CHAPTER5:Beyond a certain point there is no return. This point has to be reached.(2)

「ちょっと待ちなさいって! 説明がまだでしょうっ!」


 投稿された映像の内容には学級委員もかなり動揺しているらしく、普段の落ち着きや物腰の柔らかさなどかなぐり捨てて、走るアクタを必死になって追い駆けてくる。


「悪いけど、お前なんかに構ってる暇ねえ!」

 アクタは吐き捨て、土足のまま校内へ。階段を駆け上って教室に向かう。

 教室の扉を乱暴に開けると、クラス中の視線がアクタへと集まった。夏休みの思い出話や再開される授業の憂鬱さで騒めいていた教室は一瞬にして静まり返り、誰もがアクタを見て息を呑む。


「くそっ」


 アクタは毒づいて再び走り出す。クラスメイトなどどうでも良かった。彼彼女らがアクタに何を思うが知ったことではない。

 あの動画はアクタが気づいた通り、〈メーティス〉での〈トーカ〉との対話の一部始終だった。だが巧妙に映像は継ぎ接ぎされ、事実とは内容が大きく改変されていた。

 全体として〈トーカ〉の発言は個人を軽視するものへと歪められ、構成員という個に対する社会という全体の優位性を示す内容へと変えられていた。極めつけは〝社会の幸福を最大化することこそ存在意義であり、個人のそれは必要な過程に過ぎない〟と解釈できる文言の存在で、個々人の人生を幸福へ最適化することによって社会全体の幸福を増大させるという〈マーキス〉の圧倒的な信頼を根底から否定する言葉だった。

 無論、グローバルネットワークでは動画の真偽について賛否が分かれている。

 そもそも〈トーカ〉の存在自体が一部の構成員しか知らない機密事項ではあるし、件の映像を全くのフェイク動画であると断じる論調も少なくはない。

 だがこれまで疑う余地さえなかった〈マーキス〉の信頼に、あの映像が大きな一石を投じて波紋を広げたことは確かだ。

 そしてあの映像はある一点の視点を元に撮影されている。あのとき、〈トーカ〉の真正面に座っていた人物。アクタでないとすれば、考えられるのは一人しかいない。


「リクッ!」


 アクタは勢いよく屋上の扉を開け放つ。教室にいないとすれば、アクタとリクが符合する場所はここしかない。

 リクは、いつだったかアクタがそうしていたように、屋上の中心で寝転がって公開設定ヴィシビリティの映像を眺めていた。もちろんそれはデッドコンテンツの映画ではなく、〈トーカ〉が微笑む対話の映像だ。


「リク……」


 アクタはもう一度リクを呼んだ。リクは再生を止め、ゆっくりと身体を起こす。


「おはよ、アクタ」

「おはよってお前……」


 いつもと変わらない微かで朗らかな表情に、アクタは一度言葉を呑みこむ。何かを言う代わり、アクタはリクのすぐ横まで歩いていき、すとんと腰を下ろす。


「これ、お前がやったのかよ」


 微笑んだまま停止している〈トーカ〉を指差す。アクタは冷たい息を吐き、前髪の隙間からちらとアクタを見やる。


「君は、この邂逅を経て〈マーキス〉をどう思った?」


 質問に質問で返されたが、アクタは反論はしなかった。答えは分かり切っていた。アクタはしばし押し黙り、答えを紡ぐ。


「……正直、統治機構としては、ほぼ完璧だと思ったよ。もしあそこで〈トーカ〉が言ったことが実現できるなら、本当に人の社会は完成するかもしれないってな」


 偽りのない本心だった。アクタ自身はある種の管理社会に抑圧を感じつつも、〈マーキス〉のビジョンは具体的で明確だった。それでいて忠実に理想を体現するだけの能力が、無欠の機械知性には備わっていると思わされた。つまり〈マーキス〉は社会を幸福に導く。それは何らかのかたちで達成されていく確定的な未来のように思えた。

 この際、アクタ個人が抱く閉塞感など、問題にはならないのかもしれないという考えが過ぎるほどに。


「素直な感想だね。でもそれだけじゃないはずだ」


 リクはアクタを試すように言ってフェンスの向こう側に広がる空を仰ぐ。細長く淡い雲が、何かから逃げ出すような忙しなさで流れていく。沈黙を埋めるように朝のホームルームの始業を告げる鐘が響く。生温い湿った風がそよぎ、二人の髪を揺らした。

