CHAPTER2:Revolutions are not about trifles, but spring from trifles.(1)
リクはあの日、自由研究をすると言った。
だが具体的な話は何もしないまま、それどころか教室ではこれまで通りにほとんど会話もしないまま、数日が過ぎて一学期が終わった。
あれは単なるからかいだったのか。リクの眼差しが伝えた決意からは想像もできないことを思い始めたころ、アクタの〈パラサイト〉が一件のメッセージの受信を伝えた。
アクタが立ち止まると同時、目線の少し先で地面を泳ぐように表示されていた青い矢印が弾けて消える。続いて目的地への到着を告げるテロップが浮かび、目の前に聳える現代のバベルを見上げた。
クロノタワー。
淡い桜色の巨塔は、高さ977メートルを誇る
それは地下空間に広がる大規模モールや交通の要衝である都市中央駅を内包し、大都市の中心に鎮座する。地上およそ400メートル地点までは堅牢な要塞じみた外観でありながら、そこから700メートル地点に至るまでは四本の巨大なビルが絡み合うような芸術的螺旋を描く。大まかに分ければ、この400メートル地点を境として下は水族館やVRパークなどの娯楽施設、上半分はFEC3の基幹事業であるドローン産業を担う〈新界興業〉や拡張現実環境の開発や保守を行う〈ワンダー・テクノ社〉など、共同体の繁栄に欠かせない事業を担う企業が一堂に会してオフィスを構えている。そして大地を越え、天候次第では海までを望むことさえできる展望フロアを挟んださらに上、目視できない頂上部分には翼を連想させる太陽光発電システムと、まさしく天を穿つ鉾のごとき電波塔が備えられているらしい。
この全体のフォルムこそが、クロノタワーを別名で〝
クロノタワーはFEC3において唯一、設計から建造に至るまで〈マーキス〉主導で建設された建物であり、その建設には人類が未だ知り得ない技術が用いられていると言われている。事実はまさに〝女神のみぞ知る〟ではあるが、その圧倒的な存在感は、〈マーキス〉の描く社会がいかに揺るぎなく、そしていかに華々しく豊かなものであるかを示すに十分だ。
FEC3のどこにいても眺めることができるクロノタワーだが、間近で見る迫力はアクタの想像を遥かに超えていた。
「……でけぇ」
「クロノタワー落成のとき、かの有名な〈マーキス〉公認芸術家である山吹アンジュは、人類はとうとう天国に梯子を掛けたのだ、って呟いたらしい」
「うおっ」
いきなり隣りで声がして、アクタは素っ頓狂な声とともに飛び退く。隣りではリクが平然とした顔で、クロノタワーからアクタへと視線を移した。
「やあ、久しぶり」
「やあ、久しぶり、じゃねえだろ! 一体どういうつもりだったんだよ。あれから何も話したりしねえなって思ってたら、いきなり呼び出したりして。おれに予定あったらどうしたんだよ」
アクタは勝手気ままな友人に向けて文句を口にする。だがリクは出来の悪い冗談を聞かされて困ったとでも言いたげに眉を寄せた。
「その心配はしていなかったな。だってほら君、友達いないでしょ? 前に国語教師の葉沢に注意されたとき、家には誰もいないから連絡したところで無駄だ、ってガン飛ばしてたし。てっきり暇なんだろうとばかり」
「しゃあしゃあと失礼なこと言ってんの分かってる? あとそれいつの話だよ、一年以上前だろ」
「ぼくはね、一度見聞きしたことはそう簡単に忘れないんだよ」
「そりゃ随分と便利な脳味噌だな」
「どうもありがとう」
「褒めてねーよ」
アクタはもう一度クロノタワーを見上げる。二人して真っ直ぐに巨塔を見上げる光景は、傍から見てどう映るのだろうか。単なる物見遊山な田舎者か。あるいは敬虔なる女神の信徒か。個人的には魔王の居城へと立ち向かおうとする二人の勇者にでも見えればいいと思う。
内心で身震いしたくなるのをアクタは抑え込む。怖気づいているのではない。これは武者震いというやつに違いない。
これから自由研究が始まる。共同体社会を統べる機械仕掛けの女神に、意志という挑戦状を突き付けるのだ。
「行こうぜ」
アクタは全ての息を吐き切るように言って、クロノタワーへ向けての一歩を踏み出す。
「え、行かないよ」
だが後ろで漏らされた声にアクタは躓くように立ち止まる。振り返ればリクが、やはり表情の読めない面持ちで立ち止まっている。
「行かないってどういうことだよ」
「クロノタワーに用はない。それに向こうから来るんだ」
リクがほんの一瞬だけ浮かべた、そのあまりに不敵な笑みにアクタはゾッと寒気を抱く。
するとリクの後ろの車道に、緩やかにタクシーが停車する。まるでアクタとリクを歓迎するかのように、スライド式の扉が開く。
「ほらね」
リクは言って、タクシーではなく前方――クロノタワーを指差す。既に状況についていけていないアクタはリクの指差す先へと視線を走らせる。
クロノタワーの入り口から出てくる人影が見えた。淡い紫を帯びた短髪に金縁の眼鏡。濃紺のロングスカートに同じ色のローブ。胸には焔を模した金色のブローチが光る。纏う雰囲気は悠久の時を生きてきた龍のようだが、すらりと伸びた手足に凛とした足取りは雄々しい若さを感じさせた。
FEC3に生きる者であるならば、その女傑を知らない者などまずいない。
「
「そう。今日、用があるのは彼女。FEC3の骨子でもあるドローン産業の担い手であり、そのシェアは8割を誇る新界興業のCEO。そしてFEC3に三人しか存在しない〈マーキス〉の最高評価〈CLASS5〉を頂く、共同体社会で最も模範的とされる理想的人物、織香早蕨」
もちろんただの構成員であるアクタたちがおいそれと出会うことのできる相手ではない。だがその彼女は、アクタとリクの姿を見つけるや真っ直ぐにこちらへ向かって歩いてくるのだ。
「……まじかよ」
「うん、まじだよ。そう緊張することはないよ。もうアポも取ってある」
「そっちのほうがまじかよ」
リクが前へと進み出て、立ち止まった早蕨と対面する。
「こんにちは。そして久しぶりですね、リク。そして雛木芥さん。この出会いが社会と私たちの、幸福の糧になることを祈ります。……少し場所を変えましょうか」
織香早蕨は一介の学生に対してさえ敬意と親愛を込めた模範的な笑顔を浮かべ、背後に停まるタクシーに乗るようアクタたちに促した。
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