CHAPTER4:What makes desert beautiful is that somewhere it hides a well.(6)

 コンテナのなかは分厚い暗闇だった。

 光はなく、音もなく。握りしめた手の感触だけが確かなものの全てであり、だがアクタにとってもリクにとっても、それだけで十分だった。

 探るように歩いていく。その足取りに、躊躇いも恐れもない。掌から伝わる感覚だけを信頼し、どちらが先導するでもなくアクタとリクは前へと進んだ。

 分厚く重たい暗闇を抜け、間もなく二人は煌めく漆黒のなかへと足を踏み入れていく。

 アクタたちは緩やかに下っていた。

 継ぎ目のない大理石の上をゆっくりと。靴底が地面を擦る音だけが聞こえ、進むごとに空気はひんやりと緊張を帯びていく。

 この先に〈マーキス〉の対話用インターフェース――〈トーカ〉が存在する。

 それはもう確信していた。

 緩やかな螺旋の果てが神殿であれ楽園であれ、あるいは地獄であれ、高まっていく空間そのものが帯びる鋭さが、先に待ち受けるものが只ならぬ存在であることを告げていた。

 一介の高校生が、ただの構成員が会いたいと願って対面できる相手ではない。だが何の因果か、数奇な偶然か、共同体社会を統べる女神もアクタたちとの邂逅を望んでいる。

 その事実に、にわかに興奮した。浮足立つような思いも得た。

 だが同時にとてつもない不安と、そして恐怖を感じた。

 アクタたちのこれまでの行動が共同体の倫理や規範から大きく逸脱したものであることは言うまでもない。計画性の遂行を重んじる〈マーキス〉に、反乱分子として判断され、適切な処理のために利用されている可能性だって否定はできない。

 相手は社会そのものなのだ。高校生二人を消し去ることくらい、その気になれば簡単にできるに違いない。

 もちろんアクタの胸中に渦巻く負の感情はそんな妄想じみた不安だけではない。事実として突き付けられる、確固たる恐怖もまた胸のうちに巣食っている。

 全てを見られているという不安。社会に存在する無数の構成員としてではなく、一個の意志や思想の元に行動しようとする個人として、機械知性に管理されていることへの恐怖。この共同体に、〈マーキス〉から逃れられる場所などないのだという突き付けられる事実。

〈マーキス〉は共同体そのものだ。〈マーキス〉が織り成す計画という牢獄は、FEC3そのものだ。

 そしてアクタたちにとって、世界とはFEC3という極東の小さな列島であり、その外は存在しないに等しいものでしかない。そこから飛び出すことは物理的にも、そして想像ですら困難という意味で精神的にも不可能だ。

 結局のところ、〈マーキス〉に対して何を思おうと、その優しき支配から這い出ることなどできないのかも、しれない。

 だがリクは確かめると言った。

 人の幸福とは何なのか。〈マーキス〉が目指す理想の社会の青地図は、一体どんなかたちをしているのか。

 そしてその上で、〈マーキス〉を受け容れるか否かの選択をすることが、重要なのだと。

 もし〈マーキス〉を否定するなら――。

 一体リクは何をする気なのだろうか。

 アクタの脳裏にふと浮かんだ疑問は、まだ当のリクでさえも答えを知らないに違いなかった。

 まだアクタたちは、ようやくスタートラインに立とうとしているに過ぎない。〝自由研究〟は結末の局面を迎えようとしているが、その終極こそが始まりなのだ。

 自ら考え、そして選ぶこと。

 人類にとっては忌まわしき過去であり、アクタたち二人にとっては甘美で偉大な生きることの本質。

 今日ようやく、アクタは雛木芥という一個人の人生を、リクは三科李久という一個人の人生を始めることができるのだ。代わりが利き、社会全体の歯車のように生きて死ぬ構成員ではなく、矛盾や不合理を抱えた生々しい存在として生まれ変わるのだ。

