CHAPTER5:Beyond a certain point there is no return. This point has to be reached.(4)
従業員通路へ入ったアクタは、女の指示に従って清掃用具室へ向かう。もちろんどの方向に何歩進めば辿り着けるかという事細かな指図といつ暴発するか分からない銃の脅し付きで。
恐ろしいのはその間、他の従業員たちと誰一人としてすれ違わないことだ。偶然にしては出来過ぎていたし、計算の上だとすればあまりに悪魔的だ。
用具室に入ると、ようやく女が背後から離れた。アクタはつんのめりながら部屋の奥へとよろめき、正体不明の女に向き直る。突き付けられていたのは本当に拳銃で、離れても銃口はしっかりこちらを向けられていた。
女はアクタとそう年の変わらない少女だった。薄茶色の瞳に白い肌。身長はアクタよりもずっと低い。格好は量販店にあるようなパーカーにジーンズで、足元は履きこまれた古いスニーカー。異様なのは肩のあたりで切り揃えられた髪の色で、降り積もる雪よりも真っ白だった。
「なに?」
女は露骨に敵意を向ける。アクタは両手を頭上に上げ、無抵抗を表明する。
「いや、綺麗な髪の毛だと思って」
女はアクタを無視して入り口脇のロッカーを順繰りに開けていく。やがて座布団くらいの包みを引っ張り出して、それをアクタに投げて寄越す。
「それに着替えて」
アクタはビニール袋を開けて中を確認し、思わず咳き込む。どうやら清掃員用の作業服のようで、皺の入りなどを見るに誰かの使用後ではないようだったが、使い古しのモップや雑巾と一緒に保管されていたせいで、生臭い埃と黴の臭いがべっとり染み込んでいた。
「無理だ。臭え」
「撃つわよ」
「
アクタはリクから聞いた付け焼刃の知識で挑発する。もちろん効果はない。
「従順は構成者の美徳」
「あんた、フリーターだろ。そんな奴に構成者の美徳なんてねえだろ」
アクタも強気で反論する。女はアクタとの口論が時間の無駄だと判断したのか、信じられないことに顔色一つ変えることなくゴミ臭い作業服に袖を通し始める。意外なことに下着の色は黒だったが、あまりに躊躇なく自然な動作で着替えだすのでアクタには動揺する間もない。
女が着替えている間も銃は片手で隙なくアクタに向けらえていた。
「一体、何が目的なんだ? おれなんか攫ったって、大した身代金は出せねえぞ。そもそも親父は家にいねえしな」
「早く着替えなさい」
「だから、目的を言えって」
「いい加減にしないと――」
女が語調を強めると同時、アクタは低く駆け出す。一か八かの賭けだったが、女は引き金を引いてはこない。やはり見かけだけのブラフ。もしくは女には、アクタを撃てない理由がある。
アクタは女にタックルをかます。そのまま女をロッカーに叩きつけ、隙を見て逃げ去る手筈だったが、次の瞬間アクタの視界がぐるりと回転して天井を映す。
「かはっ!」
遅れて背中に鈍い痛み。さらに遅れて投げ飛ばされたのだと理解する。
しかし女のほうも咄嗟の対処だったのか、投げたアクタを用具室の外へと放り出してしまう。
アクタは乱れる呼吸を強引に整えて立ち上がる。来た道を引き返そうと駆け出せば、マーケット内を巡回する警備用のドローンに出くわす。
「おい、助けてくれ! 訳分からねえ女に狙われてる!」
薄水色のボウリングピンみたいな警備ドローンに縋りつく。視覚素子がアクタを捉え、そして知性を感じさせない無機質な音声で告げる。
『〈CLASS1〉を確認/【推奨】速やかな施設からの退去――拒絶/【対処】即時拘束を開始』
「――――は?」
アクタの理解を置き去りにし、警備ドローンが左右二本のマニピュレーターを展開。アクタの肩をしっかりと固定し、床へと押し付ける。そこまでされて、ようやく状況理解が追いつく。
「おい、ちょっと待て。捕まえるのはおれじゃねえ! おれは何も――」
「ヒナキアクタ! そのまま動くな!」
鋭い声にアクタは身体を強張らせる。一拍遅れて弾丸らしい何かが飛来し、警備ドローンのボディに火花を散らす。続いて軽やかな足音が聞こえたと思えば、耳元で爆発じみた雷鳴。焦げ付いた臭いが鼻孔をくすぐり、鉄屑が崩れ落ちる大音声。
気が付けばマニピュレーターは肩から離れ、焼け焦げた警備ドローンが目の前に転がっている。視線を上げれば、見透かすような薄茶の瞳と目が合った。
「立って。もう後戻りはできないわ」
「お前、何者なんだよ……」
