CHAPTER6:Conviction are more dangerous enemies of truth than lies.(5)
ウサキたち三人は開けた空間の中心で背中を合わせ、〈ネメア〉とワイヤーワームに対峙していた。不可視の刃に切り刻まれながらも、なんとかそれらを掻い潜って逃げていたが、とうとうワイヤーワームに追い詰められ、湧いて出てくる〈ネメア〉の群れに取り囲まれていた。
ウサキは一度〈ネメア〉を意識の外へと追い出し、僅かな手掛かりである高周波の羽音へと集中する。
〈ネメア〉の重低な駆動音に紛れて、ウサキの耳は確かにその音を捉える。
「七時の方向っ! 二時と三時! 上からも来るわっ!」
鋭い叫びを合図とするように、硬直していた両者が一気に動き出す。
ウサキは振り返りざま、最大出力にしたスタンバトンを振るう。掌を焼くほどの雷光が迸る。依然として姿を捉えることの難しいワイヤーワームは迸る電撃を回避しながら接近――ウサキの肩を浅く抉る。ワイヤーワームに付着した僅かな血を目印に、返す手首でスタンバトンを打ち下ろす。電子干渉によってワイヤーワームの分子結合が弱まって千切れる。
左から〈ネメア〉の突進。躱しきれず、ウサキの体躯が塵のように吹き飛ぶ。
ワイヤーワームの襲撃を受けたあたりから、それまで侵入者を無力化するだけだった〈ネメア〉の動きが明らかに激しさを増している。信じがたいことだったが、ワイヤーワームも〈ネメア〉も明確にウサキたちを殺すために差し向けられていた。
ウサキは吹き飛ばされた先ですぐに立ち上がり、外れた左肩を強引に嵌め込む。しかし上腕が折れているらしく、左腕は全く上がらない。
「上等だわ。それが本性ね、〈マーキス〉」
ウサキは獰猛に唇を歪める。腕が折れようと、脚が捥げようと、止まるつもりはなかった。自分という存在のために、革命を止めるわけにはいかないのだ。
防御の効かない左側からワイヤーワームの羽音。ウサキはほとんど身体を引き摺るように飛び退いて勘で回避。撓ったワイヤーが近くの柱を深く抉る。
ここまでの戦いで、ワイヤーワームは連続でものを切りつけられないことが推測できていた。おそらく超高密度で結合した
それでも次の斬撃までの間はおよそ八秒。それまでに打開策を――。
「がは……っ」
ウサキは思考が真っ白に弾け飛ぶような衝撃を受け、地面へと押し倒される。貫いた衝撃で肺から空気が絞り出され、か弱く情けない苦鳴が漏れる。
「――っうああああっ」
そして次の瞬間、追い討ちをかけるように四肢に圧し掛かったとてつもない重量にウサキは悲鳴を上げた。霞む視界で見上げた先、ウサキの四肢を踏みつけにして〈ネメア〉が立っていた。
ヨクは怯懦の声とともに頭上にスタンバトンを放った。同時に放たれたネイルガンの連射が姿の見えないワイヤーワームに向けて弾幕を展開。そのうち一本の釘が空中で舞うスタンバトンに命中。電気伝導率の高い金属製の釘に、スタンバトンの雷光が流れ込み放出。雷光はさらに連鎖するように空中を走り、釘の弾幕を一瞬にして稲妻の絨毯へと変えた。
ヨクには全くワイヤーワームの結合音は聞こえない。だからウサキが指示を出し、せめて攻撃してくる方向が分かっているこの瞬間が唯一ある反撃可能な機会だ。思考も武器もそれを扱う技術も、自分が持つすべてを惜しむことなく使い果たした、その結果はいかに。
果たして、何かが弾けるような音。ヨクはそれを、電撃によってワイヤーワームの結合が阻害されたのだと希望的に解釈した。たとえ呆れるような楽観視だとしても、ヨクの目や耳でワイヤーワームの状況を確かめる術はなかったし、もし結合が解けていなければヨクは数秒と経たずに死ぬ。だからこの場合、ほぼ願望とイコールの結果を事実と決め込むことは、最も合理的な判断だった。
別に命は惜しくない。革命のためなら、百舌と自分の理想のためなら、こんな命はいくらでもくれてやる覚悟が出来ていた。
だが同時に、生き残り続けることは死ねない理由を増やしていった。死んでいった仲間たちの意志。ついぞ叶うことのなかった誰かの願い。
ヨクは背負っていた。いや〈
ヨクたちフリーターは疎まれる。自由というありもしない夢を見て社会からはみ出し、募り続ける不満や怒りを溜め込みながら、いつそれらが溢れ出すかも分からない。自分自身の自由だけが尊いものであり、他人などどうなったって構わない。
もちろんそういうフリーターがいないわけではないだろう。だが少なくとも〈
果たされなかった仲間の意志を背負い、その死を悼み、それでも自分の意志で前に進む。背負ったものに圧し潰されそうになることもある。あまりに受けた哀しみが見定めたはずの道を見失わせることもある。楽しいことだけじゃなかった。むしろ失い、苦しむことのほうが多かった。きっと整えられた道を計画に沿って淡々と歩み続けるだけでいたほうが、〈マーキス〉を信奉しているだけのほうが、いくらか幸せだったのだろう。だがそれでも。否、それこそが――。
「私たちの生き様なんですよっ!」
〈ネメア〉の突進を紙一重で躱し、すぐに体勢を整えてネイルガンを再装填。引き金を引く。だが釘が放たれることはなく。
