CHAPTER7:Don’t wait for the last judgment- it take every day.(4)

 百舌の部屋についたのは百舌を除けばアクタが最初だった。百舌はアクタに座るよう促すようなこともせず、ただ執務机の上で腕を組んで目を閉じて沈黙に耽っていた。

 やがてウサキが到着し、少し間を置いてリクがやってきた。次に入ってきたのは名前の分からない爽やかな見た目の青年。百舌に呼ばれていたなかで唯一顔と名前が一致していないヨクというのが彼なのだろう。

 ウサキはそこが定位置なのか、初めてここに来たときと同じ扉と対角線上の壁際に立った。リクはソファに腰かけた。アクタはずっと所在なさげに立っていたが、リクに促されて隣りに座った。ヨクは場所がないと分かるや、入り口のすぐ近くに立った。


「や~わりいわりい。腹の調子がよくなくって」


 そう言いながらアスマが部屋に顔を出したのは、それから十数分後のことだった。

 座る場所がないと見たアスマがそのままソファの脇の地べたに腰を下ろし、百舌がゆっくりと顔を上げた。

 百舌の部屋に集まるにあたり、全員が〈パラサイト〉をオフラインにしておくように言われていた。正確な時間は不明だが、あまり長時間にわたって〈パラサイト〉がオフラインになっている場合、最終稼働地点にドローンが急行し、その安否を確かめることになっている。つまりたとえ社会の枠外に飛び出したフリーターと言えど、〈パラサイト〉をオフラインにするのは危険だった。

 あえてその危険を冒すのは、つまりそうまでしてでも〈マーキス〉に気取られたくない話があるということなのだろう。


「隠し事はなしでいこう。……先の旧トウキョウタワー襲撃は成功した。それは間違いない。俺たちは望んでいた成果を手に入れた。〈マーキス〉の掌の上で、だ」


 先の扇動者アジテーターとしての言葉とはまるで違う温度の言葉に、アクタは強烈な悪寒を感じた。

 あまりに目まぐるしく変わっていく状況のせいで見落としていた。いや、最初から何も気づいていなかった。あるいは気づいたところでそれを掻い潜るにはあまりにリスクが大きすぎた。


「やっぱりそういうことになるよね」


 百舌にいち早く応答したのはリクだった。きっとリクは最初から理解していたのだろう。


「やっぱりとは?」

「ぼくらの〝自由研究〟のときもそうだった。思考以外のほとんどが全て〈マーキス〉によって知られていた。少し考えれば分かることだよ。〈マーキス〉は〈パラサイト〉を通して万人を監視している。だからこそ一世紀以上もの間、目立った暴動やテロがなかった。全ては事前に防がれていたんだ。だが今回、どういう理由かは分からないが、おそらく〈マーキス〉は先の旧トウキョウタワー襲撃の計画を知った上でぼくらの攻撃に甘んじることにした。そういうことだろう?」

「その通りだ。実際、先の作戦は実行前に内容が露見し、先手を打たれることも考慮に入れていた。だが杞憂に終わり、作戦はほぼ当初の予定通りに成功した。いや、


 その場にいた百舌とリク以外の四人が身震いをした。当然だった。自分たちが決死の覚悟で挑んだ戦いが、もし全て相手の想定内――それどころか相手の操る盤上での出来事の一幕に過ぎなかったとすれば、それほどに恐ろしいことはない。自由意志を重んじる彼らにとって、それを見せかけられることほど屈辱を感じることはない。


「まじかよ……んなの俺っちたちは一体どうすりゃいいんだよ」

「腹立たしい、とも思いますが、これは震えが止まらないですね」


 アスマが天井を仰ぎ、ヨクは腕を擦った。ウサキは黙っていたが、少なからず衝撃は受けているようだった。


「狼狽えるな。予測では、そうなる確率はごく僅かだったが、想定していなかったわけではない。そしてこうなったからこそ、次で一気に攻勢をかけ、〈マーキス〉を攻め落とす」

「時間が長引けば長引くほど、〈銀色の翼イカロス〉という組織としてのぼくらの行動は解析されていく。つまりより対処しやすい敵へと貶められていく」

「その通りだ。だが俺たちは明らかな後手に回っているわけではない。言っただろう、予め予測していたと。この痛烈な二撃目で、共同体社会をお釈迦にする用意をしてきている」


 アスマが軽薄な口笛を吹く。僅かな間があったが誰も口を開かなかったので、アクタがそろりと手を挙げて訊ねる。


「どうやって? 確かに〈パラサイト〉をオフったことで、ここで話すことは〈マーキス〉にも分からねえけど、オフったって事実は残る。そこから何か仕掛けてくることは、おれにだって想像できるぜ。それに肝心な〈マーキス〉の場所が分からなけりゃ、何をしたって共同体はお釈迦にはならねえと思うが」

