CHAPTER6:Conviction are more dangerous enemies of truth than lies.(7)

 そこからはこれまでの激戦が信じられないほど穏やかに、事が運んでいった。

 百舌たちはメンテナンス用のハッチから展望フロアへと侵入。メインサーバーのある部屋へと向かい、遠隔で参加するアスマとヨクでセキュリティの解除コードを直接打ち込む。丸裸になったシステムから停止コードを抜き出し、これもまた直接に入力。

 展望フロアへの侵入からここまで、一五分にも満たない間の出来事だった。

 そして共同体社会が成立して以来初めて、その平穏が大きく揺らいだ。

 まず都市が、〇・〇四ミリの厚さに閉じ込められた世界が書き換えられていった。

 より正確には〈パラサイト〉がエラーを起こした。最適化された幸福に不必要だと覆い隠されていたものが突然に露わになり、あるいは人々が頼りにしていた情報が霧散するようにノイズとなって消えた。

 人々は何も選ぶことができずに呆然と立ち尽くし、あるいは生々しい世界の有様に恐れをなしたように、どこへ向かうわけでもなく逃げ出した。

 あるいは〈パラサイト〉のエラーなどあり得ないと、混乱した人々は盲目的にアクセスを増大させた。旧トウキョウタワーの停止によって全体の処理能力が落ちているにも関わらず、通常通りの負荷がかかれば他のサーバーにも影響が出た。

銀色の翼イカロス〉が投じた一石は大きな波紋を広げながら、瞬く間に混乱を東部都市圏一帯に波及させていった。

 そんな構成員たちに生じた混乱のうねりを象徴するように、都市のあちこちで交通事故が起きた。自動運転、あるいは手動であっても〈マーキス〉の判断に運転を委ねていた人々はブレーキを踏むことすらままならず、前の車輌に猛スピードで突っ込んだ。

 夜間であったことで交通量は少なかったものの、事故は次の事故を呼び、東西南北どこを見ても煙が立ち上っていた。

 さらに百舌たちは追い討ちをかけるようにルーインネットとグローバルネットの両方にデマを流布した。ドローンの過剰増加が〈パラサイト〉の処理に負荷をかけ過ぎたらしい。善良かつ聡明な構成員はすぐにドローンの破壊に向かえ、と。

 構成員たちには正常な判断力はなかった。元々はあったはずのそういったものは、全て〈マーキス〉に奪われてしまっていた。自らの行動を、自分以外の何かに委ねることが当然だった。

 人々はデマに疑問を抱くこともなく、傘やバールなどの工具、金属バットなどを手にして街へと繰り出した。〈マーキス〉という制御機構から一時断絶され、路上で立ち往生しているドローンに人々は容赦なく牙を剥いた。

 旧トウキョウタワーの停止から三〇分と経たずして、東部都市圏は混乱と狂気、そして暴力に溢れかえった。


「あっけねえ……」


 アクタは件のマンションの屋上から、呆然と街を見渡し呟いた。視界の奥では、停止とともに纏っていた淡い光を失った旧トウキョウタワーが夜の闇のなか墓標のように聳えている。

 隣りでは柵に寄り掛かるようにしてリクも同じ光景を見渡している。同じ光景を見ていたが、きっと考えていることも思っていることもアクタとは違うのだろう。


「あくまで一時的だ」


 背後で百舌が言った。既に〈銀色の翼イカロス〉のメンバーたちは退却しており、ここに残っているのは百舌とアクタたちの三人だけだ。


「〈マーキス〉の情報網は複雑かつ巧妙だ。旧トウキョウタワーは確かに要衝だが、それだけで全てを破壊することはできない。この混乱も、せいぜい半日も経たず元通りになる」


 ついさっきまで苛烈な戦闘に身を置いていたと思えないほどに百舌の低い声は落ち着いていた。リクは振り返ることなく、広がる混乱を目に焼き付けるように凝視したまま後ろの百舌へと問いかける。


