CHAPTER2:Revolutions are not about trifles, but spring from trifles.(3)
「よっこらせ」
軽やかに床を蹴ったと思えば、まるで突然に重力を失ったかのような動作で少女の身体が柵を乗り越える。宙へと躍り出た彼女の肢体はふわりと一瞬だけ浮いたようにさえ見え、だがやはり重力に引かれて落ちていく。
「……は?」
リクが隣りで間抜けな声を漏らすと同時、どんどん迫ってくる少女の影に、一体何が起きようとしているのかをアクタは察した。
「リクゥーッ! おっかえり~っ!」
声と重なる鈍い音。視界の隅にあったリクの姿が消え、そこら中に傘立ての傘やら靴棚の靴やらが散乱する。
「カザナ……」
早蕨が両手で顔を覆って嘆きを呟く。
見事に押し倒されたリクに跨ったまま、跳び下りてきた少女が顔を上げる。浮かべた屈託のない笑みを、呆れ返っている早蕨に向けて、へへへと声を漏らす。
どうやらリクは押し倒されただけらしい。あわや大惨事というところだが、尻もちを打ったくらいで目立った怪我もなく顔をしかめている。
アクタは少女の頭の横に浮かんでいる〈COde Me〉を見やる。
「……死んだかと思った」
やがて床に大の字で倒れ込んでいるリクが身体を起こすや、カザナが抱きつく。首にまとわりつく少女を引き剥がそうとしていたが、どんな怪力なのか少女の腕はびくともしなかった。
「参った。カザナ、いい加減にして」
リクは溜息を織り交ぜて言い、馬乗りのまましがみついている少女の肩を二度叩く。カザナ、と呼ばれた少女は言葉の代わりに、大きく鼻をすすった。
「ずっと寂しかった」
「…………」
「だってリク、いきなりいなくなるんだもん。なーんにも言ってくれなくて。そりゃ寂しいよ。別れにはいつだって、心構えが必要なんだ」
「ああ、ごめん」
「うん、許す」
「え、許すのかよ……」
反射的に呟かれたアクタの言葉は、少なくともカザナの耳には届かず。過去の不義理を簡単に許したカザナがリクの胸に埋めていた顔を勢いよく上げる。
さっきまでの涙は演技だったのかと思いたくなるほどに、清々しい笑顔。だが頬に刻まれた二条の筋が彼女の喪失と寂寞が本物だったことを物語る。
二人の、少なくともカザナがリクに抱いている感情を言い表すのに、親愛などと。どんな言葉もきっと無粋で陳腐になるほどに尊いものなのだろうとアクタは思う。
たとえそれが清々しいほどの一方通行な感情だとしても。
「許したなら離して。それと降りて。重い」
「ひどいっ! 女の子に重いだなんて。でもそれでこそリク! いい! ひどいけどいい! ひどいい!」
自分の言ったことが面白かったのか、カザナはけらけらと声を上げて笑う。気持ちのいい笑いだけれど、構成員としてはいささか派手な感情表現だ。
「うっはっはっは、ひどいい! リクったらひどいい! ふふふふ、へへへ、ひどいいってさ、リク。ひどいいだって!」
もはや何がどう面白いのかはアクタには分からない。いや、当事者であるカザナ以外、誰にもその笑いの深淵は理解できていない。
やがて業を煮やしたらしい早蕨が咳払いを一つ。
「……カザナ、いい加減にしなさい。少しお転婆が過ぎますよ」
一連の奇行に呆れ、声は咎めるような色を帯びていたがそれでも尚、穏やかで柔らかい。早蕨の表情には朗らかな笑みさえ浮かんでいる。
「うぅ、グランマは厳しいなぁ……でも〈マーキス〉はあたしを止めなかった。だから今の行いは共同体的に正しいんだよ」
あっけらかんと、カザナは反論を口にする。それは駄々や屁理屈による正当化ではなく、もっと強くて鋭い確信に満ちた口調だった。
「〈マーキス〉が可と判断しても、節度というものがあるのです。カザナ、貴女の行為は社会通念や常識では量ることはできない。それを悪いとは思いませんが、いつの世の中もイレギュラーな力には知識と節度が要請されるのです」
「ぶぅー、グランマのいじわる」
カザナは言って、口を尖らせる。怒ったり笑ったり泣いたり、そして不貞腐れたり。カザナという少女の顔は実に忙しい。
「でもまあいいや。怪我はないよね、リク?」
「まあ……。前も思っていたけど、あの絶妙な調節を為せる身体能力、他に使い道ないの?」
「ないよ。リクに受け止めてもらうだけに、あたしの身体って存在してるから」
「ああそう」
どうやらリクは本当に軽く尻もちを突いた程度らしく、跳ねるように立ち上がったカザナが差し伸べる手を取ってすんなりと立ち上がる。手荒い歓迎にうんざりしているのかとも思ったが、久しぶりの生家への帰還に、リクの表情は少なからず喜びを湛えているように見えた。
カザナは二色の瞳を、まるで思い出したようにアクタへと向ける。顔の横へと少し視線がずれているのは〈COde Me〉を閲覧しているからに他ならない。
「こっちの子……雛木芥くんって言うんだ。リクのお友達かな?」
「友達って言うか、クラスメイトって言うか、まあそんな感じだ」
アクタは首を竦めて言う。何と言ってもまともに話したのは今日が二日目で、自由研究に誘われたこと以外、アクタとリクに接点はない。それを友情と呼べるのか、極端に交友関係の希薄なアクタには分からなかった。まして〈なぎさの家〉の子供たちやカザナとの絡みを見せられた後だ。アクタは自分がどこか場違いなようにさえ思えてくる。
「あのリクが友達ねぇ……妬けちゃうなぁ」
にんまりと口角を引き上げたカザナに、リクが首を横に振る。
「少し違う。アクタは同志。友達っていうのとは少し違う」
アクタはリクの言葉にどきりとして、思わずその横顔に見入る。
同志。それは志を同じとし、共に並んで歩む者たちの呼び名。単に馴れ合うだけの友人ではなく、あらゆる困難や苦境にも共に対峙することを認められた、代替不能の絆の証だ。
「同志? なーんか聞き慣れない言葉だね。並々ならぬ関係ってこと?」
「そういうこと」
「きゃーっ、やだやだ~」
「同志……」
楽しそうにはしゃぐカザナをよそに、アクタは力強く、だが温かく胸に広がる響きを持った言葉を繰り返す。振り向いたリクの表情はやはり乏しく、だが双眸には研ぎ澄まされた決意がしかと漲っている。
「そう、ぼくらは同志。この社会が人の幸福を追求しているように、ぼくらは共に真実を求める」
「……いいな、
「だろう?」
リクは言って、僅かに口角を吊り上げる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます