CHAPTER3:If you gaze for long into an abyss, the abyss gazes also into you.(4)

 密会はバーで、とリクは言ったものの、怪しげな看板とは裏腹に店内の雰囲気は共同体的な規範を大きく逸脱するようなものではなかった。

 ほのかに青みを帯びる内装に、同じく青い間接照明。机や椅子やカウンターは黒塗りの木製で統一されている。アクタたちの入店に気づいてほんの一瞬だけ視線を上げたマスターの背後には、共同体という社会によって駆逐されてしまったアルコール飲料の空き瓶が、時代を憂うかのように並べられている。

 平日の昼間とあって、客入りはまばらだ。アクタたち学生は夏休みだが、世の中のほとんどの人々にはいつもと変わらない仕事という日常が流れているのだ。

 不規則に並べられたテーブルの間を縫って歩くアクタの〈パラサイト〉に通話受信の通知が浮かぶ。送り主に視線を映せば、リクは促すように一つ頷く。


『そのまま聞いてくれ』


 通話を受けるや、リクの声が頭のなかに響く。もちろんリクは声を出してはいない。〈パラサイト〉のアプリケーションの一つで、入力した文字をデータとしてストックした本人の声で相手に向けて再生する〈ランデブー〉という通信手段だ。年配の者はあまり利用しないが、アクタたちの世代ではほぼ必須のアプリだ。もっともアクタはただインストールしてあっただけで、親以外を相手に使うのはこれが初めてだった。


『これから会うのは、馬木戸マキドという相手だ』


 リクは空いている席を探すように視線を彷徨わせ、奥から二番目のカウンター席に腰かける。アクタもリクに続き、一つ手前の席にゆっくりと腰を下ろす。


『どういう奴なんだ?』

『端的に言うと、ウイルスプログラムの売人。〈パラサイト〉は末端としてぼくらの様々な情報を収集し、〈マーキス〉はそれをデータクラウドに集積させて社会計画を立案したり、ぼくらを最適化するフィードバックを行ってることはいいね?』

「もちろ――」


 アクタは肉声で反応してしまい、不自然に言葉を切る。慣れていないゆえの失態。潜めた声だって届くであろう距離感で、あえてリクが〈ランデブー〉を用いている意味を理解できないアクタではない。舌打ちと咳払いを続けて強引に誤魔化してみるも、リクが隣りで笑いを押し殺している。


『笑うな』

『笑うよ。でも注意深くいこう』

『……悪い。気を付ける』

『それでさ、〈パラサイト〉は常時、共同体のグローバルネットに接続され、得た情報をクラウドに流し続けている。馬木戸が流しているウイルスプログラムっていうのは、その情報を予め用意してあるいくつかのパターンの組み合わせに置き換えて偽装する、っていう優れものだ』


 リクは〈ランデブー〉で話しながら、傍から見て不自然にならないよう肉声でも昨日のテレビの話なんかを振ってくる。アクタはああとかうんとか相槌を打ちながら、〈ランデブー〉での通信に傾注する。


『リクがさっき、ホログラムの壁を見破ってたのも、そのウイルスのおかげなんだな』

『ご明察。その通りだ。馬木戸曰く、これは副産物らしいんだけど、〈パラサイト〉の現実解像度に僅かなノイズが走るようになる。だから現実と〈パラサイト〉が見せる虚像との判別がしやすくなるんだ。巧妙に隠された〈トーカ〉を見つけるんだ。なかなか使えるだろう?』

『そんなもんがあるなら、皆使いたくなりそうだな』

『どうだろうね。少なくともぼくらみたいな人間は、共同体ではマイノリティーだから』


 リクはカウンターで物静かにグラスを拭いているマスターにジンジャーエールを二つ注文をする。

 バーと言ってもメニューのなかにアルコール飲料はない。共同体において人の理性を奪いかねないアルコールは忌むべきものの一つであり、たとえ〈マーキス〉の目から逃れることのできる〈白街ブランク〉であってもそれは例外ではないらしい。

 やがてカウンターの上を滑るグラスを受け取り、ジンジャーエールを呷る。夏の日差しのなかを歩いてきただけあって、思ったよりも喉が渇いていた。


『それにね、馬木戸はすごく用心深い人物で、誰にでもウイルスを売るわけじゃない。自分が直接会って、認めた相手じゃないとウイルスは手に入らないんだ。そもそも会うまでもけっこうハードルが高くてね。だからこれから、君は馬木戸に試されるってわけ』


 アクタはちょうど飲んでいたジンジャーエールを咽返す。


『おい、んなの聞いてねえぞ』

『今初めて言ったからね』


 リクは悪びれる様子も、アクタを案じる様子もない。それはまるでアクタならば大丈夫だと確信しているようでもあって、アクタは少しだけ嬉しくなる。

 不意にリクが宙を指で触れ、弾く。〈パラサイト〉に受信したメッセージを確認するごくありふれた動作だ。リクはメッセージを読んだあと、さりげなく周囲を見回す。やがて〈ランデブー〉越しにアクタに言った。


