CHAPTER5:Beyond a certain point there is no return. This point has to be reached.(5)

 アクタたちが無事に乗ったことを確認するや、トラックが急速にバックして公道へと躍り出た。アクタは初めて経験する人間による無茶苦茶な運転に、身の危険を感じて壁にしがみつく。ウサキは揺れるコンテナのなかでも平然としている。呼吸の一つさえ、全く乱れていない。


「くそ、ふざけんな、何なんだっ」


 アクタの嘆きは当然のように無視される。代わりに、ウサキは奥へと進み運転席に繋がる小窓を勢いよく開けた。フロントミラー越しに、赤毛の青年の顔が見えた。


「助かったわ、アスマ」

「いいってことよ。まあこっちも、いきなりハウンドの襲撃を喰らった。仕方ないから突っ込んでお前ら拾うしかなかったんだよっ。ったく、やっぱり読まれてやがったぜ!」


 呼びかけられた赤毛の青年は、慣れた手つきでハンドル操作を続けながら応答する。もちろん手つきは慣れていても、運転の得手不得手と話は別だ。大きくコンテナが揺れ、積んであった木製のケースが崩れた。


「だから反対だったのに」

「ンなことはあいつに言えよ! 俺っちらの動きが〈マーキス〉に見透かされてんのはある程度分かり切ってることだろ?」

「まったく最悪な気分ね」


 ウサキがアクタを睨みつける。向けられる嫌悪の意味がまるで理解不能だった。

 衝撃――。トラックが何かを弾き飛ばした。アクタはコンテナの壁に思い切り背中をぶつけ、呼吸が止まる。咽返って胃液を吐き出す。何も食べてなくて良かったと心底思った。


「くそっ! しつこいぜ! ウサキ、なんとかしろ!」

「命令しないで」


 ウサキは言って、床に転がった木箱を開けた。信じられないことに、中には禍々しい形状の機関銃が入っていた。およそ少女が抱えるには大きすぎるそれを、ウサキは軽々と抱えた。


「安全運転で頼むわね」

「無茶言うな!」


 ウサキが一方的に告げ、コンテナの扉を開け放つ。雨が一気に吹き込んできて、アクタは思わず目を瞑る。

 計画された安全と幸福を提供していたはずの街の景色は一変していた。

 見える範囲に、人は散って逃げたように皆無。ところかしこから緊急避難のアナウンスが聞こえ、構成者たちの不安を表したような騒めきが感じられる。

 そして何より、乗り捨てられた車を躱しながら、トラックを追ってくる異形の無人機たち。

 何か既知の生物に形容するならば鈍色の豹の様。しかしながら頭は無く、流線型の胴体が四本の脚を巧みに動かして走っている。尻尾に見立てられる部位は背骨をなぞるように跳ね上げられ、まるで戦車の砲台のようにこちらを向いている。

 警備用ドローンに追い駆けられるのは既に〈メーティス〉にて経験済みだが、共同体らしい色と滑らかなフォルムを維持する警備用ドローンとは、まるで何から何まで違う。まさしく人を追い詰め、恐怖を抱かせることを計算して作られたような、精密な威圧感がある。


「追跡用軍事ドローン。通称でハウンドと呼ばれてるわ」


 唖然とするアクタの様子など気に掛けず、ウサキは淡々と言う。


「ちなみにあの尻尾は電磁パルスの射出装置ね。このトラックはガソリン駆動だから心配ないわ」

「…………」


 ウサキは純白の髪を靡かせ、機関銃を構えた。その耳にはイヤホン。音楽でも聞こうと言うのだろうか。


「耳」

「……は?」

「耳、塞いでたほうがいいわ」


 そして、アクタの両掌が耳を抑えるより先、ウサキは引き金を引いた。

 アクタは全ての音がたった一つの音に掻き消されると、それを無音に等しく感じるということを初めて知った。あるいは鼓膜が破裂したのかもしれない。とにかく凄まじい轟音と眩い銃火がアクタの感覚全てを蹂躙した。

 ウサキの放った弾丸が、文字通りばら撒かれた。精密な点としての射撃ではなく、ところかまわず破壊することを厭わない面としての掃射。

 乗用車のボンネットを蜂の巣にし電気系統に引火――爆炎が巻き起こり、鉄の猟犬を呑み込む。また別の銃弾は幸運にも猟犬の前脚をぶち抜く。一機が転倒。巻き込まれるように後ろの機体も転倒。高速機動ゆえに衝撃に耐えられず、地面を抉り装甲が砕ける。

 それは破壊の狂騒曲だった。人が消えて尚、秩序だっている様を保っていた街並みは、たったの数秒で化け物が蹂躙した後に変わった。

 一〇〇発など優に超える弾丸を吐き切って、銃口が煙だけを垂れ流した。

 しかしそれでも猟犬たちの半数近くが、銃弾の嵐を凌いでいた。


「まだ残ってるぞ!」


 アクタは叫ぶ。その機械の異形は、捕まればタダでは済まないと感じさせるに十分な威圧感と獰猛さを纏い、トラックへと追い縋る。


「分かってるわ」


 ウサキはイヤホンを外し、例の漆黒の棒を構える。機関銃に弾を装填しないということは、きっともう銃弾のストックがないのだろうとアクタは理解する。つまりもう為す術がない。


「アスマ、なんとか振り切れない?」

「無茶言うな、エンジン吹っ飛びそうなくらい走らせてる!」


 ハウンドの一機が跳び上がり、コンテナの縁に爪を突き立てる。ウサキがスタンバトンを叩きつけてハウンドを突き落とすもジリ貧に変わりはない。

 ハウンドは狩りをするようにトラックに並走。トラックもハンドルを切って応戦――側面で圧し潰し、体勢を崩したところをすかさず巻き込んで轢いていくも多勢に無勢。左右の路地から次々と湧いてくるハウンドが数を減らす様子はない。


「来てる来てるっ!」


 アクタが叫ぶより一瞬早く、後ろにぴたりと張り付いていたハウンドが跳躍。スタンバトンを振るったウサキを吹き飛ばし、コンテナ内へと乗り込んでくる。


「ノックくらいしなさいよ!」


 ウサキはすぐさま立ち上がり、真正面からハウンドに向かっていく。少女の細い腕とは思えない膂力でスタンバトンが閃く。ハウンドの尾と打ち合い、激しい火花。暴発同然の凄まじい閃光がコンテナのなかを満たし、アクタとウサキの瞼を焼く。

〈パラサイト〉の光量調整が辛うじて効果を発揮し、アクタがいち早く回復。ウサキがハウンドに組み伏せられる光景が飛び込んでくる。比較的軽量なドローンとはいえ、決して軽くない重量がウサキの腕に圧し掛かり、骨が軋んで苦鳴が漏れる。

 ハウンドはあらゆる状況での対象の追跡を想定し、人間の目と同機能を果たす通常の視覚素子の他、熱線暗視サーモグラフィ動体検知モーションディテクション反響エコーなど様々な感知装置が搭載されている。ハウンドにとって、閃光は目晦ましにならないのだ。

 アクタは一瞬、コンテナの外を見やる。こうしている間にもハウンドは間合いを詰め、コンテナに乗り込んで逃亡者を制圧する機会を虎視眈々と伺っている。

 ここでの行動は、アクタの未来を大きく左右しかねない。今ならまだ、誘拐および拉致の被害者だと切に訴えることもできるに違いないからだ。


「くそったれがっ!」


 だが目の前で苦しんでいる少女を見捨てることはできないし、機械と人間どちらの側につくのかと問われれば、迷わず人を選べる人間でありたいというのがアクタの願望だった。

 気が付けば、アクタは立ち上がり、ハウンドの横っ腹目がけて飛び蹴りを見舞っていた。

 もちろん生身の打撃がダメージになるわけもないが、四足歩行という構造上、真横からの衝撃に対してバランスを取りづらいことは単純な物理の問題だ。

 ハウンドの身体が傾ぐ。その一瞬の隙、拘束の緩みをウサキは見逃さない。跳ねるように跳び起き、腰後ろから抜いたネイルガンをゼロ距離で腹に叩きこむ。もう一方の手は取り落としたスタンバトンを拾い上げ、金色の閃光を迸らせながら、釘が打ち込まれて僅かに歪んだ装甲の隙間へと一直線に突き上げる。

 雷光が轟いてハウンドは沈黙。ウサキは今まさにコンテナに飛び移ろうとしていた別のハウンドに向けて、その鉄屑を押し飛ばす。仲間の骸に巻き込まれ、ハウンドは転倒。さらに後続が巻き込まれ、転倒と破壊が連鎖する。


「よっしゃあっ!」


 アクタはガッツポーズ。しかしウサキの鋭い声が興奮に水を差す。


「まだっ!」


 見れば爆炎を切り裂き、残骸を踏み越え、無数のハウンドがトラックに追い縋っている。アクタたちの予想外の善戦に認識を改めたのか、さっきまでより明らかに速い。


「うあああっ、くそっ、まじか!」

「喚かないで、みっともないっ!」


 お前だって同じくらい叫んでんだろ、という反論を放つ余裕はなかった。

 代わり、後方――運転席から無理矢理に剽軽さを演じるような切迫した声。


「――お二人さん、夫婦漫才はそのへんに、どっかちゃんと掴まってろ」


 次の瞬間、突如として浮遊感が訪れた。

 ハウンドたちは急制動で止まるのが見え、アクタの視界が上にスライドしていく。コンテナが前に傾いているのだと理解した。それしか分からなかった。

 転がるように落ちていくアクタの身体が木箱を押しのけ、コンテナにぶつかると同時、爆発じみた着水の音。アクタは、今は底になったコンテナの壁に叩きつけられた衝撃で息を吐いてしまい、扉から押し寄せてくる濁流に備えることができない。

 呑み込まれる――。

 アクタは水に圧し潰されていく。息は出来ず、身体が軋んだ。

 結局何一つとして訳が分からないまま、薄れていく意識のなかで何かがアクタの手を掴んだ気がした。その安堵のせいか、アクタの意識はふつりと切れてしまった。

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