 リクの言わんとしていることは分かっていた。アクタが偶然気づいたそれに、リクが気づいていないはずがない。

 長い沈黙の末、アクタはゆっくりと口を開く。


「……あれは、?」


 アクタの問いにリクが薄っすらと微笑んだ。目線の先に手をかざし、十字を切って何かを引き出すような動作。何もなかった中空に停止した映像とは別のウインドウが無数に浮かび上がる。


「一〇〇年以上もの時間を遡って、情報を拾い上げるサルベージのは苦労したよ。やっぱりこういうのはアクタの領分だったね」


 軽い調子でとてつもないことをリクが言う。だがそんな偉業が些細なことに思えるほどに、アクタは並べられた無数のウインドウに見入った。

 一枚目は手術の同意書。元は紙媒体だったものをスキャンしてデータに取り込んだのか、文字の所々は不鮮明に掠れている。だが脳の摘出に関する書面であることだけは辛うじて読み取れる。そして末尾の署名だけは、はっきりと読み取ることができた。


阿比留導火あびるとうか……?」


 署名欄を読み上げたアクタの呟きにリクはまだ応えなかった。アクタは無言の意味を悟り、ウインドウをさらに読み込んでいく。

 二枚目と三枚目は戸籍。どちらも同じ人物の戸籍だったが、奇妙なことに二〇年弱の時間を隔て、長女――阿比留導火の名前がなくなっている。先の同意書と照らし合わせれば、同意書に署名をした半年後に発行されたらしいことが分かる。

 四枚目のウインドウは分かりやすく画像データだった。少しこけた頬を寄せ合い、満面の笑みを浮かべる二人の女性。年齢的には友人というよりも母娘だろう。リクが見せてきたデータの関連性を考えれば、左の若い女性は阿比留導火、右の女性はその母親だと類推できる。

 アクタは言葉を失い、二つ並んだ屈託のない笑顔を交互に見やった。

 戸籍にも記された母親の名前は阿比留早蕨あびるさわらび。画像のなかの表情の豊かさからは想像できないが、目元や鼻筋には、〈新界興業〉織賀早蕨の面影が伺えた。

 そして阿比留導火。髪色こそエキセントリックな空色ではないが、彼女はウインドウのなかで笑みを浮かべて停止したままになっている対話用インターフェース〈トーカ〉と瓜二つだった。


「なんだよこれ……何がどうなってんだよ……」


 絞り出したような掠れ声は、もはや問いではなかった。想像を絶する現実に、思考回路が完全に焼き切れてしまったようだった。


「〈マーキス〉の開発グループに属していた織賀早蕨にはかつて――共同体が成立するより以前、娘がいた。そしてその娘は脳の摘出に同意をし、存在を抹消された。死んだのではなく、最初からいなかったことになったんだ」


 歪な事実が結びつくとき、見える真実は全てを覆す。そして見出された真実だけが、あらゆる全てを説明可能にする。

 青かった空はいつの間にか黒ずみ、分厚い雲に覆い隠される。


「ぼくはね、〈メーティス〉から帰ってきてからずっと考えていたんだ。どうすれば、この甘ったるくて、悍ましくて、優しい完璧な社会に致命的な一撃を与えられるかってね。たとえ無様な嘘を泥のように吐きつけるだけだとしても、ぼくらはもう後戻りはできないんだよ」


 呆然とするアクタの肩に、リクは支えるようにそっと手を添える。世界に亀裂が走るように、遠雷が轟いて雨が降り出す。


「共同体社会の統治機構〈マーキス〉は、織賀早蕨の実娘である阿比留導火の脳構造をベースにした人口超知能である可能性が高い。少なくとも、ぼくらにはまだ確かめるべきことがあると、そう思わないかい?」


 穏やかないつもの口調とは裏腹に、濡れた前髪の奥で光るリクの表情は、憎悪と憤怒に研ぎ澄まされた一振りの刃のように、禍々しく鋭かった。

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