「こっちの消耗は?」

「まだ未確定だが、およそ四〇パーセント強といったところだろう。ワイヤーワームの登場を、〈マーキス〉が俺たちに殺意を向けてくると、予期できていなかったとは言え、皆よくやってくれた。ヒナキ、お前も含めてだ。はみ出した分は俺の落ち度、見通しの甘さに他ならないだろう」

「そう」


 リクは聞いておきながらあまり興味なさそうに言った。アクタはそんなリクの横顔と、屋上の中心で立ち尽くしている百舌を交互に見やった。


「それで、どうだろうか。俺たちにはこの社会と戦う意志がある。戦うための術がある。俺たちは本気だ。必ずや〈マーキス〉を打ち倒し、社会を、意志を、そして生きることを、俺たち人間の手に取り戻す。それにはお前たちの力がいる」

「おれたちは所詮ただの高校生だ。そんな力なんてない」

「ただの高校生が仮にも〈マーキス〉のシステムである旧トウキョウタワーの管理権限にイメージクラッキングなんて仕掛けられるか? 笑わせるな。お前のそれは、もう普通の範囲を大きく越えている」


 ここまできてもまだアクタは抵抗を試みたが、百舌に一蹴される。百舌の言っていることは明らかな正論で、反論の余地はどこにもなかった。


「ぼくはどうして?」


 リクが訊ねた。百舌は明らかにアクタよりもリクを仲間に引き入れることに執心しているようだったが、アクタもその理由は分からなかった。確かにリクは誰よりも聡明で、真っ直ぐな意志を持っている。だが百舌がそんな曖昧な理由で他人に価値を見い出したりするようにも思えない。


「〈銀色の翼イカロス〉は大きな組織になった。俺は確かに傭兵経験があり、戦闘においてはスペシャリストだと自認もしている。だが所詮、雇われ兵士だ。共同体の外を知っている分、奴らには俺が眩しく映るかもしれないが、そんなものは虚栄はりぼてだ。俺は本来的な意味で、〈マーキス〉を憎悪はできないだろう。無論、俺が抱く違和感が嘘だとまでは言わないが、本質だとも思わない」


 百舌は淡々と言葉を放つ。リクは相変わらず背を向けたまま、だがしっかりと百舌の言葉に耳を傾ける。


「いずれ必ず、必要なときがくる。この共同体により深く根ざし、〈マーキス〉を誰よりも深く知るがゆえに〈マーキス〉を誰よりも激しく憎悪できる人間が。そういう人間こそ、人の意志を賛美するカリスマたり得ると、俺は思う」

「それがぼくだって?」

「そうだ。お前は知っている。〈マーキス〉が統べる共同体の光も闇も。そして人の意志の強さも脆さも。だから問うて、ここまできたんだろう」


 沈黙が降りた。

 奇妙な時間だった。広がる街では喧騒に満ちているのに、まるでアクタたちが立つこの場所だけが混乱から切り離されたように静かだった。緊張して心臓は早鐘を打っているのに、どこか気持ちは穏やかで、遠くを眺めるリクの横顔に触れたいなどと場違いなことを思ったりした。

 長いようで短いような時間。

 やがてリクが百舌を振り返った。


「随分と買ってくれてるのは理解したよ。でもぼくらが求めるものは、どこまでいってもぼくと、アクタのなかにしかない。ぼくはフリーターたちを率いたりしない。それでもいいかな?」

「ああ。それがお前の意志だというのなら構わない。それに、真のカリスマは誰かを率いたりしないだろう。たったひとり孤独に歩んだ道に、俺たちのような凡人が続くんだ」


 リクが進み出る。百舌も前に出る。そして同時に差し出した互いの右手を、そっと握り合う。

 アクタにも異論はなかった。後戻りはできないと分かっていたし、何よりリクと選択をともにすると決めていた。

 だがそれでも。目下の街を振り返ったアクタは期待と興奮と同じだけ、不安と恐怖を抱いていた。そしてそれらに気づかないように、固く目を閉じて蓋をした。

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