに〈ハウンド〉と〈ネメア〉が殺到していた。

 映されているのは〈銀色の翼イカロス〉がアジトにしていた郊外の廃ホテル。百舌たち別動隊を含む六人が一斉に〈パラサイト〉を放棄したことに対し、律義に反応し対処しているのだ。

 もちろんアクタたちはもうそこにはいない。それどころかメンバーの誰一人としてそこにはいない。メンバーはほとんど全員が都市の爆破に出払っていたし、そうでない者――怪我を負った数人は下水道を伝って都市圏の外へと一時避難をしていた。別動隊であるアクタたちもまた、指揮車輌に乗り込んで混乱が広がる都市の中心部を目指して移動している。真の作戦を隠すために〈パラサイト〉をオフラインにしたことさえ、〈マーキス〉側の戦力を割くための陽動として利用していた。アジトはもはやもぬけの殻だった。

 ちなみに〈パラサイト〉に関しては新しいものがウサキ以外の全員に与えられていた。曰く横領品、あるいは盗品や密流通品らしい。渡された〈パラサイト〉には既に別の誰か個人のアカウントが作られていた。それがどういう理由で流通し、経路で入手されたのかは知らないし知りたくもなかったが、元の持ち主がもうこの世にいないことだけは考えなくても分かった。


「集まったね、そろそろ頃合いだ」


 アクタと同じくモニターを注視していたリクが操作盤コンソールを叩くアスマへと指示を出す。モニターではなく東部都市圏の電力網の略図を注視していたアスマの視線が一瞬だけモニターを捉え、右手の小指がエンターキーを叩く。

 アジトを映していたモニターは一瞬にして爆炎に包まれた。対処に出向いてくるドローンを迎撃するべく、アジトの至る所に爆薬が仕掛けられていた。リクの指示とアスマの指によって一斉に遠隔作動した爆弾は、アジトもろともドローンどもを吹き飛ばした。


「こいつは震えるぜ……」


 喉の奥で込み上げる笑いを押さえているアスマをよそに、アクタはその爆発で犠牲者が出ていないことをただ祈った。

 まともにモニターを見ていることができなくなって顔を背ける。壁際でネイルガンの整備をしていたウサキと目が合った。ウサキは何も言わず、これが自分の選択だとアクタに見せつけるように再びバラされたネイルガンへと視線を落とす。


「アスマ。消費電力量の特定はどうなっている?」


 そう聞いたのは、いつのまに背後の扉を開けて戻ってきていた百舌だった。百舌は用済みになった馬木戸を、ウイルス提供の報酬として東部都市圏の外まで逃がしに行っていた。


「俺っちを誰だと思ってるんだ……と言いたいところだが、もう少し時間が欲しいな。どうやらウイルスを感知したらしく、〈マーキス〉が正しいデータとダミーデータを判別し始めている」

「問題ない。何もかもが手遅れだ。そのまま続けてくれ」

「あいよ。任せてくれ」


 アスマは一度ぱちんと指を鳴らし、操作盤コンソールを駆け回る指の動きのギアをさらに引き上げていく。


「リク、高架道路の爆破はどこまで進んでいる?」

「予定の七七パーセント推移ってところかな。南西方面に少し遅れが出ているみたい。敵ドローンにだいぶ削られてるね。だけどまだまだ想定の範囲内だ」

「そうか」

「うん。それにしても百舌、貴方の人を見る目は恐ろしいほどに優れている。あるいは人を使いこなすことに長けているのかな。まさかヨクにあんな指揮の才覚があるとはね。他の皆も同様だよ。ぼくは正直、貴方の予測推移は希望的過ぎると思っていた。全てが完璧に遂行された上で、あらゆる運が味方になったときの推移だと。でも現実は違う。皆は貴方によって鼓舞され、持っている以上の力を生んでいる」

「買い被るな。これは奴らの意志の力だ」


 リクはいつもと変わらない平然とした柔らかい無表情を湛えていたが、反対に百舌の表情は険しかった。きっとこの男が表情を緩めることは、革命が終結するそのときまであり得ないのだろう。もしかすると、革命を遂げて尚、立ちはだかる困難を探し出しては顔をしかめているのかもしれない。

 百舌はさらに眉間を深くし、モニターのなかを蠢くドローンを視線だけで壊さんと睨む。


「まだ何も成し遂げてはいない」


 それはもう間もなく革命を遂げてみせるという意志の表れだった。

 突如としてアスマが叫んだ。共通語とは異なる言葉で何かを言ったらしく、少なくともアクタは全く聞き取れなかった。だがそれがタスクの完遂を意味することは彼の様子から伺えた。

