CHAPTER4:What makes desert beautiful is that somewhere it hides a well.(2)
遠く視線の先、通路の突き当たりで白衣が翻り、アクタたちは足音を顰めて息を殺す。
すぐに〈メーティス〉の研究員が姿を現して前を横切っていくが、アクタたちの姿に気づくことはなくすぐに見えなくなる。アクタは静かに安堵の息を漏らして額の汗を拭う。
『研究員も、カメラの数も、だいぶ多くなってきたな』
『ああ。中心部に向かってる証拠だね』
もちろん会話は〈ランデブー〉を通して行う。見つかれば瞬く間につまみ出されるか拘束されるかし、きっと二度と〈メーティス〉の人工の地面を踏むことは叶わなくなる。そうなれば自由研究は頓挫、それどころか二人の〈CLASS〉さえ無事である保証はどこにもない。
『これ以上進むのは厳しいぞ』
『分かってる。いま必死に、この
『貸して』
言ったアクタに、まるで真夏に降る雪でも見たような顔でリクが目を見開く。
ここまではリクの洞察や意向におんぶに抱っこでやってきた。だが今やリクが望んだ〈マーキス〉との接触はアクタ自身の目的でもある。ならば持てる全てでもって、困難を乗り越えなければならないのは必然だった。
しばらくしてリクの〈パラサイト〉からデータが送られてくる。アクタは起動中の〈ランデブー〉のウインドウの脇にそれを開き、視線でスクロールさせてざっくりと目を通す。既にアクタは複数のアプリケーションとプログラムを起動し、作業へと取り掛かる準備を整えている。
『このやり方じゃ半日かかるぞ』
『心外だ。そして君にこんな特技があるなんて意外だ』
『伊達にデッドコンテンツで遊んでねえってことだ。サルベージの腕前としちゃ中の上ってとこだけど、こういうスキルが多少あったほうが色々楽しみやすいんだ。だから少しは、少なくとも素人のリクがやるよりは心得がある』
『なるほど。好奇心こそ知恵と技術の母であるというわけだね』
感慨深げに頷くリクをよそに、アクタは文字が羅列された黒いウインドウに意識を没入させていく。
暗闇のなかで緑黄色に光る文字を標とし、深く深く潜っていく。流星のごとく流れていく文字列の間を縫うように。あるいは時折手を伸ばし、その文字列を僅かにずらし、書き換え書き足していく。目を閉じながらも五感は果てしなく鋭敏に研ぎ澄まされ、全身の神経が水のなかへと行き渡っていくような感覚さえ覚える。
アクタの背後から鎖が伸びる。アクタの潜行を阻もうと、水中をいとも容易く切り裂く鋭さで迫ってくる。アクタは用心深く、だが大胆で機敏な動きでそれを躱す。急旋回し、迫る鎖をタイミングよく引っ手繰る。狙いを違った鎖は文字列を霧散させ、攻撃の矛先を失ったように動きを一瞬だけ停止する。アクタは既にその場を離れ、さらに深い場所へと落ちるように潜っていく。
人間は七割を超える情報を、視覚から得るとされている。つまりそれは視覚さえ制してしまえば人を情報的に掌握したも同然であることを意味し、〈マーキス〉の統治はそれによって成り立っている。
だが人の意識は与えられる情報に絶えず刺激を受けている。それは自己という格を構成する要素であると言っても過言ではないだろう。つまり裏を返せば、〈パラサイト〉の生み出す光景は構成者たちに刺激を与え続けている。絶えず拡張現実に触れ、昔よりも遥かに多くのことを視覚だけで行うことのできるアクタたちの意識が〈パラサイト〉によって変容したとしても不思議ではない。
もちろんこれは稀有な変化だと言える。
視界に広がる文字列のなかへと意識を潜行させて、直感的に書き換えを行う技術。
もしかすると本当に、リクが言うような好奇心が――もしくはそんなたいそうなものじゃなく、現実から逃れたいという強迫的な思いが、アクタに
もちろん共同体的にはあってはならないことだし、そもそも人としてだって褒められたものではない。
だがそれでも。リクが見せた、今となっては共に見ている夢を手繰り寄せるために。自由という浪漫へと羽ばたくために。アクタはこの才能を惜しみなく発揮していく。
あの気怠く暑い夏の日。鳥籠じみた屋上で、アクタはリクに見い出された。
何故、アクタだったのか。
何故あのときだったのか。
そんなことは分からない。
確かなのは、リクがアクタを選び、アクタはそれに応えたいと思っていることだ。
そこにはどんな疑いの余地さえない。〈マーキス〉の計画性が保証する未来などよりも遥かに堅固で、そして尊いものだ。
緑光を帯びた深い闇のなか。
やがてアクタは手を伸ばす。その手に掴み、毟り取るように奪った文字列がにわかに血の色を帯びて赤く光る。
掴んだ――――。
まるで前に観たSF映画のように、頭に突き刺さったプラグを引き抜くような感覚。あるいは突如として地面が無くなり、見果てぬ奈落へ突き落されるような、肝の冷えるある種の浮遊感。
アクタの感覚に音や光が一斉に流れ込み、暴力的なまでに五感を踏み躙る。呼吸さえ忘れていたらしく、上昇した体温と思い出したように噴き出す汗。
「大丈夫……?」
掛けられたリクの声は妙に潜められていた。それもそのはずで、どうやらイメージクラッキングに没入しすぎて〈ランデブー〉が落ちていたらしい。
「大丈夫。久々だったから、ちょっと疲れたけどな……」
強がった。本当は今すぐにでも四肢を投げ出して眠りこけたい気分だった。もちろんこんな道半ばでそんな弱音を吐いているわけにいかないことは、アクタもよく知っている。
「それで、成果は?」
リクは一応確認しておく、という雰囲気で言った。アクタが欲するものを持ち帰ったことなど聞くまでもないと、絶大な信頼を寄せてくれていることがアクタ自身にもはっきりと分かった。
「なあ、リク」
「なんだい、アクタ」
「手に入れたいものがあって、それを手に入れるにはどうしてもリスクを抱え込まなきゃいけないとして、お前ならどうする?」
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、って言うからね。当然リスクを抱えるよ。それができるのが、人の意志だ」
リクの即答に、アクタが胸を撫で下ろすのと、通路を満たす穏やかな照明が毒々しい赤に切り替わったのはほとんど同時だった。
施設の至る所に設置されているらしいあらゆるスピーカーから、静かに、だが緊急を要する電子音声が響き渡る。
『――【感知】システム内部に侵入者を捕捉しました/【確認】追跡の結果、施設内部からのアクセスを探知しました/【警告】全職員はケース
「へへ……」
アクタは
だがリクはいつものように平然と、そしていつもにまして頼もしく口角を吊り上げる。
「問題ない。図面があればこっちのもんだよ」
不敵に言った視線の先、通路を曲がって
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