CHAPTER6:Conviction are more dangerous enemies of truth than lies.(2)

 蒸し暑い夜。煌めくホログラムや街灯の明かりよりも、よりいっそう眩く浮かぶ、黄金の鉄塔。かつてトウキョウタワーと呼ばれていたらしいそれは穏やかな夜に聳えている。

 共同体の成立以前は赤色だったらしい巨大な電波塔は、その色が攻撃性を助長する過激な色彩であるという理由から淡い黄色に塗り替えられた。さらに観光地の一つであったそれは、今では足元にドーム状の建造物が築かれ、何人も寄せ付けない要塞じみた姿になっている。

 窓越しに見える、今は名もない鉄塔にアクタは深呼吸を繰り返す。

 リクも同じ場所での待機を命じられていたが、眺めがいいという理由で一人屋上に上がっている。だから事実上の司令室である借り上げたマンションの一室にはアクタと、もう一人――アスマしかいない。


「そう緊張すんなよ。お前はただ見てるだけ。何もすることはねえんだからよ」


 傍らで時代錯誤なノートPCをいじっているアスマが軽い調子で言った。口調こそ人見知りの子供をあやすように親しげかつ軽妙だったが、その目はまばたきすることなくモニターを注視し、指は恐ろしいほどの速さで蠢いて操作盤コンソールを叩いている。

 アクタが身につけた特技であるイメージクラッキングとは根本から異なる技能ではあったが、ハッカーとしてのアスマの優れた手腕を、アクタは理解する。

 アスマのPCからはクラゲの触手のように無数のコードが伸びていた。それらが入り乱れる様は〈メーティス〉の地下奥深くにあった〈トーカ〉の部屋の外観を思い起こさせた。だがその規模や性能は比較するまでもなく、あれに対抗する手段がこのノートPCというのはどうにも心許なく感じられる。

 それなのに、アスマはタイピングのリズムに合わせて口笛を吹き出す始末。彼が決してふざけたり手を抜いたりしているわけではないことは分かっていたが、緊張感と無縁なその態度にアクタは他人事のはずなのに苛立ちを覚える。


「随分と余裕そうなんだな」

「ん? 俺っち? そう見える?」

「だいぶ」

「ならそうかもな。天才ハッカーである俺っちは、いつだって余裕だから」


 アスマは顔も上げずに白い歯を見せる。アクタは眉を顰める。


「この作戦、どう考えたってあんたの出来次第だ。仲間の命が、懸ってるんだろ。もっと、なんかさ、責任とかプレッシャーとか、そういうのないのかよ」

「そんなもん背負ったって、別に力が湧いたりはしねえよ。そういうのはマンガや映画だけで十分だろ。それに、俺っちも含め、百舌もウサキもあいつもこいつも、みーんな覚悟はしてんだよ」


 相変わらずの軽い語り口。だが意味する言葉は重かった。


「理想を目指すってのは、あるいは何かを願って求めるってのは、そう易しいもんじゃねえんだっつう話だ。死ぬかもしれねえ。人生破滅かもしれねえ。でも、たとえどんな大きなリスクを背負ってでも、欲しいと思っちまったんだから仕方ねえだろ? 〈銀色の翼イカロス〉に集まってる奴らはな、少なくともそういう覚悟はとっくに済ませた奴らなんだよ」


 勢いよくエンターキーを叩く。ノートPCから伸びるコードの先、八枚のモニターにそれをさらに四分割した映像が映し出される。四角く切り取られた映像は全方位を網羅するように淡い金色の鉄塔が映し出される。

 計三二機の旧式ドローン。完全な自立型ではなく、コンピューターからの適宜操作が可能な半無人機。それら全てをたった二本の腕で操り、広大な戦況の全てを把握。限りなくリアルタイムの戦局を、指揮官である百舌へ伝える〈銀色の翼イカロス〉の中枢ブレイン。――それがアスマに課せられた役目だった。


「さ、お喋りはこのへんにしようか。時刻は二三〇〇ふたさんまるまる。予定通りに作戦開始ショウタイムだ」


 ドローンのカメラが捉える映像の隅で、あるいは真ん中で、一斉に漆黒の影が動き出した。


        †


 構成員の生活必需品である〈Personalized SIGHTパラサイト〉は装着と同時、人間が体内に抱える微弱な電位を感じ取って起動される。稼働状態オンラインにある〈パラサイト〉は街中に付与された電子情報や光情報を読み込み、〈マーキス〉のデータベースに登録された情報を照合し、ほとんどラグ無しで拡張現実として視界に表示をする。共同体それ自体が、巨大にして膨大な一つのネットワークなのだ。

 つまり人が目を開き、何かをその視界に収める以上、共同体では絶えず目まぐるしいほどの情報が駆け巡っていることを意味する。そして行き交い、溢れるほどの情報と、示される〈マーキス〉の最適化が共同体で生きる人々から意志と思考を奪っていく。

 単なる破壊ではなく、啓蒙を是とする百舌が目を付けたのがそこだった。

 人間の生体電位で起動される〈パラサイト〉に干渉クラックすることはほぼ不可能だった。膨大な演算処理――それこそ〈マーキス〉レベルの処理能力がなければ不特定多数の〈パラサイト〉に、しかも一斉に障害を引き起こすことなどできやしない。

 要は発想の逆転だ。

 見る側が駄目ならば、はどうか。

 情報を読み込めないようにするのではなく、情報が読み込まれないようにする。結果としてもたらされる現象はほとんど変わらないが、結果に辿り着くまでの過程には雲泥の差があった。

 旧トウキョウタワー。

 かつての展望フロア――地上二五〇メートルに位置する空間に、リアルタイムで更新され続ける情報のメインサーバーの一つがある。

 この制圧が、共同体に対して〈銀色の翼イカロス〉の仕掛ける反撃の狼煙だ。

 無論、展望フロアの制圧によってFEC3の全情報の表示が不可能になるわけではない。メインサーバーはいくつかに分散され、絶えず人の手の介在しないメンテナンスを繰り返しながら、共同体を堅固に、そして豊かに保っている。

 だがこの東部都市圏一帯では最も重要度の高いサーバーが旧トウキョウタワーであることも間違いなかった。

 作戦が無事に成就すれば、〈マーキス〉とて無傷ではいられない。


「七秒後、通路を抜ける。三時方向から敵ドローン二機。――〈ネメア〉と推測」

「「「了解」」」


 百舌の指示にウサキは応える。同じ班の仲間たちの声が重なる。

 ウサキは百舌とともに展望フロアを目指す班に配置されていた。最も苛烈であり、故に百舌に認められた精鋭だけが選ばれる四人一組フォーマンセル

 果たして百舌の指示通り、通路を抜ける。敵の姿を確認するまでもなく、既にウサキはネイルガンを抜いている。

 百舌は絶対だ。決して道を間違えないし、常に真実を見通している。もちろんそれは特殊な能力でも、〈マーキス〉のような超常的演算能力でもない。ごく普通の人間が持つ、経験に裏打ちされた推測と直感であり、百舌はその精度を上げることを決して惜しまない。手を伸ばせる全てを欲張りにも掻き集め、泥水をすするような必死さと氷柱を呑み下すような残酷さでウサキたちに指示を出す。だからウサキは自分の全てを、百舌の声に委ねることができる。彼の思想に命を預けることができる。

 引き金が絞られて撃発。撃ち出された釘は銃火で浮かび上がった防衛用の軍用無人機〈ネメア〉の頸部に命中。体勢を崩した〈ネメア〉は胴体と同じ大きさの不恰好な頭から壁に突っ込む。アスファルトの壁が豆腐のように砕け、粉塵が舞う。

 ウサキは目を閉じる。仲間の息遣いを、屑鉄どもの駆動音を、感じ取る。


「そこっ!」


 振り上げたスタンバトンがもう一機の〈ネメア〉の額を穿つ。金色の閃光が瞬く。一拍遅れて、ウサキが使っているものよりも数倍大きい釘が〈ネメア〉の背を貫く。

 ウサキは迷わずに床を蹴る。〈ネメア〉の額に押し付けたスタンバトンを支点に、空中で一回転。落下と同時、抜き放ったスタンバトンを背に刺さる釘目がけて振り下ろす。

 金色の閃光は、弾かれることなく〈ネメア〉の体内へ。駆動系を全て焼き切られ、〈ネメア〉が沈黙――床に崩れる。


「ふ……」


 一息吐くウサキに、太くて厚い手が差し伸べられる。


「全く常人離れしていやがるな。あの粉塵のなかでどうやったらあそこまで正確に動けるんだか」


 スキンヘッドに浅黒い肌。右側頭から頬にかけて刻まれた傷と、それを覆い隠すように彫り込まれた禍々しい翼の刺青タトゥー。肩に担いでいるのは後方支援専用に誂えられたバズーカ砲じみた特大の釘打ち銃パイルドライバー


「目に頼るだけでは駄目なの、チョウヂ。この作戦が無事成功して貴方が生き残ってたら、今の援護のお礼に少しだけ極意を教えてあげるわ」

「そう言って、お前が教えてくれたことあったか?」


 チョウヂが肩を竦める。微笑むと顔の傷がムカデのように蠢いて見える。

 ウサキがチョウヂの手を取って立ち上がると、少し離れた位置で重量のある何かが崩れ落ちる音。視線を向ければ、百舌が原型を留めなくなるまで粉砕された〈ネメア〉の前に立っている。握りしめた左拳から、滲み出る闘気を表すかのように濛々と白煙が上がっている。


「あっちのほうが常人離れ……いや、百舌はもはや超人か」


 チョウヂはもう一度肩を竦め、同意を求めるようにウサキを見下ろす。

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