 まずリクと百舌がアスマの正面にあるモニターを覗きこんだ。遅れてウサキが顔を出し、アクタは三人の隙間から横目に確認した。


「現在、電力消費量が桁違いに多いのは四カ所だな。まずは海浜発電所プラント。これは当然なので除外するとして……あとの三つはモイラパーク、〈メーティス〉、クロノタワー地下。どれもそれっぽいっちゃそれっぽいが、電力を消費して当然だとも考えられる」


 百舌たちは一瞬だけ沈黙し、いくつもの可能性を即座に健闘した。


「〈メーティス〉である可能性は限りなく低いよ。となると二つ……」

「時間的にもどっちか一つに絞るしかなさそうね」

「これ以上、行動単位を分けるわけにはいかないな」

「胡散臭いのは、どっちも図面にない地下施設で、電力が過剰消費されてるってとこだな」

「ヒナキ、お前ならどちらに〈マーキス〉を隠す?」


 百舌に突然に話しを振られ、アクタは固まった。百舌だけではなく、他三人の視線もアクタを見ていた。この状況で分からないは通用しない。思考を放棄することは許されない。

 一般的な知名度で言えばクロノタワーの圧勝だ。VRパークや水族館は定番のデートスポットらしかったし、一般開放される最上階である地上四〇〇メートルの展望台から眺める景色には清々しいものがあるだろう。

 だがもしクロノタワーだとすればあまりに安易な気もする。

 何故なら、そこはあまりにも象徴的過ぎるのだ。もしFEC3を震撼させるようなテロを実行するなら、たとえ狙いが〈マーキス〉でなくてもクロノタワーを破壊するのが最も効果的な気がする。

 その点でモイラパークは最適と言えるかもしれない。

 かつてはこの地の皇族が住んでいたという地に建造された複合施設はまず広大だ。FEC3最大規模の商業施設モールに始まり、共同体理念館など社会的・歴史的価値の高い資料を収蔵する施設や大規模なコミュセッションなどを開催するための展示場。それらは端正な人工樹の緑道で繋がれていて、季節に応じて歩く人々の心を彩ってくれる。

 もし共同体という理念を最もよく表した場所を聞かれれば、モイラパークと答える人も多いに違いない。

 アクタは別の角度からも検討した。

 モイラパークはFEC3始まりの地とも言われる。世界紛争の混乱期においてそこは避難所として解放され、多くの命がその場所で生き延びたからだ。対するクロノタワーの落成は共同体成立以降になる。とすれば、共同体の創成期において〈マーキス〉に安置できる定位置がなかったとは考えづらい。


「クロノタワー」


 気付けばそう答えていた。理性が積み上げた思考とは裏腹に、アクタは天空に突き刺さる尖塔の名を口にしていた。皆もアクタと同じことを考えていたのだろう。だから予想外の答えに何を答えればいいのか分からず、反応が遅れていた。アクタはやはり間違えたのだと思った。

 一番先に口を開いたのはリクだった。


「どうして、と聞くまでもないかな。ぼくもそう思う。、きっとそうする」


 悔しいが今口にしたことへの迷いはあっという間に晴れていった。情けないと思ったが、同時に嬉しさを感じた。それがまた悔しかった。

 アクタを一番理解しているのはリクだったし、リクを一番理解しているのもきっとアクタだ。

 変わり果ててしまったもののなかに、まだ変わらないものがあるような気がした。

 それが、それだけがアクタにとっての唯一の希望だった。


「決まりだ。クロノタワーへ向かう。アスマ、自動運転を切り替えろ」

「ちょっと待って」


 立ち上がり、指揮車輌の運転席へと回ろうとしたアスマをリクが止めた。


「〈マーキス〉がクロノタワーにいるなら、きっと鍵がいる」

「鍵?」


 ウサキが怪訝そうな顔をした。迅速さが作戦の肝だと分かっているからだった。


「昔はさ、どんな家にも鍵で錠が掛けられたんだ。泥棒は、この鍵を何とか解除して他人の家に侵入した。壊すでも、針金で抉じ開けるでも手段は何でもよかったんだけど」

「何が言いたいの」

「〈マーキス〉の家は、世界で一番堅固な家だよ。だからちゃんと鍵がいる。向かうのはクロノタワーじゃない」


 車輌のなかに緊張が走っていた。リクの不可解な言葉の意味を、百舌もウサキもアスマも理解できてはいなかった。


「――――いいだろう」


 しかし百舌はリクの申し出を受け容れた。


「アスマ、リクの指示通りに走らせろ。大丈夫だ。こと〈マーキス〉を読み解くことに関して、この二人の右に出る人間を俺は知らない」


 リクとアスマは運転席へと向かっていった。指揮車輌は、クロノタワーに背を向けて加速していった。

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