CHAPTER6:Conviction are more dangerous enemies of truth than lies.(1)

 視線の先を上下左右に動き回る、様々なかたちのプレート。アクタはゆっくりと呼吸を繰り返し、吐き切ったところで止める。添えた左手。固い感触。スコープの中心に、右から平行移動してきた四角いプレートがかかる。

 刹那、右の人差し指に力を込めた。撃発と同時、両腕に伝わる鈍い感触。一方で鋭く放たれた釘はプレートの残像を縫い留めるように、何もない空間を貫いて落ちる。


「あーっ、くっそ」


 ゲームではあんなに上手くいったのに。アクタはネイルガンを乱暴に机に置いた。

 目を覚ましてから三日。まだ百舌の提案を受け容れたわけではなかったが〈CLASS1〉へと落ちたアクタたちは安易に帰ることもできず、〈マーキス〉の目から逃れた〈銀色の翼イカロス〉のアジトで世話になっていた。

 置いてもらう条件として百舌が提示したのが、訓練を受けること。とは言え想像する軍隊的なものではなく、ランニングや筋トレなどの基礎体力づくりと改造ネイルガンを用いた射撃訓練程度のものだ。ちなみにこの射撃場は元々駐車場だったものを作り替えたものらしい。

 アジトには他に娯楽が全くないのでちょうどいい時間つぶしにはなったが、こうも上達しないと少なからず萎えてくる。


「へったくそね」


 後ろで吐き捨てるように言ったウサキを、アクタは振り返る。百舌直々の人選でアクタたちの指導役に任命されたウサキはパイプ椅子に腰かけ、偉そうに足を組んでいる。


「まず腕の力を抜こうとして肩に力が入り過ぎてるわ。それに当てようとしすぎて、引き金を引くときに銃口がブレてる。あと、おまけに呼吸のリズムが変。なんかもうとにかく変。どれくらい変かっていうと、二足歩行のクマとカエルが社交ダンスを踊っているくらい変」

「うるせえ、うるせえ! お前のほうこそ変なたとえすんな。余計分かりづれえわ」


 この三日、絶えず繰り返されてきた小競り合い。朝のおはようから夜のおやすみまで、徹底してウサキはアクタを嫌悪し、アクタはそれにきっちりと応え続けている。アジトの至る所で繰り広げられる軽口の応酬を、〈銀色の翼イカロス〉のメンバーたちは陰で〝夫婦漫才〟と呼ぶまでになっていた。

 そんな醜い言葉の乱舞を遮る、小気味のいい連射音。続いてほぼ同時に続く金属音が耳を劈き、放たれた釘が全て命中したことを知らせる。


「悪くはないわね、どこかの誰かと違って」

「なんだ? 喧嘩売ってんのか?」


 アクタはウサキに言葉を投げつけながら、隣りのブースを見やった。ゆっくり息を吐き、構えたネイルガンを下げたリクが視線に気づいてアクタのほうを向く。


「アクタは迷いすぎなんだよ。あれはただのプレート。もし実際に引き金を引く瞬間があったとしても、ぼくらが人を撃つことなんてない」


 リクは手にしたネイルガンをくるりと回し、机に置く。


「活動的なフリーターのそれは、破壊活動テロリズムというよりも啓蒙に近いと、ぼくは思うんだ。確かに社会に混乱は起きるし、犠牲がゼロというわけにもいかないだろう。でも血の流れない革命なんてない。ショック療法だよ。ぼくら構成員は、〈マーキス〉が築いた百数年の間に不感症になってしまったんだ」


 リクが広げた思想に、ウサキは頷いていた。どうやら彼女もリクには一目置いているらしく、アスマ曰く〝百舌以外手が付けられない〟ウサキも、リクに表立って歯向かうことはない。

 何というか、仕方がないとは言え、こうも扱いに差があるのは不平等だ。


「〈銀色の翼イカロス〉が牙を剥きたいのは、あくまで共同体という社会であって、そこに生きる人々じゃない。ネイルガンこれとスタンバトンを主な武器にしているのも、そういう理由なんだろう?」

「そうね。もちろん本物の銃器がないわけじゃないけど、流通させるのも大変だし高価たかいの。わたしたちは比較的力をもった組織だけど、それでも資金面は常にケアフルな問題よ」

「これだって無駄金だろ」


 アクタは箱に収められていた弾丸代わりの釘を手に取り、そして捨てるように机に放る。


「どういう意味よ?」

「こんな玩具でなんとかなるのかって話だよ」


 アクタはウサキを睨み、そしてリクへと視線を戻す。


「なあ、リク。いつまでこんなことに付き合うつもりなんだよ。いい加減にしよう。おれらはやり過ぎた。どう考えてもこれ以上は高校生の遊びじゃない。もうとっくに〝自由研究〟なんて笑い話じゃ済まなくなる」