『どうやらどこかから見られているみたいだ。場所を移すって』


 馬木戸という男の用心深さは、どうやら相当のようだ。


        †


 移動したのはゲームセンター。今主流のVRゲームではなく、おそらくは共同体社会以前のものと思われる古いゲーム台が並んでいる。昔はこんな小さな画面を覗きこみ、手元のボタンやレバーを動かすのがゲームだったというのだから驚きだ。そんなゲーム台の並ぶ薄暗い空間は、ひっちゃかめっちゃかな大音声で満たされ、時折歓声や落胆の声が入り混じる。


『密会と言えばバーなんじゃなかったのか?』

『そのはずだったんだけどね。これが当世風の密会ってことかも』


 アクタたちはクレーンゲームの並ぶエリアを抜ける。まるで人払いでもしたかのように、ゲームに興じる人々の喧騒が消える。ただ一人、リクの視線の先でどすの効いた悪態を吐きながらシューティングゲームに精を出す男を除いて。


「だぁっ、クソがっ、死ねゴラァ、そっちか、おらおらおらおらっ! なめてんのかゴルァッ!」


 どうやら正面から襲ってくるゾンビを撃ち抜いていくゲームらしい。何故か男が放つ銃は当たらず、画面の中のゾンビがどんどん増えていく。近づかれ、噛みつかれるまでにそう時間はかからない。男は口汚く罵っていたが、間もなく画面にはYOU LOSEの青い文字。


「致命的な下手さですね」


 リクがからかうように言うと、男が背中から殺意を放って振り返る――が、リクの顔を見るや般若のようだった顔貌は一瞬にして蕩けたような笑顔に変わる。


「あっんらぁ~、リクちゃん。おっひさぁー☆」


 どすの効いた悪態から一転、裏返った嗄れ声。おまけに平手打ちのような勢いのウインクが添えられる。

 用心深さに定評のある馬木戸という男は、聞いていた話からは想像できないほどに奇天烈な見た目をした珍妙な人物だった。

 黄緑色に染められた坊主頭。青と緑のストライプが入ったスクールジャケットに蛇柄のショッキングピンクのパンツ。唇には血を舐めたような紅が射し、頬にもたっぷりとチークが乗せられている。剃られた眉毛の代わりなのか、黒い丸サングラスを掛けているが、この薄暗さでサングラスが不必要なのは言うまでもない。


「その子がリクちゃんのお友達ねぇ~。うちの好みとは違うけど、まぁなかなかに男前じゃない」


 馬木戸が顔をアクタへと寄せる。濃密な甘い香水が鼻孔をくすぐった。


「うちは馬木戸。リクちゃんから説明はされてると思うけど、〈パラサイト〉を偽装するウイルスを作って売ってるの」


 馬木戸はもう一度ウインクをしてアクタから離れる。そしてゲーム台に引っ掛けてあった銃をアクタへと渡す。


「売る前にいくつか話したいんだけど、まぁただ話すのも退屈じゃない? だからちょっとだけ遊びましょ。もちろん売るかどうかはそれから決めるわ」


 アクタの返答を待つまでもなく、妙に身体をくねらせて歩く馬木戸はゲーム台にコインを入れていく。画面にタイトルが流れ、モード選択画面へ。対戦モードが選択され、左右に二分割された画面に廃墟らしいフィールドが映し出される。

 どうやらアクタに選択肢はないらしい。ちらとリクを見やれば、大丈夫だと言いたげに頷く。

 意を決して馬木戸の隣りに並び立つ。銃把を握り込み、深呼吸を繰り返す。

 このシューティングゲームに関してアクタはもちろん初心者だったが、馬木戸のさっきのプレイを見る限り心配するようなことはないだろう。


「ヒナキ……アクタくんだったかしら?」

「ああ。そうだけど」

「リクちゃんが見込んだ男の子だものね。どんな子なのか楽しみだわぁ~」


 ゲームがスタート。フェンスを突き破り、ゾンビたちが突っ込んでくる。どうやら最初は腕試しのようで、出てくるゾンビの数も速度も大したことはない。アクタも馬木戸も余裕をもってゾンビの頭を撃ち抜いていく。


「あら、思ったより冷静ね。こういうゲームはよくやるのかしら?」

「いいや、初めて。VRではちょっとだけやったことあるくらいだな。まあ、それに比べりゃだいぶやさしい」

「んふふ、そうやって軽口叩けるのも今のうちよ」


 横で馬木戸がウインクを飛ばす。画面を蠢くゾンビの数は少しずつだが増えてきている。的確に距離と速度を見定め、二人は順繰りにゾンビを倒していく。

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