CHAPTER7:Don’t wait for the last judgment- it take every day.(2)

銀色の翼イカロス〉がアジトとしている廃ホテルは東部都市圏の郊外、潮風香る〈白街ブランク〉の一角にある。

 〈白街ブランク〉とは言っても、前にリクと訪れたような繁華街然としたものとは異なり、街の風景は廃れ、そこに住む人にもあまり活気は感じられない。今も汚れたTシャツから痩せ細った腕を覗かせる小学生くらいの子供が、身体を引き摺るように目の前を横切っていった。地盤沈下の影響のせいか、ところどころ滲み出した海水が履いていたスニーカーに滲み込んだ。

 アクタは緊張で汗ばむ掌をシャツで拭う。松葉杖を突きながら少し前を歩いているウサキは、用があると言ったにもかかわらず一言も喋らず、それどころかアクタを振り返ることもせずに歩き続けている。

 空気が重かった。

 もしかすると用とは、アジトから離れた一目のつかないところまで連れて行き、慈悲もなく撃ち殺したりすることかもしれないと、アクタは割と本気で思い始める。


「な、なあ……」


 そう思うと、とうとう耐えられなくなってアクタはウサキの背中に声を掛けた。

 ウサキは尚も無言だった。だが小柄な後ろ姿からは突き刺すような冷たいオーラが発せられ、これ以上無駄口を叩けば殺すと、静かに告げている気がした。

 アクタはそれ以降、迂闊に口を開くことはなく、ただ黙ってウサキのあとに続いた。やがて入り組んだ路地をいくつか抜けて、寂れた公園に辿り着いた。潮風にあてられた遊具はどれも錆びついていて、崩れかけていた。ウサキとアクタは強度を確認してからブランコの周囲の柵に並んで腰かけた。


「わたしは、四歳のとき、親に捨てられた」


 ウサキの唐突な告白に、アクタはすぐに返す言葉を見つけられなかった。疲労の色濃い頭をフル回転させて、織香早蕨が私的に運営していた孤児院のことを思い出す。


「確か、〈マーキス〉が実親との生活じゃ幸福になれないとか何とか判断して、孤児院に行くんだよな。リクも孤児院の出身だって言ってたんだが、全く勝手な話だと――」

「そうじゃないわ。わたしは。〈マーキス〉には、最初からわたしなんて見えていなかったせいで」


 ウサキが膝の上に置いていた掌をぐっと握った。怒りに震えるようでもあり、怯えて縮こまっているようでもあった。


「わたしの親は熱心な〈マーキス〉信者だったわ。何においても〈マーキス〉の導きが絶対であり、慈善活動ボランティア地域の集会コミュセッションにも相当熱心に参加していたわ。よく集会コミュセッションに連れて行かれたのを、まだ小さい頃だったけどよく覚えてる」

「俺もガキのころはよく母親に連れて行かれたよ。思えばあんときから苦手だったな。皆が同じ顔で、思いやりだなんだと言い合ってんのは」


 妙に居心地の悪い空気を変えようとして、アクタは言ってわざとらしく笑った。だがウサキがまとう空気は依然として硬質そのもので、アクタの笑いはすぐに萎れて消える。


「わたしの親、とくに父は〈パラサイト〉の素晴らしさに感銘を受けていたわ。本来、着用が義務付けられるのは一〇歳からだけど、そんな父の影響もあって三歳のときに初めて〈パラサイト〉を付けた。結果は激しい嘔吐と号泣。初めてだから仕方がないと言いながら、毎日〈パラサイト〉を付けられたわ。そして半年経っても状況が全く改善されなかったわたしを心配して、両親はわたしを病院へと連れて行った。先天性現実感応障害と診断されたわ」

「先天性現実感応障害……?」

「ええ。聞いたことがないのも無理はないわ。一〇〇万人に一人っていわれる症例だし、共同体社会が今のかたちで存続する以上、この病の存在を許すわけにはいかないもの。簡単に言えば、〈パラサイト〉が展開する拡張現実を認識できない脳の病気ね。個人差はあるみたいだけど、大まかには現実と拡張現実の違いを認識できない。そのせいで〈パラサイト〉を長時間着用すると吐き気や頭痛、倦怠感や手足の痺れが起きるわ。無理して使えば、心神喪失で死亡した例もある」


