CHAPTER3:If you gaze for long into an abyss, the abyss gazes also into you.(5)

 ゾンビの脳漿がぶちまけられ、断末魔がこだまする。アクタと淡々と、馬木戸は時折興奮気味に声を荒げながらモニターに銃を向けて引き金を引く。

 馬木戸と話すにあたって、リクから教えられた注意点は一つ。常に対等に会話をし続けること。ペースに乗せられないことはもちろん、知らないことや分からないことがあったとしてもそれを悟られてはいけない。


「なぁ、あんたは〈マーキス〉を欺ける凄腕なんだろう? それで金儲けしようとは思わないのか?」

「まぁ自分で言うのもちょっと恥ずかしいけど、確かに凄腕ね。他の技術は革新的にどんどん発展してるっていうのに、プログラミングの技術は今世紀で驚くほどに衰退しちゃったからね。まともなプログラム構築ができるってだけで一人前。となるとうちは確かに凄腕って言えるんでしょうね。でもお金なんか集めて何になるのかしらん?」

「さあな。聞いてみただけだ。それに富も権力も、昔の社会ほど力を持っちゃいない。〈マーキス〉が示す幸福の物差しもそういうのとは別だしな」

「あら、随分と達観したこと言うのね、かわいい」


 押し合いながら向かってくるゾンビの間から、犬のゾンビが物凄い速度で近づいてくる。アクタはすかさず反応して精密狙撃。馬木戸も的確に犬のゾンビを銃で屠る。しかしここまでくるとさすがに無傷とはいかず、少しずつゾンビの接近を許してダメージを負い始める。


「でもそれならアクタくんはさ、〈マーキス〉の示す幸福って何だと思うのかしら?」

「未来の不安の排除と現在の充足感、じゃねえかな」

「充足感?」

「ああ、中身は何でもいいと思うんだけどな。現状に満足してるっていう感覚」

「な~るほど。他に何も望むことはないって、そういうこと」


 銃裁きが加速していくように、二人の問答もテンポを上げ、佳境へと向かっていく。


「たぶん、幸福を意識しない状態ってのに言い換えられるんだろうな」

「人々は幸福を望まない。何故なら常に幸福を手にする彼らには望む必要がないからだ、ってね」

「それに、望んじゃダメなんだ。幸福を望めばそれは不幸の証だから」

「なのにアクタくんは、望んでしまった?」


 近づいてきた大柄のゾンビの一撃がアクタに大ダメージを与える。体力ゲージが大きく削られ、緑色から黄色へと変わる。


「見たところ、〈CLASS〉にも問題ないみたいじゃない。どうしてうちのウイルスなんか欲しくなっちゃったわけ? 敷かれたレールに沿って歩いていたら、きっとそれだけで幸せになれるのに」

「おれは幸せを望んでるわけじゃねえよ。ただ知りたいんだ。どうしておれが、他の誰かじゃなくておれが、ここにいるのか」

「その選択の先が破滅でも構わないっていうのかしら?」

「たぶんな。行ってみなきゃ分からないけど、きっと後悔はしない」

「若さゆえの生き急ぎよ、そんなの」


 馬木戸の冷ややかな声。大柄のゾンビの一撃がアクタをさらに追い込み、横から群がってくるゾンビが食らいつく。アクタの体力ゲージは底を尽き、間もなく画面が暗転。アクタの側にYOU LOSEの青文字が浮かび、反対に馬木戸の画面にはYOU WINの赤い文字。


「うちはね、楽しく生きたいだけなのよ」


 ゆっくりと、馬木戸が握るゲームの銃口が真っ直ぐにアクタへと向けられた。


「幸福が何かなんて、考えたくもないし、誰かに示されたくもない。ただ楽しく生きたいだけ。自分が存在している意味? まるで興味もないわ。意味があってもなくっても、ここにいるんだから仕方ないじゃない?」


 アクタは奥歯を噛む。どこで間違えた? いやそれは問題ではない。挽回しなければならない。しかしそう考えて焦るほど、アクタの思考は空転する。そして対する馬木戸は反論の隙を与えず、淡々と捲し立てるように続ける。


「さっきお金儲けしないのかって聞いたでしょう? うち、興味ないのよ。お金なんてあったって楽しくないもの。それよりももっと楽しいことってあると思うのよね~」


 アクタは助けを求めるためにリクを振り返ることもできない。向けられているのはゲーム用の銃だと分かっていたが、馬木戸の視線に縫い留められたように身体が動かなかった。


「もう一度聞くわ。どうしてうちのウイルスなんか欲しくなっちゃったの?」

「おれは……」


 何を言うべきか。どんな言葉を弄せば馬木戸を納得させられるのか、アクタはには分からない。ならば分からないなりに、真正面からぶつかるしか方法はない。


「おれは、ごめんだ。……得体の知れない機械が与える幸福なんかごめんなんだよ。おれは、用意された人生なんかじゃなくって、自分の人生を自分で選んで生きたい。それだけだ。あんたが楽しさを求めるように、おれは自分の選択を求める」