代わりに切断された銃身と、右手の四本の指が、ヨクの視界の真ん中を舞っていた。
二時と三時の方向から迫るワイヤーワームには百舌が対応。見えない刃に対峙しながらも不敵に笑みを浮かべる。眼帯を乱暴に剥ぎ取れば、右眼窩に現れるのは乳白色の義眼。ほんの一瞬だけ複雑な波模様が義眼に走り、百舌の脳が焼き切れるほどに思考を加速させていく。
48式
義手と同じく特殊炭素繊維と高度演算マイクロチップを内蔵し、視神経を通して脳への直接干渉を可能とした義体技術の最高峰。そしてそれは処理可能な情報量を常人の何十倍にも膨れ上がらせると同時、脳の全域を異常活性させる。そのせいで百舌の体感する時間は引き延ばされたように感じられ、さらに空気中の埃一つ一つまで認知が可能になる。
それらは死に瀕した瞬間に見る〝走馬灯〟に酷似しているらしい。そのせいでずっと昔に属していた野戦部隊では〝
「行くぞ」
呟いた百舌には既に、ほんの微かにではあったが見えていた。真正面と斜め右の二方向から飛来する、1メートル程度の細い糸。
百舌は地面に倒れ込むように、ゆらりと投げ出した重心の移動に合わせて前へと足を動かす。揺らめくような動きのなかでワイヤーワームの斬撃を掻い潜り、伸ばした左手でその一本を掴む。
ワイヤーワームは即座に左腕へと絡みつき、そのまま腕を切り裂こうとするが金属同士が擦れる歪な音と火花が散るばかり。百舌はバックステップで跳躍。隙を突いて百舌との間合いを詰めていた〈ネメア〉に向けて、機敏な反転から左拳を放つ。
刹那、肘のガジェット内で炸薬が撃発。鍛え上げられた全身の体重を乗せて放たれる強烈な一撃が、内部機構の爆発によってさらに加速。
その威力はまるで砲撃。大音声とともに顔面部に取り付けられた盾が砕け、そのまま背骨じみた制御機構が背から捲れ上がる。当然握られていたワイヤーワームも衝撃で破損。〈ネメア〉の破片に混じって、分子機械の残骸が転がる。
ドローンに感情はない。いくら知性があったとしても、機械が感情を抱くことも、理解することもない。
それでもそれら――百舌に対峙していた〈ネメア〉とワイヤーワームは一瞬躊躇った。
怯懦を知らぬはずの機械でさえ、その圧倒的な暴力を恐れずにはいられない。
「来い。壊れるまで遊んでやる」
〈ネメア〉が機敏な動作で左右に展開。かと思いきや一気に間合いを縮め、堅固な盾で百舌の圧殺を目論む突進。百舌は高く跳躍して回避。〈ネメア〉同士が正面衝突して大音声が響く。百舌が跳んだ先に待ち構えるのはワイヤーワームの鋭利な刃。
「狙いは悪くない。だが――――」
百舌の左踵でさっきと同様の撃発が起こる。爆発の勢いで振り上げられた脚が鉈さながらに宙を走り、横一線で迫っていたワイヤーワームを完璧なタイミングで引き千切る。空中で逆さになった百舌は旋風脚の要領で身体を捻る。そしてもう一度肘のガジェットが撃発。炸薬の激烈な加速に加え、捻転と重力落下の勢いが上乗せされた打撃が〈ネメア〉の直上から叩き落とされる。
壮絶な衝撃波が駆け抜け、〈ネメア〉を貫いて地面までもが罅割れる。
圧倒的。一騎当千のその雄姿は、人の手で辿り着ける範疇を優に超えた御業だった。
だが人の域を超えた力である故に、百舌の肉体に強いられる負荷も想像を絶するものだった。
百舌がよろめく。全身からは玉のような汗が噴き出し、心臓はネズミのそれのように勢いよく早鐘を打つ。
義眼解放に百舌の身体が耐えられる時間は、元々でもおよそ5分にも満たない。FEC3に来てからはまともなメンテナンスさえできないので、その時間は刻一刻と短くなっている。現状では3分に少し欠けるくらいだろうか。
百舌は一度息を吐き切って呼吸を整える。義眼を一度、封印する他にない。
ワイヤーワームが見えなくなるのは痛手だが、義手と義腕による格闘戦術でも十分に戦える。数もだいぶ減った。ウサキとヨクもギリギリのところで踏ん張っている。問題ない。何としても切り抜けてみせる。
百舌は顔の汗を拭い、視線を上げて瞠目する。
問題ないはずだった。
「……絶対に、逃がさないって構えか」
対角線上にある2つの通路からぞろぞろと湧き出す〈ネメア〉。空中を行ったり来たりと浮遊し、いつの間にかあたりを埋め尽くすほどに増えたワイヤーワーム。
百舌たちが奮戦している間にも、〈マーキス〉は的確な迎撃態勢を油断なく配備し、盤上を整えていた。百舌の高い戦闘能力やウサキの索敵能力を鑑みた結果として、最も分厚い戦力がこの場所に集中されているのは、言うまでもない。
普通なら諦めて膝を折る状況。万に一つも勝ち目はないはず。
だが百舌は生き延びることを放棄はしていなかった。ここにいる3人、もう誰一人として欠けることなく旧展望フロアへ。
そんな百舌の願いを聞き届けたかのように、天井の火災報知器から一斉に水が噴き出した。瞬く間に部屋全体が水浸しになっていく。
「……お前なら、やってくれると思っていた。ヒナキ」
『デカい貸しだ。忘れるなよ』
救いの雨をもたらした少年の声が、凛とした響きを湛えて百舌の耳朶を打った。
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