CHAPTER6:Conviction are more dangerous enemies of truth than lies.(6)
「デカい貸しだ。忘れるなよ」
アクタはふてぶてしい声音で言い放つ。アスマが通信を切ったことをしっかり確認し、やがてアクタは全身に張り巡らされていたものを一気に吐き出すように、深く息を吐いた。
「はぁあああ……まじで危なかったあああっ!」
半ば叫ぶように言って、アスマが差し出していたタオルを引っ手繰る。全身を濡らす大粒の汗を拭きとっていく。そして自らの成果を用心深く確認するように、モニターへと視線を移す。
施設内を映す全ての映像で、雨が降っていた。もちろん屋内なので正確には雨ではなく、火災を始めとする災害に対応するために設けられていた火災報知器の
「あそこまでの芸当は初めて見たぜ……」
アスマが圧巻と言わんばかり絞り出したように言い、ついさっきまでとは打って変わった尊敬とか憧憬とか嫉妬とかの入り混じった奇妙な視線を向けていた。
「俺だって、あんな無茶は初めてだよ。もう2度とやりたくねえ。っていうか、やれって言われてもできねえと思うけど」
アクタが成し遂げたのは旧トウキョウタワーの管理権限に対するイメージクラッキング。〈メーティス〉のサーバーへ侵入するのと比較しても、圧倒的に高難度のクラッキングだった。
百舌が送ってきたワイヤーワームの情報には、単純明快な運用不可条件が記されていた。それは雨天。分子機械一つ一つよりも大きな雨粒が触れることによって結合が阻害され、浮遊さえできなくなってしまうのだ。
もちろん屋内には雨が降るはずもなく、施設内のワイヤーワーム全てを一瞬で沈黙させるためには堅固なプロテクトに守られている管理権限の一部を強奪し、放水装置を誤作動させる必要があった。
百舌が目論見、アクタが成し遂げた大掛かりな起死回生の一手は、果たして成った。そして各映像のなかで、〈
圧巻は百舌だった。負傷したウサキとヨクを庇いながら、たった一人で優に20は超える〈ネメア〉を相手取り、その尽くを鉄拳で粉砕していった。瞬く間に室内はスクラップ場へと変わり、3人は展望フロアを目指して階を上っていく。
アクタは間断なく切り替わり続ける映像のなかにリクの姿を探す。アスマにリクを探すよう頼んだが、アスマもアスマで状況の立て直しと戦局の整理を早急に行わねばならず、半ば口論になりかけて終わる。
リクを探すため、自分も旧トウキョウタワーへと出向いたほうがいいのではないかと、そんな途方もない考えが脳裏を過ぎったとき、アクタがさっきから繋ぎ続けている〈ランデブー〉にようやくリクが応答した。
「『――リク、無事かっ? てか一体何考えてんだよおめえっ!』」
入力音声だけでなく実際の声に出してしまったが、既にアスマはドローンの遠隔操縦へと戻っており、アクタの声は耳に入っていないようだった。あるいはまだ仲間ではないリクには興味がないのかもしれない。
『今、実際にも喋ってたよね』
『んなことはいいんだよっ! 無事なんだな?』
声は聞こえなかったが、リクが笑いを押し殺しているのが想像できた。無事かという問いについては、アクタをからかうような間が置かれた。
もちろんこんなやり取りをしている時点で、リクの命に別状がないことはアクタも理解している。だが理解していても万が一というのはある。確認しないままではいられなかった。
『大丈夫だよ。血の一滴すら流してはいないよ』
アクタは魂を吐き切るのではというような、深い安堵の溜息を吐く。
『心配させて悪かったね。でも、居ても立っても居られなかったんだ』
入力され、機械的に合成されただけのリクの声には、それでも分かる憎悪と憤怒が滲んでいた。アクタは思わず気圧されて息を呑む。
『〈マーキス〉はぼくらを軽んじた。命を篩にかける合理性と計画を、〈マーキス〉自身の価値を、ぼくは問いたださないといけない。……アクタ、君も来るだろう?』