 譲れない。ほんの数週間前まではかたちすらなく、単なる靄でしかなかった鬱屈とした思いは、リクと出会ったことによって、その言葉によって明確なかたちを得た。

 今ではこれが、自分自身のかけがえのない望みだと、胸を張って言える。

 だからたとえ銃を突き付けられようと、その身を引き裂かれようと、曲げるわけにはいかなかった。

 硬直した空気を、嗄れた笑い声が切り裂く。


「ふふふふふふふっ。ふふふふふふふふっ。ふぁっふぁっ、ひぃーっ、ひぃーっ、ふふふふっ」


 その奇っ怪な笑い声は馬木戸のもの。身体をくの字に折って腹を抱える馬木戸を、アクタは呆然と見下ろした。


「いいわ、気に入った。その不器用さ。さぞ生きにくいでしょう? ほんっとリクちゃんそっくりね。仕方がないから、うち謹製のウイルス、アクタくんの〈パラサイト〉に仕込んであげる」

「え……」

「なぁにぃ? その顔。嬉しくないのかしら? 何を企んでるかなんて知らないけど、リクちゃんたちのことちゃぁんと応援したげるわ。ほら、〈パラサイト〉貸してごらんなさい」


 アクタは差し出された筒状のケースに両目から外した厚さ〇・〇四ミリのレンズを放り込む。


「ウイルスはちゃぁんとインストールしてあげる。でもこれだけは約束して頂戴。もちろんリクちゃんもよ。もし、あなたたちの選択の先が破滅だと分かったら引き返しなさい。若いんだから、いくらだってやり直しはきくもの」


 アクタは答えを求めるようにリクを見やる。想定通りの結末に満足そうに腕を組んで壁に寄り掛かっていたリクが、アクタを見て頷く。


「分かってるよ、馬木戸。ぼくらは自暴自棄になってるんじゃない。ただ、よりよく生きていたいだけなんだ」


 穏やかな声音とは裏腹に、リクの表情は研ぎ過ぎた刃のような鋭さを帯びていた。


        †


 一〇分ほど席を外していた馬木戸が戻ってくる。


「お待たせ~。これでもう大丈夫よ。ばっちりインストールできたわ」

「ありがとうございます」

「いいのよ。今のあなたたち世代がこうやって苦しさを抱くのは、前世代の大人たちの責任もあるんだから」

「責任ね。……自由意志が衰退してから久しい概念だ」

「あら? そうでもないわよ。こんな退屈な社会だって、つくったのは人で続けてきたのも人なんだから。意識するしないは別にして、うちらの背にはちゃんと背負ってるもんよ」

「本当に、そう思っているんですか? この〈マーキス〉の共同体社会が、まだ人の社会だと」

「当然よ。生きているのは〈マーキス〉じゃなくて、うちらだもん」


 リクは少し寂しそうに頷いた。


「くれぐれも、うちの言ったこと忘れるんじゃないわよ」


 アクタたちは〈パラサイト〉を受け取り、念を押す馬木戸にもう一度だけ礼を言ってゲームセンターを後にする。階段を上がると日はすっかり暮れていて、西日が正面から射し込んで瞼を焼いた。


「さっそく付けてみるといい」


 リクに言われ、アクタは筒状のケースから取り出した〈パラサイト〉を両目につけ直す。体内の微弱な電流を感知して〈パラサイト〉が起動。視界中央にWELCOME!!の文字。

 ほとんど時間を要さずに完全に立ち上がった〈パラサイト〉はこれまでと大きな変化はない。少し、いやかなり期待していただけに肩透かしを食らった気分になる。


「なんだよ、何も変わらねえぞ」

「まあそう焦らないで」


 リクが言うや、まるでタイミングを読んでいたかのようにアクタの視界が霞む。思わず目を擦ってみるが霞が晴れることはない。唖然としている間にも、重ねられただけの偽りの現実が霞み、罅割れ、歪んでいく。

 ノイズが走ったように歪む壁。あるいは建物そのものがリアリティを失ったアニメーションのように佇立する。数メートル先の空間が不自然な質感で動いているのは、それが低い〈CLASS〉の人間を覆い隠しているからだと分かる。

 穏やかで豊かだったこれまでの現実が如何に紛い物であったかを証明するように、視界が瞬く間に書き換えられていく。その鮮やかな手際にアクタは思わず溜息を漏らす。


「まじかよ……」


 呟いて立ち眩み。二歩前に進み出たリクが振り返る。


「たぶん、最初は長時間見ていると気持ち悪くなる。でもすぐに慣れると思うよ。なんて言ったって、元々見ていた共同体に馴染めなかったんだからね」

「お互い様だろ」

「それもそうだ。……何はともあれ、ようこそぼくの見る景色へ。これで準備は整ったよ。あとは確かめるだけだ」

「それが一番の大仕事だろうよ」


 リクが真っ直ぐに伸ばした拳に、アクタはこつんと拳を重ねた。

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