 にわかには想像できないことだった。

〈パラサイト〉の着用は義務ではあったが、それ以上に生活必需品だ。道端の自販機で飲み物を買うのにも、電車に乗ってどこかへ行くにも〈パラサイト〉が必要だし、就職や進学、結婚でも何でも、自分が真っ当な人間であることを証明するための唯一の手段が〈パラサイト〉だ。

 それに〈パラサイト〉は〈マーキス〉による社会計画と幸福達成の基礎、つまり情報収集の要を担ってもいる。〈パラサイト〉から得た行動の履歴の蓄積と参照を繰り返し、個人に最適化された幸福を〈マーキス〉は提供する。

 つまり〈パラサイト〉が使えないということは、情報的に透明であり、共同体社会において〈マーキス〉からは個人として認められさえしないことを意味してしまう。


「両親はわたしを気味悪がった。これまで注がれていた愛情が嘘だったかのように冷たくなった。そしてわたしが社会に認識されないのをいいことに、わたしを死んだことにして捨てた。そこからはまさに地獄だったわ。〈白街ブランク〉で物乞いをしてみたり、下水道で暮らしてみたり、一〇歳のときに百舌と出会うまで、本当にいつ死んでもおかしくない生活をしてた」


 今度こそ何と言葉を返せばいいのか本当に分からなかった。ウサキの両親は〈マーキス〉に従った結果ではなく、自分たちだけの都合でウサキを捨て、また万人を幸せにするはずの〈マーキス〉にさえ手を差し伸べてはもらえなかった。

 その壮絶たるや。想像など到底できなかったし、安易に共感してはいけないような気さえした。


「だから、わたしは人の意志がろくでもないことも知ってるつもりよ。人はその意志で誰かを深く傷つけることもできる。殺すことだってできる。でも同時に、わたしに差し伸べられた救いの手も百舌の、人の意志によるものだった。だからわたしは〈マーキス〉が何でも決める社会より、色んな人の意志が錯綜してる社会のほうがましだと思ってるわ。それに、何より――」


 ウサキが歯を食いしばり、奥歯がギチと軋んだ。


「何より〈マーキス〉が、共同体という社会が憎いわ。わたしを無視し、透明人間のように扱ったこの社会がね。だからわたしは戦うし、わたしは壊す」


 吐き出される呪詛のような憎悪の言葉は燃え上がる炎のような、鋭く堅固な槍のような、激しさと強さを兼ね備えていながらも、どこか切なく哀しい響きを帯びていた。


「ま、何が言いたいかって言うと、戦う理由なんて、何でもいいのよってこと。百舌のように本当に意志の尊さを信じても、わたしのように社会を心から憎んでも、あるいはリクみたいに好奇心を原動力にしたっていい。もしあんたが戦うための理由を見つけられたら、そのときはきっと、ちゃんと選ぶことができるはずよ」


 全て見抜かれていた。迷っていることも。革命の機運に熱を帯びていく周囲との温度差に気後れしていることも。

 ウサキはゆっくりと立ち上がった。もう話すことは全て話したと言わんばかり、アクタを顧みることなく歩き出す。


「それと、わたしの昔話は百舌しか知らないから。それ以外は他言無用よ。ま、聞いて楽しくなる話じゃないから、喋ったところで何の得もないだろうし」

「なんで」


 アクタはウサキを呼び止めようと思うと同時、そう口に出していた。ウサキは足を止め、アクタをちらと振り返る。


「なんで、そんな話、おれなんかに」

「さ、なんでかしらね。きっとわたしが今こうやって生きてるから、そういう気分だったのよ」


 ウサキは少しだけ早口で捲し立てるように言って、再び歩き出す。

 思っていたよりもずっと、ウサキはいい奴なのかもしれない。少なくとも本気でアクタを嫌悪しているならば、自らの傷を抉るような話をしてくれるはずもない。

 アクタは彼女の小さな背中に掛ける言葉を、未だ見つけられずにいる。それでも、せめて仲間として並び立てたらと、ウサキの後を駆け足で追った。

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