アクタは女に引き起こされ、手を引かれるままに走り出す。女が走る速度は予想以上に速く、アクタは必死になって脚を前へと繰り出していく。
「なあっ、一体何がどうなってるっ? どうしておれが〈CLASS1〉にっ、なってんだよっ」
「さあ? 自分の行いを振り返ることね」
「くそっ、ふざけんなっ!」
アクタは毒づく。ついさっきまでアクタの〈COde Me〉はいつも通りだったはずだ。そうでなくともいきなり二つも〈CLASS〉が下がるなんて例、聞いたことがない。
それほど広くはない従業員通路を抜け、二階の食品売り場へと飛び出す。既に包囲網を固めつつある警備ドローンが行く手を塞ぐ。
女はアクタの手を離して速度を上げる。右手には黄色い閃光を纏うスタンバトン。左手にはさっきの拳銃とは別物の、釘打ち銃が握られる。
女の動きはまるで曲芸だった。一糸乱れることのない警備ドローンの隊列へと突っ込み、繰り出されるマニピュレーターをいとも容易く躱しながら、釘と雷撃を叩きこんでいく。装甲の隙間を狂いなく突かれ、警備ドローンは次々と沈黙していく。アクタが追いつくまでのほんの数秒で、警備ドローン四機を倒してみせた。
突然の騒ぎにマーケット内は騒然となっていた。構成員たちは半ばパニックに陥って逃げ回り、あるいは座り込んでぶつぶつと祈ったりしている。女とアクタはそんな彼彼女らを押しのけながら速度を落とすことなく進んでいく。
「もう無理だ! 訳が分からねえ! 何がどうなってるってんだよっ! おい、お前! いい加減に説明しろってば」
「この状況で説明を求める、お気楽な脳味噌を今ここで熱線消毒してあげたっていいんだけど。それに――」
女は身を翻し、陳列棚の影から飛び出してきた警備ドローンに蹴りを見舞う。傾いだところをすかさず肉薄し、マニピュレーターの接続部にスタンバトンを叩きこむ。電撃が轟き、警備ドローンは停止。女は警備ドローンだった鉄屑を蹴り飛ばし、まるでゴキブリを見るような視線をアクタに向ける。アクタよりも背はずっと低いのに、まるで見下ろされているような気分になる。
「それにお前じゃない。わたしには
「……あ? ウサギ?」
アクタがそう返すと、スタンバトンがバチッと鳴った。アクタは思わず両手を挙げたが、女は明確な殺意を放つ。
「耳まで腐ってるのね。次、ふざけたらほんとに殺すわ」
「おぉ、それは怖い」
軽口を叩いていると、警備ドローンの増援が姿を現す。ウサキに引っ張られ、アクタたちは再び駆け出す。構成員たちの悲鳴がこだまする。アクタたちは構わず走る。構成員たちは弾かれるように道を開ける。咄嗟の状況で〈マーキス〉の託宣に従う余裕さえ失っているようだった。
既に一階には多くの警備ドローンが集まっており、完全な包囲網を敷いている。いくらウサキが強いとしても、たった一人であれを突破するのは厳しいように思えた。
だがアクタは真っ直ぐにドローンたちを見据えていたウサキが、薄っすらと口角を吊り上げたのを見逃さない。それどころか、ウサキの考えがなんとなく読めて、強烈な悪寒すら感じた。
「飛ぶよ」
「は? え? 飛ぶって――――おい、ばかっ!」
ウサキが無表情でそう告げて、跳躍。吹き抜けになっている一階の広間へ柵を踏み台にして跳んだ。アクタは柵に激突しながらも、ウサキに引っ張られて落ちた。
瞬く間に近づいてくる地面に死か大怪我を覚悟していると、ウサキの作業服の袖からワイヤーが飛び出し、三階付近の柱にアンカーが刺さる。アクタたちは振り子の原理よろしく、壁と化していた警備ドローンの包囲網を飛び越えていく。
ウサキは身体からワイヤーを切り離し、その上勢いを絶妙に殺して着地。アクタはリノリウムの床に肩から強烈に叩きつけられる。
警備ドローンは一斉に反転。アクタたちを逃がすまいとすぐに陣形を整えて間合いを詰めてくる。
しかし次の瞬間、背後の壁が弾け飛んだ。
轟音が耳を聾した。
アクタは思わず叫んだが、そんなものは余裕で掻き消される。
顔を上げると粉塵のなかに大型トラックが見えた。こんなときに事故なんて、と重なる不運を呪ったがどうやら違った。運転手らしき人影が、窓から上半身を乗り出して手招きしていた。
「あれに乗る」
壁の崩壊に動じることなくわたしの横を駆け抜けていくウサキがトラックのコンテナに乗り込んだ。アクタも立ち上がり、倒れ込むようにコンテナへと飛び込む。
他に選択肢はなかった。
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