CHAPTER4:What makes desert beautiful is that somewhere it hides a well.(8)

「〈マーキス〉が計画する社会は、一体どこへ向かおうとしているんだろうか?」


〈トーカ〉との問答は、次の段階フェーズへと進んでいた。

 リクが踏み込めば、〈トーカ〉が同じだけ後ろへ下がる。核心を避けて通るように続いてきた対話にも、リクが一切の逃げを封じる一手を放ち、終止符を打つ。

 これまで躱すようであったものの全ての質疑に即答で応じてきた〈トーカ〉の返答に、僅かな間が生まれる。おそらくは情報的な背後に控える〈マザーズ〉が、割り込みの超速演算で解答に応じた無数の未来分岐を計算しているのだろう。

 やがて真っ直ぐに向けられながらどこも見ていないようだった視線が焦点を結び直し、〈トーカ〉はゆっくりと口を開く。


『幸福で、豊かな社会を目指しています』


 間を置いた割りには拍子抜けする当たり障りのない解答に、アクタとリクは顔を見合わせる。


「〈マーキス〉における、幸福の定義は?」

『まず社会全体の富の増大と、それを平均化していくことです。一握りの者が富み、それ以外が貧しさに喘ぐ社会では、いくら富が増大しようとも幸福は最大化されないというのが前時代にも証明されています』

「それはつまり奪うってことだろ?」


 リクと〈トーカ〉の対話に、アクタが初めて口を挟んだ。〈トーカ〉はアクタを見やり、淀みなく応答していく。


『奪う、というのは所有の強奪という意味と仮定します。ですが理想的な共同体社会において、この意味での〝奪う〟行為は発生し得ません。全ては社会のために。そもそもあらゆるものは公共性へ、社会的リソースへと還元されるべきものであり、築いた富に個人が主張できるような所有権はあり得ないのです』

「そのための計画性ってことだね」

『そのため、というのは肯定しかねますが、結果として〈マーキス〉による計画遂行が富の占有を阻害する機能を果たしていることは認めます』


 共同体社会の全ての動きは〈マーキス〉の計画性という基盤の上に成り立っている。あるいはそうでなくとも、そう人々に信じさせておく。個人の成功は全て計画性のうちへと還元され、個人が手に入れた富は突出した能力によるものではなく、社会全体の繁栄という青地図の一つのピースが自分に課せられた役目であったのだと。

 それ故に一度手に入れた富は社会に還元されなければならない、という方程式が成立する。例えばそう、織香早蕨がドローン産業で得た資産で孤児院の運営を行っているように。


『加えて、社会に寄与しているという感覚は人に何にも代えがたい充足感をもたらします。そしてその充足感は社会的寄与という行為を強化し、再生産することに繋がります。やがてこれらは、より多くの社会貢献を果たすことこそ、成功であり真っ当であるというモデリングを定着させるに至り、より円滑な富の再分配に関する流れを構築します』


 それは完璧なるシステム。一切の権力が排された〈マーキス〉だからこそ為せる再分配の妙技と言えた。


「理解はしたよ。それで二つ目は?」

『タンタロスという神話上の人物を知っていますか?』


 質問に質問で返され、アクタは面を食らう。問いかけたリクもどうやらこの返しは予想外だったらしく、次の言葉を探すまでに一瞬の間が生まれる。


「……たしか、リュイディアの王だったっけ。古い言葉の語源にもなっていたね」

『仰る通り、そのタンタロスです。彼は人の身でありながらゼウスと親しく、神々の饗宴に招かれるなどしていました。しかし彼はあるとき神の怒りを買ってしまいます。理由は様々あるとされていますが、そのうちの大きな原因は彼が饗宴でもてなされる料理アムブロシアーネクタルを盗み、友人に分け与えたからであるとされています』

「分け合い、施し合うことは、共同体の基本理念だろ」


 タンタロスを哀れむような〈トーカ〉の口調に、アクタが横槍を入れる。


『仰る通りタンタロスは正しい。しかしこの話の骨子はそうした美徳ではありません。重要なのはタンタロスが何故、そのような行為に及んだのかという点です』

「…………」

「…………」


 アクタとリクは揃って黙り込む。しばらく考えてはみたが、少なくともアクタはタンタロスの行いを肯定する答えしか思い浮かばない。


『タンタロスは自らが神に気に入られていること、そして他の人々はそうでないことをはっきりと認識していた。あるいは気づいたのでしょう。神と親しい自らは不死となり豊かな生活を営む一方で、友人はそうではないのだと』

「幸福は、不幸との差異ってことか」

『雛木芥さん、貴方も非常に呑み込みが早く、高い適応力を持っていますね』


 褒められたところで大して嬉しくもなかったが、どうやらアクタの解釈は的を射たようだった。


『幸福である、という感情は不幸であるという状態を認知することによって生まれる。そして逆もまたしかり。タンタロスの過ちは、自らが他人よりも優遇されていることに気づいてしまったこと。幸不幸を量的・質的計算において比較可能な定量化をしてしまったことに他なりません』