「お前もよく知っている手段を使う」


 百舌はそれだけ言って、目配せをした。リクが立ち上がり、奥の部屋へと消えていく。少し時間を置いて、閉められていた扉が開き、リクが姿を現す。


「……お前、馬木戸マキドっ!」


 アクタは思わず声を上げた。黄緑色の髪という奇天烈な見た目の男を見紛うはずもない。だがリクに引きずられるように出てきた男は、アクタが知る馬木戸の印象とは異なり、化粧も崩れてやつれていた。何より顔の左半分は青痣で腫れあがっていた。


「あら、アクタちゃん、だっけ……お、おひさ~……」

「どういうことだよっ」


 アクタは既に立ち上がり、百舌に詰め寄っていた。百舌は左眼だけでアクタを見下ろした。


「お前たちは〈マーキス〉の目を欺くためにダミーデータを送信するウイルスを用いた。その手法を応用し、ダミーデータだけを無限複製し、延々と送り続けるウイルスを作らせた。既に〈マーキス〉は膨大に増えつつある情報処理に追われ始めているはずだ」

「そうじゃなくてよ――」


 掴みかかろうとして、アクタの身体が宙に浮いた。そのまま天井と壁がめくるめく視界を巡り、気が付いたときには床に叩きつけられていた。


「不敬よ。それに百舌を責めるのはお門違い」


 遅れてウサキに組み伏せられたのだと気づく。横になった視界の先には、すっかり従順に飼い慣らされてしまった馬木戸と、飼い主のようにそれに連れ添うリクの姿が見えた。


「仕方がなかったんだ、アクタ。〈マーキス〉を打倒するためには時間がなかった。多少手荒な真似をしても、ぼくらは計画を先に進める必要があった。これが最も可能性の高い手段だった」

「リクちゃんも……ずいぶんと、変わったわ」

「目が覚めたって言ってくれると嬉しいな」


 リクはアクタと馬木戸に微笑みを向けた。ゾッとするほど柔らかく、感情を削ぎ落した笑みだった。


「リク、お前っ……」

「アクタも確かめたいだろう? 〈マーキス〉が真にぼくらを幸福に導く存在なのか。ぼくらの意志と自由を、差し出すだけの価値がある存在なのか」

「……くっ!」


 アクタは拘束を振り解こうともがいた。痛みはなかったが、がっちりと関節を嵌められているせいか、びくともしなかった。

 その場の誰も気付いていなかった。あるいは気づいていないふりをしているのだろうか。

 自由を渇望し、意志の尊さを叫ぶはずの〈銀色の翼イカロス〉が、馬木戸――他者の意志を踏み躙っていることに。


「間もなくダミーデータの複製から三〇時間が経過する。アスマ、東部都市圏の電力の流れからその消費量が高い地点を割り出せ。その何処かに、必ず女神がいる」

「あいよ」


 アスマは即答で額に二本指を立てる。FEC3最大の謎とも言える〈マーキス〉の在処が暴かれるかもしれないという事態に、琥珀色の瞳を爛々と輝かせていた。


「俺たちは四人ここから別動隊として動く。高架道路の爆破を陽動とし、ドローンを排出させ、守りが手薄になった〈マーキス〉を叩く。そのための現場指揮を、ヨク、お前に任せる。百舌という虚像を演じ切り、一人でも多く新世界に到達させるんだ」

「ははは、こいつはとんでもない大役ですね。ここにきて仲間外れになるのは少し寂しいですが、いいでしょう。貴方の代役、きっちり果たしますよ」

「ああ、お前にしか頼めないことだ」


 ヨクは後ろ頭を掻いて、だらしなく笑う。組織のカリスマである百舌から寄せられる絶大な信頼に高揚していた。


「百舌、アクタはどうするつもり? このままじゃきっと使い物にはならない」

「俺は言った。別動隊は四人だ。ヒナキは理念や思想では動かない。だが意志はしっかりとそこにある。問題ない」

「……わかった」

「心配するな。もうじき見ることができる。最後までしっかりついて来い」


 うつ伏せに倒れるアクタの上に乗っかるウサキの頭を、百舌が生身のほうの手で撫でた。ウサキは照れたように俯き、口の端を僅かに綻ばせる。

 アクタはリクを見ていた。

 リクもアクタを見ていた。

 だがもはや通じ合えるものは何もなかった。

 同じだったはずの二人の思いは、一体どこで掛け違えてしまったのだろうか。

 リクは今、白銀の翼を手に入れ、天上で燦然と輝く太陽の喉元に研ぎ澄ませたナイフを突き付けようとしている。その翼を血で浸し、傷つき傷つけられることも厭わずに、大空を舞っている。

 それがあの日、鳥籠から見上げた青空なのか、もうアクタには分からなかった。

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