アクタはその言葉に、根源的とも言える恐怖を感じた。もう社会に疑問を抱き、その胸の奥で小さな反抗心を研いでいたリクはどこにもいないのだと理解した。リクは今、混じりけのない怒りをもって、共同体社会と戦うことを選ぼうとしているのだと悟る。
一方のアクタにはもう、選べるだけの選択肢はなかった。〈CLASS1〉へと落ち、帰る場所を失ったからだけではない。これまでなんとなく、手を引かれるままに歩いてきた道が、アクタの選択を奪っていた。
『〈マーキス〉はきっと知らない。命が奪われるということの意味を、それがもたらす津波のような感情と痛みを。意志を奪われ、その人生を弄ばれ、今度は命という最後の価値さえ踏み躙られる。そんなこと、耐えられるかい?』
もうアクタには、リクが何を言っているのか分からなかった。それはどうしようもなくリクだったけれど、アクタがよく知っていると思っているはずのリクではないような気がした。
それでも、やはりアクタには差し伸べられるその手を取ることしか、できることがなかった。
†
轟々と風が吹いていた。
施設最上階から遥か上空へと続く、淡い黄色の螺旋階段。
随分と上ってきたからだろうか。吹き荒ぶのは晩夏の生温い風ではなく、肌に突き刺さるような本来の冷たさを取り戻した風だった。
寒さを感じないのは気のせいではなく、背負ってくれている百舌の体温がしっかりと感じられるからに他ならない。
「気にするな。お前はまだ必要だ。あそこに置いていくことはできない」
足手まといになってしまったことへの後ろめたさが伝わってしまったのか、百舌が前を見たまま言った。百舌は情では動かない。それは心がないからではなく、その冷徹さが組織を率いる人間には必要だから。そしてまだ必要だと、百舌の口から言ってもらえるそのことが、ウサキの心理的負担を僅かに軽くしてくれる。
街は遥か下方に見え、眩いばかりのライトは宝石箱をひっくり返したかのよう。きっとこの凄まじい風さえなければ、全身を苛む激痛さえなければ、お伽話に出てくるような王宮の階段でも上っているような気分になれたのかもしれない。
「11時! 上方55度! きてますよっ!」
ヨクの声が一瞬にしてウサキを現実へと引き戻す。見上げた視線の先には、複雑に組み合わされた鉄骨の間を縫いながら、ウサキたちの歩く螺旋階段へと迫る鋼鉄の鳥。〈ネメア〉が対地用の防衛ドローンであるならば、この〈ステュムパリデス〉は対空の防衛手段と言える。
ウサキは辛うじて動く右腕でネイルガンを構え、ほんの一瞬で照準。――
何とか命中させたことに、ウサキは胸を撫で下ろす。
だが安堵している暇はない。次々と迫る〈ステュムパリデス〉の方向を、ヨクの悲鳴じみた声が知らせてくる。ウサキは百舌に背負われたまま息を吐き、僅かに身体を起こして引き金を引く。
全弾を撃ち尽くし、ウサキは使っていたネイルガンを放棄。抜く手も見せずに百舌の腰のホルスターに収まっていたネイルガンを抜き、〈ステュムパリデス〉を撃ち落としていく。
既に三人は満身創痍。たとえ釘一本であっても無駄にはできない緊張感が走るほど、残っている装備も心許ない。だがヨクとウサキの連携は一朝一夕のそれとは思えないほどに、綿密かつ円滑だった。
先のワイヤーワームとの戦闘で利き腕である右手の指を失ったヨクが僅かに先を行きながら索敵。飛来する鉄鳥の方向と飛翔角度を算出してウサキへと伝える。左腕と両脚を負傷しているウサキは百舌に背負われながら、ヨクの索敵に従って〈ステュムパリデス〉を撃ち落とす。
単調だが油断のできない状況が神経をすり減らしていく。〈ステュムパリデス〉は不安定な飛行型のドローンであり、翼部にさえダメージを咥えられればそれほど脅威ではない。だが高速で飛んでいる物体に、しかもある一部分だけを狙って狙撃し続けるのは相当な胆力をウサキに要求した。
その後も幾度となく足止めを食いながらも着実に階段を上がり続け、ようやく展望フロアへと辿り着く。
既に作戦開始から57分が経過。もう間もなく、FEC3に新しい一日が訪れようとしていた。
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