「そのための、最適化というわけなんだね」


 リクが僅かに不快感を露わにして言うが、〈トーカ〉はただ頷くだけ。


『肯定しましょう。ですが本来、幸福を比較する尺度とは主観的なものに他なりません。そして個人の主観によってのみ構築されたそれは、身勝手かつ不安定なものにしかなり得ません。隣りの芝は青い、などという言葉は主観の不完全さを非常によく表していると言えるでしょう』

「だったら何故、〈CLASS〉で人を格付けする?」

『必要な措置だからです。社会という円環から外れたものにペナルティを与え、より貢献しようと献身を捧げる者に僅かばかりの施しを与える。これにより社会貢献はより活性化され、進歩的社会の維持が可能となるのです』


 人間を遥かに超えた知性を持つその機械に、アクタたちが反論する余地はなかった。透徹された理論とそれを実現しうる全能に程近い遂行能力。それでいて――


『無論、これは人のみの力では達成しえない社会システムです。二〇世紀の共産主義が結果として権力の集中、独占を招いたように、複雑化したあらゆる社会形態において紐帯となる役目が必ず要請されます。そしてこの役目は人には成し得ません。完全に無私であることのできない人間がその役目を担えば、それはその時点で理念との矛盾になってしまうためです』


〈マーキス〉はアクタたちの想像を遥かに超えた完全なる統治者だった。能力が優れているだけではない。全てが意のままになるだけの力を手にしていながら、〈マーキス〉には個というものがない。完全なる無私。それはまるで大昔にプラトンが描いた哲人政治の理想そのものだと言えた。


『もちろん現在の共同体社会は完成に程近いとは言え、完成とは言えません。完全なる最適化と平均化のために、私にはまだ解明しなければならない問題がありますから』


 もはや既にアクタたちは目の前の少女に立ち向かう威勢を失っていた。何を問おうとも、きっと完成された無欠の解答が返ってくるだけだった。

 そんなアクタたちの様子が分からないはずもなかったが、〈トーカ〉は喋り続ける。まるで望んだ化学反応に至るまでは、まだ実験が不十分だとでも言うように。


『目下最大の課題は人の感情に関する問題です。三科李久さんが先ほど仰っていた通り、人は不合理かつ非論理的です。それは計算の結果で動く機械ではなく、感情を有しているからです。この解明なくして、共同体のさらなる繁栄は困難を極めるでしょう』

「自殺増加」

『気づいていらっしゃいましたか。自殺者の増加は大きな懸念材料ですが、それだけではありません。鬱罹患者の増加やフリーターの存在。共同体という社会が提供する安価な幸福を受け容れることのできない人々、あるいはそれらを拒絶してしまう人々。そういった構成員を排除していくことは容易いでしょう。しかし排除は連鎖します。彼らの存在を、最上の慈愛をもって包摂していくことこそ、講じるべき手立てであり、今後の課題なのです』

「どうして……。何があんたをそうまでさせるんだ……?」


 アクタが絞り出したように呟く。まるで目の前のそれが機械仕掛けであることなど忘れたかのように。

 その問いに〈トーカ〉は首を傾げた。ほんの一瞬だけ意図と意味を図りかね、だが次の一瞬には全てを理解した上で答えを口にしている。


『理由など存在しません。答えるとすれば、個人と社会の幸福を最大化することだけが〈マーキス〉の存在理由であり、目的だからです』


 どこかで聞いたようなセリフとともに〈トーカ〉は微笑んだ。織香早蕨が、大多数の構成員がそうするように。穏やかに、模範的に。

 アクタは言っておきながら、愚問だったと思い直す。人工物である〈マーキス〉がいくら優れた知性を兼ね備えていようと、あらゆるタスクの遂行に動機は存在しない。結果や行為にやりがいを見い出したりもしない。〈マーキス〉はただ、社会を幸福と繁栄に導くためだけに作られ、稼働し続けている。分かり切ったことだった。

 そして思い直すと同時、少しだけ冷静になった思考の余白に突拍子もない疑問が浮かんだ。

 微笑む〈トーカ〉のその姿。親しみやすいように屈託なく、それでいて作り込まれたように理性的。規範として遵守されただけではない、もっと純粋に模範的な、そんな微笑みをアクタはつい最近どこかで見たはずだった。


「なぁ、あんた――――」

『時間です。来た道を戻れば、先の〈ポーン〉が控えています。安全な退出ルートを案内させますので、随伴して下さい』


 アクタの言葉を遮るように、〈トーカ〉の声が響く。変わらぬ穏やかさを湛えながら、相手に有無を言わせない強さを持った響きだった。

 既にホログラムで構成されていた〈トーカ〉の肉体はポリゴンとなって消えかけている。アクタはリクを見やったが、リクは強制的に終了される対話に、少しばかりの不満も表してはいなかった。

 代わりに、消えていく少女に向けて世間話のような調子で話しかける。


「手厚いね。どうしてそこまで?」

『全ては必要な過程なのです』


 宙に浮かんだ微笑みは最後にそう言って、まるで最初から何もなかったと言わんばかり、完全に消失した。

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