 絞り出すように。願うように。アクタは言った。

 気持ちは分かる。ずっと不満を抱いてきた。自分の居場所はここではないどこかなのだと、漠然と感じて生きてきた。リクと〝自由研究〟はそんなアクタがようやく見つけた光であり、居場所だ。

 それにウサキたちがフリーターだと知ったとき、アクタだって興奮した。共同体に、〈マーキス〉に、ずっと自分を閉じ込めていた鳥籠と鎖に、強烈な一撃を見舞うのだと。確かに手に入れた自由に、これ以上ない達成感を抱いた。

 だがここからはどうだ。

 彼らの志す革命が本当に成し遂げられるのか。答えは頭をこねて考えるまでもない。否だ。絶対に成功しない。

 何故なら、アクタは知ってしまったから。

〈マーキス〉は如何なる誤謬さえ呑み込み、取り込み、自らの糧とする完璧なシステム。万一つの狂いもなく、つまり〈銀色の翼イカロス〉の羽ばたきは彼らに届かない。こんな釘は、女神の喉元に突き付けたところで無意味なのだ。


「……怖いのかい?」


 長い沈黙を経て、リクが静かにそう言った。


「君は〈マーキス〉に畏怖を抱いている。その完全な無謬性に。だけど果たして本当にそうだろうか。所詮は〈マーキス〉だって人が作った代物だ。ならば不完全で然るべき。事実として〈マーキス〉にはぼくらの感情を理解できない。魂を、計量できない」

「でもきっと、奴はいつか克服してくる。そのための〈メーティス〉なんだろ」

「似てると思わないかい? ぼくらが自由を奪われる前の、考え悩み生きていた、大昔の人たちに」

「は? 何が似てるって」


 唐突な問いの意味も意図も汲み取れず、アクタは眉を顰めた。


「〈マーキス〉だよ。現状の問題に直面し、より善いものを目指して思考する。全てを〈マーキス〉に誂えてもらうぼくらにはないものだけど、昔は誰もが当たり前にそうだった。それに〈マーキス〉は似ている」

「それがどうかしたってのか?」

「笑えてくるでしょ。ぼくらが神と崇める〈マーキス〉がやっていることは、その昔人が捨ててしまった試行錯誤トライアンドエラーっていう思弁と行為なんだから。つまりね、恐れるに足らないってことだよ、〈マーキス〉なんて。あれは全知全能でも、完璧な統治機構でも、ましてや神なんかであるはずがない」

「じゃあ、何なんだよ」


 同じもの《トーカ》を見てきたはずなのに、まるで違う感想を抱くリクに、アクタは訊く。リクは微笑んで手招きをする。アクタは机に乗り出し、リクへと顔を寄せた。近づけられたリクの唇から、温かな吐息が頬にかかる。


「〈マーキス〉はね、――――――」


 アクタはほとんど反射的に顔を離し、驚愕の眼差しでリクを見る。


「おい、どういうことだよ」

「まだ仮説。まだ推測。でも確かめてみる価値はあるだろう? ぼくらがここにいて、〈銀色の翼イカロス〉に協力すれば、きっと辿り着ける。ただ仲間になるんじゃない。彼らの思想に心酔するんじゃない。使うんだよ、ぼくとアクタ。二人の選択のために」


 リクはゾッとするほど穏やかな笑みを浮かべる。まるで世界など、掌で弄ぶための玩具だと思っているような、そういう理解の範疇を越えたものが垣間見える。

 先の沈黙とは違う、息苦しいような気まずさが広がる。

 逃げ出したくなるような時間に終止符を打ったのは、射撃場にやってきたアスマの剽軽な声だった。


「よお、やっぱここにいたか…………ってどうしたよ?」

「さあ? 巣立ちの練習、かしらね」

「巣立ち? まあよく分かんねえけど、ンなことよりも百舌が呼んでる。全体でブリーフィングだそうだ」


 アスマの言葉に、ウサキの纏う空気が一気に緊張感を増していった。張り詰める空気にその身を切り裂いていくように、その唇に獰猛な笑みを刻む。


「ようやくね」

「ああ、待ちくたびれたぜ」

「何を始めるんだい?」


 少ない言葉で共通の理解を得る二人に、リクが訊ねる。


「決まってんだろ。狼煙を上げるのさ。お前ら二人には、まず目撃者になってもらう。俺っちたちが目指す革命が無理かどうかは、それで判断しろってよ」


 アスマとウサキは速やかに踵を返し、リクもそれに続く。射撃場の入り口で、リクが立ち尽くすアクタを振り返る。


「行こう、アクタ」


 まるで氷の一本道の上にでも立っているような気分だった。歩いてきた道は自重で罅割れ、進む以外には身を投げて全てを終わらせるしかない。


「わかった。今行く」


 アクタは己の無力を噛み締める代わりに拳を握り、リクたちの背を追う。

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