 緩やかにカーブを描いていた螺旋の下り坂は、いつの間にかほとんど平坦になっていた。真っ直ぐに進んでしばらく、一枚の鉄扉が前に立ち塞がる。


「この先に、がいる……」


 緊張や不安や興奮で散らかった内心を無理矢理に均すように、アクタが呟く。リクは先に一歩進み出て、扉に手を掛けながらアクタを振り返る。その双眸には、隠しきれない興奮が滲んでおり、口にする応答はどこか熱っぽい。リクもまた、アクタと同じように様々な感情を抱きながらこの場所に立っているのだと、アクタは思った。


「ああ、そうだ。ぼくらは辿り着く」


 リクが扉を押し開けるや、射し込んだ青白い光が瞬く間に視界を満たす。

 だが視界が白んだのも一瞬で、すぐに〈パラサイト〉による光量調整が入る。視界は元の明瞭さを取り戻し、目の前の光景をありありと映し出す。

 そこは貨物庫など比べものにもならない、広大な空間。そしてその上下左右の見渡せる限りをうねる大蛇のごとき太く大きなチューブが張り巡らされている。アクタたちの立つ入り口から一直線上、真っ直ぐに伸びる鉄網の橋の先には異質な存在感を放ってそこに在る、艶消しの黒の巨大な球体。


「行こう」


 社会の頂点に君臨する女神の一端を目の前に、竦む足を奮い立たせるような声でリクが言う。言い聞かせるようにもう一度、同じ言葉を口にしてリクは球体に向けて足を踏み出す。

 アクタは自分の頬を両手で二度叩き、すぐに後へと続く。遅れるわけにはいかない。リクを一人にするわけにはいかない。

 リクに導かれたことは確かであっても、この〝自由研究〟は二人にとって大きな意味と価値を持つ。それだけは間違いないのだから。

 やがて橋を渡り切り、リクは掲げた右手でゆっくりと球体に触れる。

 刹那、球体表面に無数の青白い幾何学模様の燐光が走る。まるで夏の深い夜を切り裂く流星群のように。現れては消え、消えては現れ、やがて再び漆黒が取り戻される。

 リクの手が触れていた場所が僅かにへこみ、沈み込んだ扉が左右に開いていく。黒い球体は生白い靄と肌を撫でる心地よい冷気を吐き出す。


『ようこそ、三科李久。そして雛木芥。貴方たちの訪問を歓迎します』


 聞こえた女の声。機械音声であると分かるのに、妙に流暢で人間じみた抑揚のきいている、親しみやすくも超然とした響き。それは窮地のバーで聞いた、〈ポーン〉のそれと同じものだった。

 アクタたちは促されるまま、球体のなかへと進んだ。

 中の広さは六畳ほど。外側と同じく艶消しの黒で覆われていたが、外と違ってこちらには絶えず青白い燐光が幾何学模様を刻みながら瞬いている。部屋の中央には壁や床や天井と同じ質感の、机と椅子が一組、向かい合って座るように配置されている。

 椅子にはリクが座った。ここまで来られたのはリクの功績が大きいのだから、特等席に相応しいのはリクだった。


『来訪者を確認/面会権限不許可/追加特記事項を確認/面会許諾――――対話用インターフェースの構築を開始します』


 燐光が一層強く瞬いた。

 リクの向かいの椅子の上、無数の点と線が浮かぶ。それらは宙をたゆたい、駆け巡り、舞うようにして一つのかたちを織り成していく。

 光がかたちづくるのは一人の少女。空色スカイブルーの長い髪に、純白ピュアホワイトのワンピース。澄み渡るFEC3の前途と、清廉潔白な社会計画を象徴するような姿形。

 少女はアクタたちに向かい、ホログラムとは思えないほど精巧な自然さで微笑んだ。


「……君が、この共同体を統べる女神――〈MarkISマーキス〉なんだね」

『その通り。私は〈マーキス〉。ですが正確には、人工超知能搭載型超高度演算装置。貴方がた共同体構成員には〈マーキス〉の名で親しまれています』


 立体映像の少女――〈マーキス〉、そのインターフェースである〈トーカ〉はもう一度、完璧なる微笑みを浮かべた。


『この出会いが、社会のさらなる発展と人々の多大なる幸福へと繋がっていく、価値ある時間とならんことを』

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